Warumiの柱

Warumiの「こころの魔法」研究報告~☆

ホドロフスキー語録(素晴らしすぎ!)

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ということで!感動冷めやらぬうちに、ホドロフスキー大先生の昨日のお話について、そして私が何を思ったか書き留めておきたいと思う。私があとでちゃんとまたここにかえって来られるように。

ホドロフスキー?誰?という方はこちらをご覧ください。

www.dommune.com

www.artpedia.asia

この私の興奮ももう一度。 

warumi.hatenadiary.com

 

いやしかし!連日繰り返してしまうけれど、91歳って。。。絶句してしまうほどの明晰さ、洒脱なユーモア。そしてひとつひとつ的確な判断と鮮やかな説明。全てに加えてあついパッション。アーティストの存在ってこうなんだ。。。1時間半以上、画面にくぎ付けになった。

◆太陽系目線での愛

いかにも。彼は地球愛のレベルではもはや収まらず、太陽系を守りたい、太陽系を健康にしたい、と仰り、またそのレベルですべてを見通し、語っていたように思う。コロナについても、地球にとっては人間がウィルスみたいなものだ、と。そしてコロナこそが(地球に対する)サイコマジックのようなものじゃないか、とも。

コロナ。ひとによっていろんな見方があると思う。私もコロナにはかかりたくない。怖い、という思いもふんだんにある。日本だけじゃなくて、世界中で起こっていることに胸が痛くなる日もある。コロナさえなければ今頃は、なんてこともよく思う。

それでも、だ。コロナを含めたこの地球上のあらゆるもの。自然であっても、経済であっても、健康、全てのものの生き死に、であっても。それを人間が、自分たちの都合だけでコントロールをしたい、そう出来るように努力を惜しまない、という考えに違和感を覚える。そうやってあらゆるものをコントロールした結果、人は幸せになるのだろうか?コントロールの延長上にあるものが幸せ、と言えるのだろうか?私たちはただ自分の意思やからださえ、ほんの一部しかコントロール出来ない存在だというのに。どんどん自らを檻のなかに押し込めるようにしてコントロールしていく未来って。。。

ホドロフスキーはこうも言っていた。「愛情こそが唯一の幸せではないか?」と。彼が言う所の愛、とは、誰が誰を愛する、とかそういうことではなく、まさに生けとし生けるもの全てに向けての愛だ。そして私たちは全体の中に生きている。それを太陽系のレベルで語る人。それがホドロフスキーなのだ。

 

◆滞るもの、流れていくもの、そしてエゴに生きる私たち

ホドロフスキー曰く、病とは滞った状態であり、健康とは河の流れのように流れていくものだと。

そして、ことばは真実ではない、と。ことばとは真実に至る地図のようなものであり、肉体的な言語が必要だと。すなわち詩のように、書くという行為/行動をすることが大切なことなのだと。そして、このことばをつかっておこなう精神分析とは、滞っているところにアプローチするものである。対して彼のサイコマジックとは、精神構造や知性みたいなものはすっとばして、流れそのものにアプローチする、と。と、何が起こるか?ただの気づきに終わらない、癒しがそこに発生するのだと。

エーリッヒ・フロムとホドロフスキー精神分析のレクチャー?を聞いていたなんて、震えるエピソード!である。以降、意訳の要約、みたいになってしまうけれど、精神分析はその状態がわかるだけで、変わらない、と(つまり滞っている)。サイコマジックは変化させるものだ(つまり流れていくもの)である、ということ。

そして、エゴについてもいくつか。サイコマジックを行う前にはその人が「なぜ苦しいのか」を理解することが必要である。それをわかる為には他の人に助けてもらうこと。何故ならば自分ひとりでその苦しみをわかろうとしても、結局変わらないことに対しての戦いに終始してしまうから(わが身を振り返って、もう痛いくらいわかりますーーー!って叫びたくなった)。いかに私たちがエゴの世界の中で生きているか、ということを仰っていた。またそれを外して、解放していくためにはことばだけでは足りない、と。

そしてサイコマジックで「家族」についてアプローチするのは、私たちの家族とは、私たちの文化であり、歴史であり、その他様々なものを内包しているものだから、と言う。私たちは記憶をもとに生きている=過去に生きている。家族はこの過去と連動するものだから、と。

過去。エゴ。私たちはどのくらいの「苦しみ」を自ら生じさせ、その葛藤のために人生の大半の時間を費やしてしまうのだろうか。。。とちょっと切なくなった。でも、いつだって遅すぎるってことはない。だって、ホドロフスキーに出会えているのだ。遅くなんかない。

 

◆ARTについて

サイコマジックはアートであり、それは自分のためにやっているものだ(お金も介在していない)。感謝してもらうよりも、サイコマジックを受けた人がどのように行動したのかの方が知りたい。

ここ!私、まさに先週ね!まだ私がなんの「無意識」プログラム?をご提供する前から申し上げるのも何なのだが、まあ聞いて。よくあるじゃないですか?このサービスを受けた方の感想的なやつ?宣伝的に載ってるじゃないですか?あれ。あれがキライ。結局ね、〇〇さんのおかげで、みたいになっちゃうの絶対やめようって自分の日記に書いていて(プログラムを出すよりそっちかい!)。それよりどうなったか、だけが知りたい。結果がどうであってもって、そこまで書いていて!だから個人的にこのホドロフスキーの発言には痺れました。個人的回想終了!

 

ARTの役割については「光と影の両方をあらわすのがART」だと。だからこの影の時代に光を見出すことがARTの役割であろう、と。そしてこの現代において「人生や世界はこわくない、とても素晴らしいものだよ!」と表現するのがARTの役目ではないのか?と。

この辺りは終盤になってきて、自分の感動に手が追いつかず、もうただの線にしか見えない判読不明なメモがいっぱい残っている。今それを見ながら幸福なため息がでる。嗚呼、もういちど、と言わずホドロフスキーの話をもっともっと聞いてみたいものである。

そして決めた。

私はトートタロットに加え、カモワンタロットも使えるようになるのだ!(タロットカードを入手しなければ。。。)

 

ハマっちゃうってどういうこと?(その2)

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いやー!今夜のホドロフスキー大先生の生中継、すさまじくすばらしかったですね!感動の震えが~!91歳とはとても思えない。。。いろいろ感じ入り過ぎましたので、また改めてアツくお伝えしようと思います。いや、ほんと!思いが交差しすぎて幸せでつらくて幸せ!

