Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

占い、カウンセリングは無意識トークと相性がいいと思う。

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どうして占いってこんなに人気なのかな?って、ちょっと気になったんですよね。

この前、TVで「突然ですが占ってもいいですか」を見た。プロの占い師さんがいきなり押しかけで占いをする、っていう、普通とは逆の占いのコンセプトが面白い。その仕掛けもありつつ、アップテンポな感じでひとの悩みや人生をざくっと切る感じが新鮮だった。

占い。信じるも信じないも。当たるも当たらぬも。大好きな人(私です!)から、大っ嫌いっていう人も。いろいろな人がいると思うけれど、なぜ人はここまで占いっていうものにこんなに反応するんだろう。

ひとつには、未来がわかる安心感?かな。明日どうすればうまくいくのか、っていう方法がわかっていれば、人生はさぞ安心感に満ちたものになるだろう。あれこれ心配せずに、わかっている通りにやればいいのだ。危険があれば避けられるし、将来の伴侶がわかっていれば、「告白してもだめかも。。。」とか「この人といっしょにいていいのかな・・・」みたいな悩みは一掃される。お金で損することもないだろう。自分にこの職場があっているのかどうかもわかる。とにかく安心・安全である。まあ、実際そこまで当たる占いがあるのかは謎ですけれども!

あとは自分を言い当てられる?っていう驚き、みたいなものもあるのかな。最初はうさんくさげに占い師さんのことばを聞いている人が、そのものずばり、みたいなことを言われた途端、ええ!っとばかりに、みるみる高揚して前のめりになっていく。私も今まで受けた占いの時にまさにそう!って思って、気分がものすごく上がった。

そしてそのおかげ?か、私の場合には、しばらくの間とても前向きな感じでいられたっていう経験がある。たぶん、だけど、安心感に裏打ちされたためか、目の前の視界がちょっと広がった感じ。人生をちょっと信じられる感じ。そして、ああ、自分のことをわかってもらえたなーっていう幸せ感、みたいなもの。そんなのがないまぜになったようなものが、その時の自分を前方に押し出してくれたように思う。

そして、占いがそうやって人をしあわせ~♡なかんじにするのであれば、それはそれでとってもいいものじゃないかって思う。当たるも八卦、当たらぬも八卦、くらいな距離感だととってもいいように感じる。

(もちろん、人の不幸をあげつらったり「こうしろ!さもなくば、、、」っていう強制と脅し、そして法外なお金がかかる、何度も占いに来させるように相談者を依存させるっていうのはもってのほかですけどね!)

一方、私は心理やカウンセリングのお勉強にまで首を突っ込んだので、このカウンセリングと占いの関係?差異?みたいなものに今なお興味津々である。

心理の世界にもほんとにもう、いろんな理論や手法があって、限りなく医療に近いような、数値・エビデンス至上主義!(これがないと、公的な機関や学校では心理介入の導入が難しいのだ。皆さまの税金を使ったりするし)から、まるでひとつの壮大な神話を形成しているかのような理論(トランスパーソナル、なんてまさにそんな感じですね。ざっくりすぎますけども!)まで幅広い、実に懐のふかい学問だな、と思っている。

一般的な心理のカウンセリングの場合には、カウンセラーは決してあなたのことを「あなたはこんな性格です!」「あなたはこんなトラウマがあります!」なんて声高に叫んだりしない。昨今、カウンセラーよりも詳しい知識を持っているクライアントがいらっしゃる。そんなクライアントさんが「自分は〇〇〇なので、〇〇〇症です」なんてカウンセリングの場でおっしゃっても、「そうなんですか?」「そう思われるんですね」って返しこそすれ、決して「そうです、あたりです!」なんてカウンセラーは言わないのである。

それは一般的には当てに行く占いとは真逆のアプローチである。もちろんそれぞれの成立の経緯もまったく違う(そもそも占い自体も種々様々だ)。

しかし、敢えてね。占いもカウンセリングも、そもそもの動機っていうか、なんでそれを受けるのかって考えてみるとどうだろうな。素朴に、素直に考えてみれば、それってひとえにクライアントさんの幸せ、とか自分自身への理解、みたいなものを最終的なゴールとしているんじゃないかな?少なくとも、クライアントさんの心の中にあるものって、大げさに言ってしまうと「(この状況から、この悩みから)救われたい、解放されたい、自分をわかりたい」っていう切ない望みのように感じる。そういう望みがあるから、占いやカウンセリングの場にいらっしゃるんじゃないかなってそんな風に私は思ってる。

人に言えないこと。こんなこと言ったらおかしいって思われちゃうこと。隠したい過去。思い出したくもない出来事。決心がつかなくてずっと抱えている問題。それでも毎日朝は来るし、会社にも行かなくちゃならない。子どものお弁当をつくらなくきゃ!そうやって日常生活のなかで知らず知らず、ちょっとづつ、まるで澱のように、自分の中の何かがたまっていく。最初のうちは、こんなことくらいで、って思えていたことが、いつの間にかものすごく重く、気になる存在になってしまっている。もはや自分ひとりじゃ解決できない。こわい。助けてほしい。でも。。。

ほんのちょっと前の世の中では、カウンセリングなんてビョーキの人が受けるもの、っていうように受け止められていたけれど、ここ数年でこの認識はずいぶん変わってきたと思う。これは相当うれしい。何かもう、どうにもならないなって思うことを抱えはじめていらっしゃる方は、信頼できるカウンセラーさんに出会うために、どうかアクションを起こして頂きたいと思う。

本来、占いとカウンセリングって同列で語るのはちょっとタブーというか、まともな心理士の方とかには怒られちゃうかもしれない。それでも、私が敢えて同列で語りたいのは、占いもカウンセリングも、自分自身の中にある力、そしてその世界を最大限に引き出せるポテンシャルがあるんじゃないかなっていうことだ。

しかし、そのポテンシャルをそれぞれから引き出すためには、ひとつだけ大事なことがある。それは自分の中にひとつ、芯のようなものを持つこと。それがないと、占いを妄信したり、カウンセラーにすべてを明け渡してしまったり、ちょっと本末転倒になりかねない可能性があるから。

その芯ってどうやって持つんだろう?って考えた時、「無意識との会話」がとても役に立つなって気が付いたのだ。

そもそも私が今、自分で占いやカウンセリングを受けに行っているのは、まさにこの「無意識とのコンタクト」がうまくいっているかどうか、ということを自分で確認するため、と言ってもいいかもしれない。あくまでも今現在の私にとっては、で、あるけれど。

私には「占い」は自分の人生の縮図や、自分のもともと持っているもの(才能や運命、みたいなものかな)、そして一歩踏み出したいと思ったときの応援団?みたいな存在である。最近は自分でもお勉強してるので、自分で占ったりもしちゃう。一方「カウンセリング」は、まさに「無意識との会話」を先生との間で再現して、自分の納得感をことばに転換している感じ。自分にとって、無意識との対話の情景をそのまま他者との間に再現できるっていう奇跡の存在でもある。どっちもちょっとした答え合わせ?みたいで、そりゃもう楽しい。なにしろ自分の「芯」の存在さえ確認できていれば、正解なんていくつもあるんですよ、無意識相手には!(笑)

あなたにとって占い、カウンセリングってどんな存在ですか?

(つづく)