Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

あの頃、イーストボーンの海辺を歩いていた。

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このところ、「無意識」への愛に押されてちょっと「お役立ちたい」モードが優勢になってた!(あぶないあぶない。遊びをせむとや生まれけむ、でいくのである)。

ってことで、しばらくChill out Timeで人生の振り返り?思い出話などもちょいちょい、お送り致します。

今日はちょっと人生の巡り合わせ、というか、なんか長くそれなりに生きていると人生ってぐるぐる循環しているなあ、という思いがわいてきたのでそんなお話。

遡ること何十年。思い立ってイギリスに飛んで行っちゃったことがある。半年の間、ボーンマスイーストボーンという海岸沿いのまちの語学学校で、まずは英語のお勉強をはじめたのだ。

英語。

学生時代、これが私はもう、大の苦手でね。。。私の高校生時代を知る人がいたら、後年私が英語を使って仕事をすることになった、なんて聞いたら何かの冗談だろ?と言うってくらい英語が苦手だったんですよね。それなのに!何を思ったかイギリスに行くって自分で決めちゃうんだから、人生っていうのはほんとによくわからない。

で、英語。勉強っていうものは、英語に限らずコツコツするもんだろうと思うけれども、英語はその最たるもの。単語だって文法だって、まずはちゃんと覚えてないと、とっかかりがなくて何もわからない。しかーし!そのコツコツが私にはできない。なんでもコツコツと積み上げていくっていう成分がね。欠落してるんですね。まあ、未だにそうやって自分にラベリングしちゃって、色々なことから逃げまくってる!ってのはちょっと内緒にしておいていただけるとありがたいんですけども。

ちょうど世はミレニアム!だった(覚えていらっしゃいます?)。あの時はミレニアムが未来で、その未来がキター!!って思っていたけれど、あれから20年。嗚呼。もはや、もう、何の未来なのかよくわからない。

「Millennium」を歌うロビー・ウィリアムズもきらきらしてたなあ。

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ああ、これもなつかしい!「Let Me Entertain You」!

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イーストボーンにいたのは、ちょうど冬のおわりから夏前(夏にCambridge英検の試験なんてもんがあったのだ。。。)の、そりゃちょっとお勉強するなんて無理なんじゃないの?っていうくらいのベストシーズンだった。ジューン・ブライドの意味は、6月のヨーロッパにいけばすぐおわかりになられるとおもう。とにかくめちゃめちゃ気持ちのいい季節なのだ。

砂浜海岸が延々と続くボーンマスと違って、イーストボーンは石がいっぱいのぺブル・ビーチだ。歩くと石がキュルキュル鳴って、ちょっと愉快な気持ちになる。ちょうどこの夏の時期、イギリスは夜の21時頃まで明るい。貧乏学生だった私は、当時仲が良かったスイス人の女の子たちと、近くのSainsbury'sっていうスーパーで安いワインとチーズとか仕入れては、英語のお勉強そっちのけで海岸でわいわいとお酒をかっくらっていた。

ところでスイスってのはちょっと面白い国だ。ジュネーヴ/レマン湖を中心とするフレンチパートと、チューリッヒやベルンを中心とするジャーマンパート(あ、ハイジの村はこっち)と、あとちょっと下の方?のイタリアンパートに主にわかれていて、ひとくちにスイス人っていっても顔立ちから、性格やら雰囲気がもう全然違ったのだ。

スイス・ジャーマンの子たちはやっぱりドイツの雰囲気があって、お勉強を生真面目にするし、やっぱりドイツ語と英語は似ているから英語もあっという間にうまくなるし、優等生!って感じの子が多かった。若い子が多かったからかもしれないけれど、純朴な子が多くて、幼いころ「アルプスの少女ハイジ」が大好きだった私は、最初のうちは彼らにその面影をみて、プチコーフンしたりしたものだった(すぐ慣れしまいましたけどね!)。