(ハマる話の途中での大ハマり?むべなるかな)

 

もとい。

大ハマりが続いた、というお話でした。そして、さすがにこれって何かおかしいんじゃないの?という疑念のようなものが頭をかすめ始めたってところからの続きです。

ハマる対象はさまざまです。だけど、どうにも苦しいことが多かった。好きが勝ってどうにもならない感じです。恋している気持ちに近いような。とは言っても、全然現実的ではないので自分としては、どうしようもありません。

例えば実際の恋の相手であれば!拙い方法であってもアプローチしようとあれこれ考えたり、いくらかは実行に移したりするでしょう?その実行部分が丸ごと欠落している。常に夢想のなかプラスαくらいで充分幸せ。恋に恋するかんじー♡なんて言ったら、今どきの小学生に笑われます。欲しいの?欲しくないの??どっちなの!?ってなもんです。これって一体何なんでしょう??

心理学的な解釈のひとつとして申し上げますと、ですね、これは自分を守る行為です。私(の自我)はそんなことはちっともわかろうとしてくれませんが「絶対手が届かない相手」は、私を傷つけないんです。

例えば、おとなりのたかしくんが好きで、そのたかしくんとお付き合いしたい!って思った場合。さあ!大変です。まずたかしくんに彼女がいるかどうか確認しなくちゃいけない。いたらいたで、あきらめるの?略奪しちゃうの?って気持ちがジェットコースターになる!いなきゃいないで、たかしくんどんな子が好きなのかしら?私、いけそうかしら?それで、ど、どうやって告白しよう!?とこっちも別のジェットコースターがぐるぐるです。何れにしても「現実的な」お悩みがゴマンと降ってきます。お友達のゆみちゃんに相談したり、アドバイスもらったりします。そして、ひとつひとつ対処をし、晴れて「たかし君がすきです♡」とお伝えしたとしてもですよ!うまくいくかもしれません。いかないかもしれません。

うまくいったら!最初はもう天国にでもいる気分♡でも、それって続くかしら。。。ほんとは私が思ったようなたかしくんじゃなかったかもしれない。そんなのつらすぎる。

一方うまくいかなかったら、、、そりゃ傷つきますよね。ってか、彼女がいるってわかっちゃったら既にもうブロークンハートかも。彼女がいなくても「いやWarumiちゃんはそういう対象じゃないから。。。」なんて言われたら、さあたいへん!!お友達のゆみちゃんも私を慰めたり、「たかしくんってロクな男じゃないよね!」なんて心にもない悪口を言って私を元気づけようとしたり。まあ、まわりを巻き込んで色々大騒ぎ。

って、こういうことなんですよね。こういう浮世のあれこれが、私にとっては耐えられない状態だった。そんなことになったら死んじゃう!って私(の自我)は思っているわけです。なぜなら「たかしくんは絶対わたしを選んでくれない」って、めちゃめちゃ信じてるから。だから最初から傷つかない、勝負の結果がわかっている相手を相手として選んじゃうんですね。「沖さんは絶対私を選ばない」→はい正解!!ほら、思っていたとおり!安全安全!って、私(の自我)は安定するんです。こうやって「絶対成就しない相手」に夢中になる、という悲劇?喜劇?が繰り返される、というわけです。

心理学ってすごいですねー!?

でね。私、もう一歩この問題に歩み寄ってみたんですね~それにしてもさ、夢中になるその相手は誰でもいいってわけじゃなかったじゃない?って思ったんです。まあ、好み、っていってしまえばそれまでですが、それだけ???

で、ああ!と思い至りました。これもよく言われることですが、憧れる対象の人、というのは実は自分と同じ成分を持っています。あー!あの人ステキすぎる~♡って思う場合、大概の場合、あなたのなかにもそのステキな人と同じものがあるんですよ、ってね。あれです、あれ。

。。。これねー何度も聞いたんですよ。何ならこういうワークみたいのっていっぱいあってね。あなたの好きな人、憧れの人は誰ですか?その人のどこに憧れますか?っていうのを書いたりするワーク。私、まじめにこれキライでね!ああまたっすかー?もー答え知ってんですけどーサボっていいっすかー?って、しょーもない中二病再来です。

そうそう!このことも、また改めてきっちり書きたい、と思ってるんですがね。真実にまつわる世の名言なんて、そのまんま唱えても絶対だめなんですよ!なんでって?私にはだめだったから!効きゃしない。以上。だからこんな風に、あなたの憧れの人がキラキラしているそのキラキラがWarumiさんの中にもあるんですよ~なんて言われても、おえっ!!ってなっただけです。

翻訳。これ、ほんと大事(またこれもテストに出ますよ!)。名言に自分を合わせるんじゃなくて、自分に名言が合うまで、とことん自分の言葉に翻訳/調整する。これ、ほんと大事!

で、このキラキラ課題をWarumiちゃんがとってもよくわかるように翻訳するとこうなりました!

