Warumiの柱

Warumiの「こころの魔法」研究報告~☆

セザンヌの生まれたまち

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その後、チューリッヒやそのあたり(雑!)の友人に会い、近郊のヴィンタートゥーアでの美術館めぐり三昧を経て、また来た道をフレンチパートに戻った。

「なんかこっちのエリアの方が落ち着くな」と出迎えてくれた友人に言ったら「ほらね、言ったでしょ!あっちは山しかないんだから!」と笑って背中をどんと叩かれた。たしかに!逆にチューリッヒの友人には「Warumiは山を見ずに町にだけいて、一体スイスに何をしに来たのか?」と真顔で聞かれたのである。スイス人、いろいろ面白いのだ。

再び戻ってきたのは、じゃーん!フランスが誇るTGV(新幹線みたいな電車)に乗ってジュネーブからプロヴァンスに向かうためだった。さあ、ここからは名実共にひとり旅が始まる。

アヴィニョン(有名な橋!見てきましたよ~アヴィニョーンの橋で~お~どるよ♪のあの橋です)やニームをまわって、最初のハイライトのエクスに入った。ひとり旅はきままだけど、泊まるところを確保したり、移動手段をその場その場で判断するのはけっこう大変だった。今みたいにスマホがあれば一発だけど、あの頃はまだ観光案内所やインターネットカフェで調べ物をしながら旅した時代だった。

スイスでは友達といてあまりに楽しかったので、ちょっと里心がついていた。そして予想以上に南仏では英語が通じなかったのもあって、ちょっと旅の疲れを感じはじめていた。そんな中、エクスの番が回ってきた。

エクス=アン=プロヴァンスは水のまちだ。町中いたるところに水が湧き出ていて、夏の陽は強かったけれど、どこに行ってもこの水の音と木立が気持ちよすぎるまちだった。

エクスではセザンヌめぐりをする!と決めていた。そのひとつがセザンヌのアトリエ。あと、彼がいっぱい描いたモンサンヴィクトワールという山も見たかった。もちろん登らないけど、セザンヌがあれだけ描いてたんだからきっとスケッチポイントみたいのがあるだろう?そこに行きたいって思ってた。ガイドを見ると「セザンヌの道」なんてあって、俄然気分が盛り上がってきた。

セザンヌ印象派の画家、と紹介されることが多いと思うけど、印象派。。。私はぜんぜんぴんとこない!って思ってる。セザンヌは「世の中のものってこうやって見えてるよ」って、印象派とはまた違う世界の見方を提示したのだ。

www.artpedia.asia

これはよく言われているけれど、ものを複眼的に見る、という手法はセザンヌがその先駆けである。彼がいたから、ピカソはなんだこりゃ?って絵が描けちゃったのである。

私がセザンヌを好きなのは、そのストローク(筆の運び)である。木や森を描くための彼の色のチョイスはほんとにすばらしいのだけれど、そのステキな緑色が、非常にリズミカルなストロークで描かれている。これを見ているのは、フィジカルに気持ちがいいのだ。このストロークを目で追っていると、まるで絵が生きているかのように息を吹き返し、動き始める。そんな錯覚を覚えるくらいすばらしいのだ☆

そのセザンヌ印象派の画家の方って苦労された方が多いのだけれど、セザンヌもまた例外ではない。絵描きになりたかったのに、最初はお父さんの事業を継ぐために銀行家になれ、と言われていやいやお勉強もした。けれど画家の夢をやっぱり諦めきれなくて、絵のお勉強をするためにパリに出た。でもその憧れのゲイジュツの都パリでは、印象派のグループではうまくやれず、画家としての芽がでなくて、おまけに田舎者扱いされたりして大変な思いをしたらしい。夢破れてまた地元のエクスに帰って来て(心中お察しするに余りある)、いやいや銀行の仕事をする傍ら、自分のオリジナルな道を模索しはじめる。その頃には印象派とは決別をしていた。

セザンヌの父親が亡くなってはじめて!パリで知り合った奥さんと経済的な心配をすることなく(パパは息子の嫁を認めず、仕送りを止めちゃったりしたらしい)生活をすることが出来るようになった。既に50歳近い。そして作品が世の中にようやく認められたのは晩年である。その時も、エスタブリッシュメントよりも、若い画家たちに熱烈に評価されたらしい。

まあ、とにかく!そんな生い立ちを知るにつれ、そんなところにもシンパシーしか感じなかった。先駆者、というものは、、、なんだろうね。大変だって言ってしまえばそれまでだけど、オリジナルのものを生み出す行為、というのはもう、その人にしか見えない道なき道をゆく所作である。思っただけでも身震いする。オリジナリティなんて簡単にいうけど、そんなもんじゃない。

そして待望のセザンヌのアトリエ!じゃじゃーん!アトリエがこんな映像を公開してました。ご覧ください、このステキな場所を!

youtu.be

そこにはセザンヌが本当にまだここで絵を描いているような雰囲気が満ち満ちていた。セザンヌが「ちょっと疲れたのでお散歩してきます」とお留守にしてるような感じ。窓の緑はほんとうにすばらしい緑色をしていて、セザンヌの使う絵具そのものみたいに揺れていた。

ほんとにすばらしかった!はるばる来たかいがあった!と、このアトリエでいっぺんに元気になった私は「この後はモンサンヴィクトワールに会いに行くのだー!」と意気揚々と出発した。

町なかからぎりぎり行けるところまでバスで行って、その後はひたすら田舎の道を歩きはじめた。しかし。歩けども歩けども。遠くのその白いお山はぜんぜん近づいてこない。そして、時折見かける農家の犬に吠えられる他は、音もせず、人っ子ひとり見ない。ここ、前に日本人の女の人が殺人事件にあった場所だよね、、、と縁起でもないことを思ってちょっと怖くなった。

。。。いくらセザンヌが好きでも、さすがに限界だった。ちょっとしゅん、となって、適当なところで山にお辞儀をして、回れ右でもときた道を戻った。

最初に降りたバス停まで辿り着いた時はほっとした。ほどなくバスが来て、行きのバスと同じ運転手お兄ちゃんがまた出迎えてくれた。「ヒュー!楽しんだかい?」みたいなことを聞いてきたけど、何言ってるのかお互い全然わからなくて、妙におかしくなってふたりで笑った。

セザンヌ先生があの道のどこであの山の絵を描いていたのか、よって、いまだに謎なままなのである。。。

 

(。。。そしてまた海までいきつけなかった。。。続きはまた明日)