一方、スイス・フレンチやスイス・イタリアンの子たちはまあ、ラテンの血をひいているからか?楽しいことが大好きで、クラスに来るのは時間ギリギリ。夜はエンドレス。お勉強よりは「あのお店のパスタはまあいける」って話の方に熱心、というまことにゆるく好ましい風情だったので、私はすぐにこの子たちと仲良しになった。

もちろん個性はいろいろだから、全部が全部そうなわけじゃないんだけど、お国柄ってひとくちに言ってもあの小さい国の中でも色々違うんだね~っていうことをその時に知った気がする。

仲良くなったそのスイス人や日本人の友人と、語学学校がご親切にプランする、インターナショナル・ナイト的アクティビティを物色しては、おもしろそうなものにせっせと参加していた。イーストボーンの海にはピアがあって、ここでディスコ・ナイト!みたいなのがあると、もろもろを発散しに繰り出していった。Robbie Williamsさまにも、ここでずいぶんとEntertainして頂いたもんだった☆

当時お世話になっていたホストファミリーはゴリゴリのクリスチャンだった。とってもいい人たちなんだけど、なんかこう、大声で笑ったりおばかな話なんて出来ない雰囲気だったし、おうちそのものが小さかった(なんでも、いつぞやの戦争の時にイギリス人兵士の宿泊施設を住宅にリファービッシュしていたらしい)から、私は毎晩のように外出していた。「お友達がいるっていいことですよ、アーメン」と、ホストマザーも呆れながら最初は誉めてくれてたけど。後日、私があまり羽目を外しすぎたもんで、そのホストファミリーから「出てってちょうだい!」と退去命令をくらったのはまあ、ご愛敬。

今思っても不思議なのは、最初は英語なんてほとんど話せなくて、どうやって、何のコミュニケーションを取っていたのかってことだ。お互いつたない英語で、試験が終わってからの仕事、将来のこととか、あのサンドイッチショップの男の子がかわいいとか、恋愛で悩んでいるとか、そんな他愛もない話をずーっとしていたのだ。

英語ってね。まあ、これは日常使う英語っていう意味ですけど、結局語学は語学なので、日本人なら日本語の能力と比例するんだな、って後で思いました。要するに、日本語を使っているとき聞き上手な人は英語のリスニングの方が得意になるし、おしゃべりな人はスピーキングがまず得意になる。そしてコミュニケーション能力と英語の能力っていうのは、またちょっと毛色の違う話なのだ。(私ですか?もちろん未だにリスニングが苦手です。)

そして、全然違う国/環境で育って、違う教育を受けて、違う食習慣があっても、悩みどころやぶつかりどころはそう、変わらない。親子の問題、友達、恋愛、将来への不安、みたいなものって共通してあって、ことばではうまく言えないんだけど、今、あなたの言ってることわかりすぎるくらい、わかるよ!みたいな瞬間はたくさんあった。確かに悩みのテーマや質は違えども、その問題を抱えている時に感じている感覚や感情っていうものは、意外にストレートに伝わってくるものなのだ。

 

今日久しぶりに海岸沿いを散歩しながら、ふと、その時代のことが頭をよぎった。あのスイス人の子たちは元気にしているだろうか。

そしてあの頃、私は最初の人生のエアポケットにすっぽり入りこんでいたのだった。何十年か前のイギリスの海辺のまちで、その後の人生がどうなるかなんてまったく知らずに、やっぱり毎日のように海岸沿いを歩いたり、海辺で騒いだり、ひとりぼーっとしたりしていた。

ああ、また同じ季節を過ごしてるんだな。

こうやって人生は螺旋階段のように、時々同じ風景を見せてくれる。長く生きているとそれがサインのように見えてちょっとおもしろい。そして、あの時のイーストボーンの海辺を歩いていた私はそれからまた10年後にまたイギリスに舞い戻って働くことになるなんて夢にも思っていなかった。

今、またここで海を見ながら、これからきっとまた、夢にも思っていなかった場所に出向いて行くんだろうなって想像したら背中がプルっとした。

相変わらずの無軌道ぶりで、相変わらず振り回されてたいへんだけど、でもきらいじゃないところがちょっと楽しくて、ちょっと困ってる今日この頃である。