「お前が自分のことサボってるから、よその人さまのことばっかりに憧れるんだよっ!他人ばっかり見てねーで、自分でさっさと行動しな!!」

すると、なんということでしょう!?あちゃーーーっ!キターっ!てなるんですよね。さっきのキラキラ界隈の話法で話されても、鼻ほじりながら「ふーん、、、それで?」っていう中二の子が、急に「先生!わたし、わかった!やってみる!」なんてかわいくなっちゃうんですよ~♪あら不思議。

結局ね。自分の表現を極限まで押しとどめている間は、スカパラさまにそれを全部丸投げしてました。好きな音楽をやって、ステージで「自分たちの音」をばーん!とあんなにすばらしくパフォーマンスしてる彼ら。

特に「天才!沖祐市!」。彼は私にとって、本来自分が「やるべき天才的な表現」を真っ向勝負で諦めていた時期に夢中になっていた人でした。それに、沖さんってね。ここだけの話ですよっ(ひそひそ声)。今現在は存じ上げませんが、私がめっちゃ追いかけていた頃のことです。沖さんってね、ライブパフォーマンスが神がかり的にサイコーな時と、え?今日どうしちゃったの??って呆然となる時と、ふり幅がすごかったんです。このふり幅。これも自分に許してなかったことなのね~プロたるもの(誰が?私??)いつも満点じゃないといけない!って思ってたから。だから、私は沖さんがだめだめな日は、その後ライブ友達相手に居酒屋でくだをまいてました。「私はあんなパフォーマンスを見に、はるばるここまで来たわけじゃない!」なんて言っちゃって、もう、どうしようもない酔っ払いでした。本当は、そのいら立ちは自分に向けられていたんです。でも、自分ではそれをないことにしていた。よって沖さんがその被害者になっちゃった、ということです。嗚呼、ほんとうにオッキー、ごめんなさい!

他の先達たちへの憧れ、についても同じパターン。自分のことばで、自分の思想やメソッドを編み出し、自身の思いや考えを大勢の人に伝える。そんなこと私にはむり。だって私には知識がない、経験がない、資格がない。オーディエンスもファンもいない。ないないない。そんな風にずっと思い込んだままでした。そしてそんな風に諦めている自分はみじめで、そのみじめさを感じたくなかったんです。だから先達たちにも夢中になりました。夢中になっている間は、みじめさから目を逸らせていられたからです。

もちろん!と、毎回言い訳がましいですが、これが全ての理由ではありません。ものごとの理由は単一であるわけがないんです。全部合わせ技です。

なので、今日は「ハマっちゃう」っていう角度からみる世界はこんなかんじー!というのをお届けいたしました。

さーじゃ、最後に聞きますよ。

あなたがいまサボっていることを、代わりにキラキラやってくれちゃってる憧れの人ってだーれ?

ハマっちゃうってどういうこと?(その1)

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名言にも「ハマ」った、というか「ハマりに行った」というべきか。まあ、そんなことを前回書きましたけれど、名言だけでなく、人にも懲りずにいろいろハマりに?行き続けた人生でした。

私は幼いころの方がある意味、大人だったかもしれません(今よりも、という意味です)。小~中学生の頃に流行ったアイドルたちにも特に興味はありませんでした。誰かしら、この人のファン!みたいのがないと、友達の中で浮きまくってしまうので、自称「よっちゃん」!のファンってことにしておきました。ライバルがいなくて、ラクチンでした。ごめん、よっちゃん!

その代わり、と言っては何ですが、中学生の頃から大好きだった北杜夫「どくとるマンボウ青春期」などを読みふけり、「ああ!この旧制高校みたいなところで北さんと青春を過ごしたかった!」と切実に思うような学生でした。思いが強過ぎて、高校で(のんびりとした女子高だった)マジメな先生をちょっと困らせるような質問をしては、授業をめちゃめちゃにしたりして、まあ、憧れはそんな風にちょっとひねりを効かせた感じで表出しておりました。

恐らくこのあたりまでは、まあ青春のなんとやら、の範囲かもしれません。

高校生になると読む本は更にマニアックになり、澁澤龍彦夢野久作、といった世界に浸りきっていました。黒魔術の世界ってなんて素敵なんだろう!そして夢野久作の文体に心酔しきっておりました。今でも彼らに対する愛は、程度の差こそあれども変わらずに続いています。

大学時代から続く20代はしばらく、ごくごくありふれた恋愛、などにハマりにいっておりました。まあここも、現実の存在の彼にいろいろなものを勝手に映し出しては、わーきゃー!で、大変でした。しかし、この頃が「現実的にすぐ横にいる人間」を相手にハマっていた最後のような気がします。その実在の彼とのあれもこれもが諸々ぶっ壊れ、その後の恋もなかなかうまくいかなくなった頃、私の目の前に、救世主のように「東京スカパラダイスオーケストラ」が現れました。

友人の誘いでライブに行ったのがことの始まりでした。もう、めちゃめちゃかっこよくて(当たり前ですが、スカパラのおじさまたちも現在よりはだいぶ若くていらっしゃいました)そして、楽しすぎたのです!スカパラメンバーの「ファンを楽しませたい!」っていう欲望はちょっと変態レベルで?にファンに向かって放出されておりました。フロアで勝手に踊って楽しむファンもかっこよくて、まあとにかくいっぺんでハマってしまったわけです。

自分とちょうど同じくらいのパッションを持つ友人と共に、十余年あまりの時間とお金とありとあらゆるエネルギーをスカパラに投入し続けました。会社の休みを取るとか、旅費を工面するとか、旅行の手配をするとか(このあたりは本業の威力を200%発揮!)、そしてそもそものライブチケットを入手するとか!もろもろ万難を排してライブに熱烈に通い続けました。

その頃の私たちのライバルはイチローでした。スカパラのひとつのツアー中のライブ参加率(スカパラさまはひとつの全国ツアーをおよそ数か月に渡って催行するのです)とイチローの打率は常にしのぎを削っており、4割近くのライブにいけたツアー中には、友人とお互いの健闘を称えあい、私たちの「打率」を祝して乾杯したものでした。

私はなんといってもですね!キーボードの沖さんがもう大好きで大好きで大好きすぎて、最盛期は一日のうち起きている時間の半分くらいは沖さんのことを考えていたと思います!そんなに一体何を考えていたのだ??と今、本人もびっくりしておりますが、まあ、そのくらいの熱量のファンでした。外を歩いていても「スカパ・・・」という字が見えただけで胸がどきどきしました(スカパーのCMには何度も騙されました!)。居酒屋のメニューに「沖」が目に付いた時も同様です(あ、ほたるいかの沖漬け、です)。

国内ツアーに飽き足らず、ついにはヨーロッパツアーまで追いかけて行ったものです。だいたい小型のライブハウスなんぞ、あまり褒められたエリアにはないのがヨーロッパの常でしたが、怖いよりも行きたい!の方が断然勝ったのです。ヨーロッパ各地のライブのことは、今でもよく覚えています。楽しかった!

スカパラへの愛は仇やおろそかには出来ませんので、また改めて語りましょう!(え?もういいですか?そう仰らず!)。

まあともかく!スカパラや沖さんがいなければ、私の日常などはただの泥沼みたいなものだ、と思っていました。ライブに行って、音楽漬けになっている時、そしてその瞬間を分かち合えるライブ友達との時間だけが自分が自分らしくいられた時間だったのです。

その愛がピークをちょっと過ぎた頃、突然ロンドンに出向することになりました。青天の霹靂です。まず思ったのは、スカパラのライブに行けなくなっちゃうじゃん!ってことでした。あれこれ予定していたライブにはしばらく縁がなくなるのだ、と思うと本気で泣けました。同時にちょっとだけほっとした気持ちがあったことも否めません。これでライブに行けなくなってしまった、という正当な理由を得たような気がほんのちょっとだけしていました。

ロンドンに行った後、今度は仕事やプライベートでいろいろなことが起こり過ぎました。その結果、その後の私の興味は一挙に「ひとのこころやからだ」に移っていきました。そもそも私は小さいころから友だちとの友人関係を築くのに不器用さを感じていて、どこにいてもやるせない感じがからだのどこかにいつもありました。スカパラを追いかけていた頃は、ライブやライブ仲間で紛れていたこのやるせなさ、が、異国の地では身に染みてきました。

それからというもの、こころやからだ、それをつなぐもの、として、キネシオロジーやクラニオ・セイクラル、ソマティック・エクスペリエンス、ロルフィング、その他、の指導者にはじまり、臨床心理の本や心理の先生方、マインドフルネス、テーラワーダのお坊さん、あらゆるジャンルのマニアックな文化人などなどにハマり続けました。以前にも書きましたけれど、どの世界もほんとうに濃くて、凄くて、それぞれの世界のトップに君臨している指導者は、私のスーパースターでした。もちろん、そういった先生方にそんな意図はなかったはずですが、私の彼らへのハマり方はスカパラのそれとそう変わらなかった。なるべくお近づきになって、その先生方の考えや視界に入りたいと思っていました。それはライブハウスで沖さんの見える場所を死守する、というモチベーションと同じようなものだったと思います。

でね。

さすがにですよ。。。ある日、あれれ?となったわけです。この感情、すっごい覚えがある!あれ?なんかこの景色、みたことある。。。迷路のなかで同じみちを何度も何度も通り過ぎては「え?もしかして。。。ここって、さっき歩いたところ?」ってなもんです。流石の私も、これって一生出られないの沼なの?って思い始めました。

 

(つづく)

名言に自分を寄せる問題

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もうずーーーっと長年ね、自分の中で疑問だったことがあるんですよ。あーーー頭ではわかってるのに、なんで出来ないんだろう、なぜ私は変われないんだろう??っていう、私の中の大問題その1の筆頭!みたいなものがあってね。

ついこの前、ああ、そういうことだったのか~って思ったんでそのことを書き留めておきます。書かないとすぐ忘れるからね!

と言っても最初に申し上げたいのは「出来ない/変わらない」理由はさまざまです。きっと、ひとつじゃないです。それだけは先に申し上げておきます。そしてせっかく今ここでこれをお読み頂いている皆さま。これはたぶん、同じ悩みをお持ちの方がいらっしゃったとしても、皆さまの答えじゃないかもしれませんので悪しからず。

 

まずそもそものはじまりは「肚落ち」ってやつでした。以前に誰かが私に言ったんです。あなたが変われないのは、肚落ちしていないからだ、と。ああそういうものなのか、と思いました。私はわりと他人のアドバイスを反発的に聞くんですけど(中二病なんでね)。その時は、ああ、そうかと。ちょっとわかったような気になったんです。そうか、本当の理解、というのは頭じゃなくて肚なんだな、と。

ね、これ全然正しいでしょ?本当の理解は頭じゃなくて肚落ちしたときに起こる。正しすぎる。異論なし。

別の機会にまた他の人が言いました。トラウマがね。あなたの理解を邪魔しているんですよ。あなたの父親との関係性の投影が起こっていて、それで上司の言うことが素直に聞けないんですよ。だから変われない。

正しい!150%正しい!

またある時、別の人は言いました。あなた私のことキライでしょう?だから私の言うことが聞けないの、残念ね。

正しい!(。。。あ!いえいえ、そんなことありません~!あなたのことキライだけど、そう見せないようにしてるのにー)ので、返事に困った。

はたまたある時に、別の人がいいました。あなた変わったと言うけれど、私にはその変化が確認できませんねえ。

へ!?ってなりましたけれど、そ、そうですか。。。残念過ぎるけどそうなんですね。そして、その方は私の何をご覧になってそう、仰られたのかわからないんですけどまあ、そのように言い切られた、と。

はたまたある人は言いました。あなたが変わらないのは変わらないことにメリットがあるからだよね。

。。。はあああ、、そうですよね~そうやって変われない自分をキープすることで、間接的に他の誰かを「絶対許さない」って思ってる。はい、ごもっともです。その通りです。

まあ、こんなことがずっと続いていたように思います。

出来ない/変われない。この大問題がね~いつも自分にくっついてた。だから「この人だったら/この本だったら、今度こそ答えがあるかも?」と期待して、質問しては正しい!と思われる明言、エビデンスを集めてたんですね。ああ、この名言集!もしかして、本にして出版できるほどあると思う!

で、これだけ名言を集めてもですよ。私の変化や実感はやってきてはくれませんでした。このブログの最初の頃に書いたように、もう、自分ではわけわかんない状態です。我ながら面倒みきれないよぉ!と思ったことも多々ありました。

発端はなんだったかと申し上げますとね。何かの拍子にめちゃめちゃムカついたんですよ。自分にじゃなくて(私はそんなに謙虚な性質ではありません)、何もしてくれないこの名言集に!なんだよ!私が名言に歩み寄って「ほんとにそうですよね!」なんてそこは頑張ったのに、なんも変わらないじゃないかー!!とね。

で、その時あれ?って思いました。

「歩み寄って頑張ったのに」

ここです。これねー!私的にはものすごくトリッキーだったのですが、このね「他人や名言に寄せるのを頑張って」たためにね、本来の「変わる」っていう方にフォーカスできてなかったんですよね~~!なんてこったい!

おそらく名言、そしてその名言をいう人に自分を合わせに行っちゃったんですね。そこをものすごく頑張った。私のなかにあるこのだめだめなこれを、この素晴らしい名言に合わせなくてはいけなくてよ、ひろみ!(なんでもないです)。で、自分の考えを合わせたところで「よくやった!任務完了!」ってなってたんですね~~~

だから頭ではわかってるんですよ!合わせることに頑張ったから。で、力尽きて?本来頑張るべき方は放置プレイ状態だった、と。あらいやだ!ほんとそうでした!

いや、だからね。たまにはムカついて、はあ!?とか暴れた方が良いかもしれませんよね~おとなしく人の言うことばっかり聞いてもね、ロクなことはないです。

そして、そういった意味ではこの「名言」の他にも、私にとってまた別のあちゃー。。。という発見があったんですよね~。

(つづく)

マントンは魔法のような海辺のまちだった

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さて、旅もようやく終盤へと差し掛かった(思いのほか、長々とお届けしております~)。

旅のラストは待望のコート・ダジュール!透き通るような青がまぶしい紺碧海岸である。ニース!カンヌ!高校生の頃に読んだサガンの「悲しみよこんにちは」の、あの舞台にこの足で立つのだ。セシルがシリルとヴァカンスを過ごした海辺。そしてグレース・ケリーモナコももちろん外せない。忘れちゃいけない!のは、私の愛すべきコクトー!~恐るべき子供たちアンファン・テリブル)のまちマントン。もちろんマチスの足跡も辿らなくちゃ。ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂には絶対行こう。

いやはや!今思い出しても、盛りだくさんの旅である。

ラ・シオタを出て、まずマントンへ向かった。ニースやモナコを通り越し、このイタリアとの国境のまちに行こうと思ったのは、もちろんコクトーともうひとつ。レモンである。マントンが有名なレモン祭りの場所だってことを知ったからだ。

ee.france.fr

www.fete-du-citron.com

お時間があれば、ぜひこのレモン祭りのサイトをご覧ください!簡単に言ってしまうと、札幌の雪まつり雪像があるじゃないですか?あの雪像をつくる雪の代わりにレモンとオレンジを使ってあらゆるオブジェ諸々をつくっちゃうってのがこのレモン祭り。もう聞くだけでテンションがあがるってもんじゃないですか~♡ニースのカーニバルも有名だけど、個人的にはダントツでマントンのレモン祭りの勝ち?なのである!

残念ながらこのレモン祭りは毎年春に行われる。訪れたのは折しも盛夏。でも、電車の車窓から見る海とその背後にせまる小高い丘に密集する、これぞ南仏の風景と叫びたいような旧市街の街並みに心が弾んだ。そう、ここだ。間違いない。こここそ、私が来たかったところ!

電車を降り立ってまちを歩き出した。その不思議な、ここが好きだ、という思いは、一歩、また一歩とこのまちを歩くうちに、私のなかでどんどん強い確信めいたものになっていった。

そう、マントンは不思議なまちだった。いろいろ魔法がかかっていた。この後にニースを含めて、近郊の海辺のまちや、観光地として有名な場所にもいろいろ行ったけれど、マントンはどことも違った。このまちの不思議な雰囲気に私はもう、最初から魅入られてしまったのだと思う。

早々に思い通りの宿を確保し、ゆっくりと歩きながら海辺に出た。海面は、もうダイヤモンドをぶちまけたみたいにキラキラしていて、それがあまりに美しいブルーグリーンで、私は文字通り言葉を失った。すっごーい!!何この海の色!?

海辺に座り、しばし呆然としながらサンドイッチを食べた。なんだろう、夢みたいにキレイすぎるじゃないか。。。キレイすぎて現実感が失われてしまう感じ。ああ、やっと「ここ」に辿り着いたっていう、ほっとした気持ちと、嬉しくて矢も楯もたまらない感じ。

長い時間、ぼーっと海を眺めた後、いざ!とばかりに海辺をただずっと歩き始めた。しばらく行けばイタリアとの国境があることがわかっていたから、そこまで行こうって思ったのだ。海辺の景色はしばらくすると、ヨットが山のように停泊しているハーバーに変わり、そのもうちょっと行ったところがイタリアとの国境だった。もちろんパスポートコントロールなどない。ただ、プレートがここが国境だと示しているだけ。ひとりで国境のラインをまたいで記念撮影した。ここから先はイタリアかー!このまま進みたい気もするけれど、まあ、まずはマントンなのだ。

国境に背を向け、またもと来た海岸線を歩き始めた。左手に見る海の景色、右手に迫る旧市街の美しい街並み。ちょっと歩くとすぐに双方の表情が変わって、あまり写真を撮るのが好きじゃない私でも、数メートル置きにシャッターを押さずにはいられなかった(ええ、もちろんカメラはフイルムの時代です)。時にしゃがみ込んだり、時にベンチに乗ったりして、夢中で写真を撮り続けていた。

どれだけ写真を撮った時だったろうか。いきなり後ろで声がした。振り返るとひとりのマダムが後ろから私に何か言っていた。流ちょうな英語だった。

「ずいぶん熱心ね。このまちを取材しに来たの?」

と彼女は私に尋ねた。とんでもない!観光で来たの。でもあんまりきれいだからたくさん写真を撮っているところです。

「そう、そんなに気に入ったのね。あなた時間ある?ついていらっしゃい、まちを案内してあげる」

驚いたのと嬉しいのとで、弾むようにお願いします!と言い、彼女の後ろを追って歩き始めた。マダムの足ははやかった。しばらく海沿いを歩いたのち、海辺から旧市街のまちなかに上がっていくと、マントンの表情はまた一変した。途端に時間が後戻りして、いつの時代にいるかわからなくなった感じ。

迷路のようなその旧市街の道を、ひらりひらりとマダムは歩きながら、ここは何世紀頃のレリーフが残っているところ、この建物はここで一番古いもの、ほら、この下をのぞいてごらんなさいな、この柱の模様美しいでしょう?と、矢継ぎ早に私にいろいろなものを見せてくれた。その模様や建物は何百年を遡るようで、まるで不思議の国のアリスが、別世界に迷い込んでしまったかのような、そんな魔法のような時間の中に私たちはいた。

しばらく細い道を右に左に歩いた後、いきなり視界がひらけた。教会の前の庭のような場所が現れたのだ。そして陽のまぶしい世界に戻ってきた。小高い丘の上に建つ教会の前庭は、白や黒の石のモザイク模様がすてきで、そしてなによりバルコニーのようにマントンの海を一望できる場所にあった。

速足で歩いてきたマダムは一息つくようにして、その中庭から海を眺めながら言った。

「マントンはね、私にとっていちばんすばらしい場所なの」

「私もね、若いころはパリに住んで、世界中いろんなところに旅をした。でもね、もう私はどこにも行く必要がない。なぜならね、このマントンが私にとってBest Placeだって知ってるから」

そう言って一息つくと、じゃ、マントン滞在を楽しんでね、ボンボヤージュ!と短く言って、あっという間に去った。驚くほど鮮やかな去り際だった。

それは白昼夢をみているかのような時間だった。さっきこのまちに着いたばかりだっていうのに、もうこのまちのことをいろいろと知っている。観光の場所とか、この教会が何世紀に誰が建てたとかそういうことじゃなくて「ああ、わたしはこの場所を知った」っていうなんとも不思議な感覚。

まだ陽は高かったけれど、ちょっとだけ風が涼しくなってきた。その風に吹かれながら、その手すりにもたれかかり、私はまた長い時間海を見下ろしていた。ああ、なんて時間、なんて経験だったんだろう!

そして、今ここでこうやって思い出しているように、この時のこのマダムと彼女のことばは、今も尚、時折わたしの胸のなかに戻ってくる。あの不思議な時間といっしょに。

わたしはわたしの場所を見つけられただろうか。

それともまだ旅の途中なのだろうか。

いつかまたマントンに戻りたい。戻ったらきっとあの教会の前庭に行くんだ。その時、海を見下しながら私はいったい何を思うんだろう。

これが何十年か前の南仏の思い出。

一日遅れのお誕生日のプレゼントみたいな時間を、こんな風に思い出しながら、私はここの海辺で元気にやってますよ、とあの日の自分に伝えてあげたい。今はそんな気分なのである。

想定外のお誕生日ー南仏編

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さて。来る「わたしの」お誕生日をどこで過ごすか。それがこの旅の道中で決めなければならない問題?であった。おフランスでお誕生日を迎えるのである!仇やおろそかにはできぬ?のだ。

エクスでのセザンヌ先生との邂逅を果たし、いよいよ紺碧海岸を目指す時が来た、と思った。いろいろ候補はあったのだけど、やっぱり海がいい、海辺に行こう!

こう決めて「地球の歩き方」を端からじっくり検討し始めた。そして決めた。Cassis(カシ)に行こう!

www.ot-cassis.com

マルセイユからちょっと南下したところにその港町はある。ガイドブックにそうは書いてなかったけれど、私的には、神奈川の逗子・葉山の雰囲気が漂うまちに見えた。ヨットハーバーがある素敵な海の写真が並んでいたのである。おまけに(結局これが決め手だったのだけれど!)そこには「白ワインのすばらしいのがある」と書いてあった。今でこそあまりお酒は飲めなくなったが、あの頃はまあじゃんじゃん飲んでいたのである。これはもうパーフェクト中のパーフェクトな場所じゃないか。

港のレストランでその白ワインにシーフードでお祝いなのだ。これまでの旅は節約してきたけど、お誕生日は特別大盤振る舞いでいく!きっちりお祝いしちゃう!と、これまた意気揚々とエクスを後にした。

バスを乗り継いで、いくつかの山を登ったり降りたりした後、とうとうカシらしき風景が窓からも見えてきた。夜のお祝いを思い、ひとりバスの中でにやにやしながら、海だー!誕生日だー!と心はお祭り騒ぎだった。

バスを降りて、早速観光案内所に行った。いつもだったらあの、なるべく安くてなんて遠慮がちにお願いしてきたのである。が、今日は違う。いいよいいよ、今日のお宿はちょっと奮発するよ☆と、余裕の笑顔でデスクの向こうのお姉さんに今夜からの宿をお願いした。

「あのね、いっぱいなの。もう満室なんです。」

??いや、だいじょうぶ!今回はそりゃ5つ星に泊まれって言われても困るけど、だいじょぶ!最安じゃなくていいの、バックパッカーのお宿じゃなくて、あの、あの、

「ヨットレースがあるんです。だからどのホテルにももう部屋はないんです」

ちょっと気の毒そうな顔をしながら、でもそのお姉さんはきっぱり言い放った。

ヨットレース!?想定外の問題勃発。しかし旅行会社に勤めていた私にはわかる。イベントの時のお宿のイッパイ具合というものは常軌を逸しているのだ。もはや海を眺めながらのレストランらんらん、なんて言ってる場合じゃない。もうお昼時間もとっくにまわっていた。ひとり旅では出来るだけお昼頃までには宿を決めたい。しかし何よりこの状況が想定外すぎて、他の候補も考えてない。さて一体どうしよう??

いったん問い合わせの列から離れて一呼吸しながら考えた。仕方ない。じゃあこの近郊のまちを紹介してもらおう。こんなに海があるんだし、カシの町なかじゃなくても他になにかあるかも!

気を取り直して、再度さっきのお姉さんにお伺いした。わかった。カシは諦める。どこか代案を紹介してもらえないかな?

「ここから10kmくらいいった山の中の農家民宿だったら部屋があるかも。電話してみる?」

え?の、農場。。。せ、せめて海がいいのだけれど。。。どこか他の海辺のホテルはないでしょうか。。。

「ここから一番近いのはLa Ciotat(ラ・シオタ)。でもここではホテルのことはわからない。どうする?農家に電話する?」

。。。お願いします。

お姉さんに畳みかけられて、思わずお願いしてしまった。嗚呼、これでお誕生日は海がないところで過ごすんだ。。。ちょっと前に泊まったスイスのヴィンタートゥーアの農家民宿が思い浮かんだ。ああ、鶏が鳴いてた。牛もいた。。

「民宿、空いてたわよ。これが住所です。タクシーで行くといいですよ、これドライバーに見せて」

お姉さんが手元の民宿リストに赤まるをつけてくれた紙をくれた。

「あ、ありがとうございました。。」

またまたしゅん、としながらその紙を手に外に出た。確かに、まわりを見回すと大勢の観光客とヨットが港にもいっぱいだった。まさにヴァカンス♡といった風情の人たちばかり。

。。。やっぱり絶対、海がいい。

今思い返してもどうやって!?自力でホテルを探したのか覚えていない。けれど、猛然と調査を開始し、お姉さんが言っていたまち、シオタの宿に見当をつけ電話をした。多分お姉さんのくれたリストに載っていたのだと思う。もう念力レベルの行為である。すぐ電話に出たおじさんはめちゃめちゃ陽気な声で「部屋?もちろん!あるある!おいでおいで!」と言ってくれて、あんまりほっとしてちょっとうるっとした。早速、タクシーでその宿に向かった。

ラ・シオタ。。。神奈川の方なら想像がつくかもしれない。着いてみると、そこはまるで湯河原のようなまちだった。ほんとうは葉山に行くはずだったのに!(け、けして湯河原をdisってなどおりません、ごめんなさい)そしてタクシーのおじさんが私を降ろしてくれたのは、まさに、フランス版海の家、といった風情の簡易なお宿だった。ひとつだけ決定的に違ったのは、レストラン部分である。日本なら畳敷きにテーブルが並んでいるのような場所に木調のレストランがしつらえてあって、いくつもテーブルが並んでいた。そして、その奥からおそらく電話の主であろう陽気なおじさんが飛び出てきた。

「電話の子!よくきたよくきた!」

と、英語混じりのフランス語でよくわかんなかったけど、なんだかめちゃめちゃ歓迎してくれた。案内された部屋はほんとに!夏だけの掘立小屋、みたいな感じで笑っちゃったけど、ともかく念願の海辺に着いたのだ、よくやった私。朝、エクスを発った時にはこんなことになるなんて夢にも思ってなかった。。まったく人生ってやつはもう!

夜がきて、さっきの民宿のレストランに行った。さっきのおじさんが、ちゃんと黒服に着替えていて出迎えてくれた。英語とフランス語ちゃんぽんで、今日は私の誕生日なので、おいしいワインが飲みたいんだ、NOT高いのね、って伝えたら、おおおお!とそのおじさんはこれがいいこれがいい、って白ワインを手に、まだーむ、おたんじょびおめでとうなんて言いながら、恭しくそのワインを注いでくれた。

他に1~2組のカップルと家族がいたと思う。ほとんどテーブルは空いていて、おかげで私は海風を満喫しながら、ひとりのんびりとワインを飲み始めた。黒服のおじさんは、他のお客さんのところと行ったり来たりしながら、私のグラスが空にならないよう、その都度おめでとう、まだーむ!とワインを注ぎに来てくれた。

お願いしたシーフード料理はたっぷりと量があって、おいしくて、ようやくそこを楽しめるほど落ち着いてきた。それにしても!またなんの因果でこんな所に行き着いて、こんなディナーなんてしちゃってるんだろう?と朝からの騒ぎを思い出してはまた、ひとりで笑い出してしまった。酔いがまわるのがきっと早かったのだろう!

日本人の女の子!(私は童顔なのである)がひとりでいきなり飛び込んできて、お誕生日だ、ワイン出せ、みたいに言っちゃって、さ!ワイン片手に私が楽しそうに見えたのか、黒服のおじさんがウインクしながら(笑)おめでとー!って、ちょっと離れたところから小さくばんざいしてくれてた。昼間とは打って変わって、ぱりっと白いクロスがかけられたテーブルは気持ちよかった。潮風も。

翌日おじさんにお礼を言い宿を出て、ニース方面に向かうことにした。ラ・シオタの鉄道の駅までのバスがあると聞いて、バス停で待つこと2時間。。バスは来ない。。嗚呼、なんてお誕生日だよ~と諦めて、タクシーに乗った。するとあっけないほど駅はすぐそばにあった。そしてその駅は、かのリュミエール兄弟がはじめて(大学の映画の授業で習った!)と言ってもよい、映画の映像撮影をした場所だったのだ。テストにも出たくらい重要出来事だったのだ。駅に着いて、それを思い出した。そっか、ここだったのか!

youtu.be

この誕生日の日の顛末を思い出すと、今でもちょっと不思議な気持ちになる。なんだか自分の思い通りなのか、思い通りでないのかもわからず、馴染みのあるものと全然異質なものが混然一体となっていて、なんとも名状しがたい気持ちになるのだ。今でもなお。

この旅のメッセージを、私の意識はまだ理解できずにいるのかもしれない。ああ、そういうことだったのか、という思いに至る日が来るのか、どうなのか。

今思うことは、嗚呼、これって私の人生そのものっぽいな、ってことだけである!

(つづく)

セザンヌの生まれたまち

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その後、チューリッヒやそのあたり(雑!)の友人に会い、近郊のヴィンタートゥーアでの美術館めぐり三昧を経て、また来た道をフレンチパートに戻った。

「なんかこっちのエリアの方が落ち着くな」と出迎えてくれた友人に言ったら「ほらね、言ったでしょ!あっちは山しかないんだから!」と笑って背中をどんと叩かれた。たしかに!逆にチューリッヒの友人には「Warumiは山を見ずに町にだけいて、一体スイスに何をしに来たのか?」と真顔で聞かれたのである。スイス人、いろいろ面白いのだ。

再び戻ってきたのは、じゃーん!フランスが誇るTGV(新幹線みたいな電車)に乗ってジュネーブからプロヴァンスに向かうためだった。さあ、ここからは名実共にひとり旅が始まる。

アヴィニョン(有名な橋!見てきましたよ~アヴィニョーンの橋で~お~どるよ♪のあの橋です)やニームをまわって、最初のハイライトのエクスに入った。ひとり旅はきままだけど、泊まるところを確保したり、移動手段をその場その場で判断するのはけっこう大変だった。今みたいにスマホがあれば一発だけど、あの頃はまだ観光案内所やインターネットカフェで調べ物をしながら旅した時代だった。

スイスでは友達といてあまりに楽しかったので、ちょっと里心がついていた。そして予想以上に南仏では英語が通じなかったのもあって、ちょっと旅の疲れを感じはじめていた。そんな中、エクスの番が回ってきた。

エクス=アン=プロヴァンスは水のまちだ。町中いたるところに水が湧き出ていて、夏の陽は強かったけれど、どこに行ってもこの水の音と木立が気持ちよすぎるまちだった。

エクスではセザンヌめぐりをする!と決めていた。そのひとつがセザンヌのアトリエ。あと、彼がいっぱい描いたモンサンヴィクトワールという山も見たかった。もちろん登らないけど、セザンヌがあれだけ描いてたんだからきっとスケッチポイントみたいのがあるだろう?そこに行きたいって思ってた。ガイドを見ると「セザンヌの道」なんてあって、俄然気分が盛り上がってきた。

セザンヌ印象派の画家、と紹介されることが多いと思うけど、印象派。。。私はぜんぜんぴんとこない!って思ってる。セザンヌは「世の中のものってこうやって見えてるよ」って、印象派とはまた違う世界の見方を提示したのだ。

www.artpedia.asia

これはよく言われているけれど、ものを複眼的に見る、という手法はセザンヌがその先駆けである。彼がいたから、ピカソはなんだこりゃ?って絵が描けちゃったのである。

私がセザンヌを好きなのは、そのストローク(筆の運び)である。木や森を描くための彼の色のチョイスはほんとにすばらしいのだけれど、そのステキな緑色が、非常にリズミカルなストロークで描かれている。これを見ているのは、フィジカルに気持ちがいいのだ。このストロークを目で追っていると、まるで絵が生きているかのように息を吹き返し、動き始める。そんな錯覚を覚えるくらいすばらしいのだ☆

そのセザンヌ印象派の画家の方って苦労された方が多いのだけれど、セザンヌもまた例外ではない。絵描きになりたかったのに、最初はお父さんの事業を継ぐために銀行家になれ、と言われていやいやお勉強もした。けれど画家の夢をやっぱり諦めきれなくて、絵のお勉強をするためにパリに出た。でもその憧れのゲイジュツの都パリでは、印象派のグループではうまくやれず、画家としての芽がでなくて、おまけに田舎者扱いされたりして大変な思いをしたらしい。夢破れてまた地元のエクスに帰って来て(心中お察しするに余りある)、いやいや銀行の仕事をする傍ら、自分のオリジナルな道を模索しはじめる。その頃には印象派とは決別をしていた。

セザンヌの父親が亡くなってはじめて!パリで知り合った奥さんと経済的な心配をすることなく(パパは息子の嫁を認めず、仕送りを止めちゃったりしたらしい)生活をすることが出来るようになった。既に50歳近い。そして作品が世の中にようやく認められたのは晩年である。その時も、エスタブリッシュメントよりも、若い画家たちに熱烈に評価されたらしい。

まあ、とにかく!そんな生い立ちを知るにつれ、そんなところにもシンパシーしか感じなかった。先駆者、というものは、、、なんだろうね。大変だって言ってしまえばそれまでだけど、オリジナルのものを生み出す行為、というのはもう、その人にしか見えない道なき道をゆく所作である。思っただけでも身震いする。オリジナリティなんて簡単にいうけど、そんなもんじゃない。

そして待望のセザンヌのアトリエ!じゃじゃーん!アトリエがこんな映像を公開してました。ご覧ください、このステキな場所を!

youtu.be

そこにはセザンヌが本当にまだここで絵を描いているような雰囲気が満ち満ちていた。セザンヌが「ちょっと疲れたのでお散歩してきます」とお留守にしてるような感じ。窓の緑はほんとうにすばらしい緑色をしていて、セザンヌの使う絵具そのものみたいに揺れていた。

ほんとにすばらしかった!はるばる来たかいがあった!と、このアトリエでいっぺんに元気になった私は「この後はモンサンヴィクトワールに会いに行くのだー!」と意気揚々と出発した。

町なかからぎりぎり行けるところまでバスで行って、その後はひたすら田舎の道を歩きはじめた。しかし。歩けども歩けども。遠くのその白いお山はぜんぜん近づいてこない。そして、時折見かける農家の犬に吠えられる他は、音もせず、人っ子ひとり見ない。ここ、前に日本人の女の人が殺人事件にあった場所だよね、、、と縁起でもないことを思ってちょっと怖くなった。

。。。いくらセザンヌが好きでも、さすがに限界だった。ちょっとしゅん、となって、適当なところで山にお辞儀をして、回れ右でもときた道を戻った。

最初に降りたバス停まで辿り着いた時はほっとした。ほどなくバスが来て、行きのバスと同じ運転手お兄ちゃんがまた出迎えてくれた。「ヒュー!楽しんだかい?」みたいなことを聞いてきたけど、何言ってるのかお互い全然わからなくて、妙におかしくなってふたりで笑った。

セザンヌ先生があの道のどこであの山の絵を描いていたのか、よって、いまだに謎なままなのである。。。

 

(。。。そしてまた海までいきつけなかった。。。続きはまた明日)