Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

ハマっちゃうってどういうこと?(その1)

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名言にも「ハマ」った、というか「ハマりに行った」というべきか。まあ、そんなことを前回書きましたけれど、名言だけでなく、人にも懲りずにいろいろハマりに?行き続けた人生でした。

私は幼いころの方がある意味、大人だったかもしれません(今よりも、という意味です)。小~中学生の頃に流行ったアイドルたちにも特に興味はありませんでした。誰かしら、この人のファン!みたいのがないと、友達の中で浮きまくってしまうので、自称「よっちゃん」!のファンってことにしておきました。ライバルがいなくて、ラクチンでした。ごめん、よっちゃん!

その代わり、と言っては何ですが、中学生の頃から大好きだった北杜夫「どくとるマンボウ青春期」などを読みふけり、「ああ!この旧制高校みたいなところで北さんと青春を過ごしたかった!」と切実に思うような学生でした。思いが強過ぎて、高校で(のんびりとした女子高だった)マジメな先生をちょっと困らせるような質問をしては、授業をめちゃめちゃにしたりして、まあ、憧れはそんな風にちょっとひねりを効かせた感じで表出しておりました。

恐らくこのあたりまでは、まあ青春のなんとやら、の範囲かもしれません。

高校生になると読む本は更にマニアックになり、澁澤龍彦夢野久作、といった世界に浸りきっていました。黒魔術の世界ってなんて素敵なんだろう!そして夢野久作の文体に心酔しきっておりました。今でも彼らに対する愛は、程度の差こそあれども変わらずに続いています。

大学時代から続く20代はしばらく、ごくごくありふれた恋愛、などにハマりにいっておりました。まあここも、現実の存在の彼にいろいろなものを勝手に映し出しては、わーきゃー!で、大変でした。しかし、この頃が「現実的にすぐ横にいる人間」を相手にハマっていた最後のような気がします。その実在の彼とのあれもこれもが諸々ぶっ壊れ、その後の恋もなかなかうまくいかなくなった頃、私の目の前に、救世主のように「東京スカパラダイスオーケストラ」が現れました。

友人の誘いでライブに行ったのがことの始まりでした。もう、めちゃめちゃかっこよくて(当たり前ですが、スカパラのおじさまたちも現在よりはだいぶ若くていらっしゃいました)そして、楽しすぎたのです!スカパラメンバーの「ファンを楽しませたい!」っていう欲望はちょっと変態レベルで?にファンに向かって放出されておりました。フロアで勝手に踊って楽しむファンもかっこよくて、まあとにかくいっぺんでハマってしまったわけです。

自分とちょうど同じくらいのパッションを持つ友人と共に、十余年あまりの時間とお金とありとあらゆるエネルギーをスカパラに投入し続けました。会社の休みを取るとか、旅費を工面するとか、旅行の手配をするとか(このあたりは本業の威力を200%発揮!)、そしてそもそものライブチケットを入手するとか!もろもろ万難を排してライブに熱烈に通い続けました。

その頃の私たちのライバルはイチローでした。スカパラのひとつのツアー中のライブ参加率(スカパラさまはひとつの全国ツアーをおよそ数か月に渡って催行するのです)とイチローの打率は常にしのぎを削っており、4割近くのライブにいけたツアー中には、友人とお互いの健闘を称えあい、私たちの「打率」を祝して乾杯したものでした。

私はなんといってもですね!キーボードの沖さんがもう大好きで大好きで大好きすぎて、最盛期は一日のうち起きている時間の半分くらいは沖さんのことを考えていたと思います!そんなに一体何を考えていたのだ??と今、本人もびっくりしておりますが、まあ、そのくらいの熱量のファンでした。外を歩いていても「スカパ・・・」という字が見えただけで胸がどきどきしました(スカパーのCMには何度も騙されました!)。居酒屋のメニューに「沖」が目に付いた時も同様です(あ、ほたるいかの沖漬け、です)。

国内ツアーに飽き足らず、ついにはヨーロッパツアーまで追いかけて行ったものです。だいたい小型のライブハウスなんぞ、あまり褒められたエリアにはないのがヨーロッパの常でしたが、怖いよりも行きたい!の方が断然勝ったのです。ヨーロッパ各地のライブのことは、今でもよく覚えています。楽しかった!

スカパラへの愛は仇やおろそかには出来ませんので、また改めて語りましょう!(え?もういいですか?そう仰らず!)。

まあともかく!スカパラや沖さんがいなければ、私の日常などはただの泥沼みたいなものだ、と思っていました。ライブに行って、音楽漬けになっている時、そしてその瞬間を分かち合えるライブ友達との時間だけが自分が自分らしくいられた時間だったのです。

その愛がピークをちょっと過ぎた頃、突然ロンドンに出向することになりました。青天の霹靂です。まず思ったのは、スカパラのライブに行けなくなっちゃうじゃん!ってことでした。あれこれ予定していたライブにはしばらく縁がなくなるのだ、と思うと本気で泣けました。同時にちょっとだけほっとした気持ちがあったことも否めません。これでライブに行けなくなってしまった、という正当な理由を得たような気がほんのちょっとだけしていました。

ロンドンに行った後、今度は仕事やプライベートでいろいろなことが起こり過ぎました。その結果、その後の私の興味は一挙に「ひとのこころやからだ」に移っていきました。そもそも私は小さいころから友だちとの友人関係を築くのに不器用さを感じていて、どこにいてもやるせない感じがからだのどこかにいつもありました。スカパラを追いかけていた頃は、ライブやライブ仲間で紛れていたこのやるせなさ、が、異国の地では身に染みてきました。

それからというもの、こころやからだ、それをつなぐもの、として、キネシオロジーやクラニオ・セイクラル、ソマティック・エクスペリエンス、ロルフィング、その他、の指導者にはじまり、臨床心理の本や心理の先生方、マインドフルネス、テーラワーダのお坊さん、あらゆるジャンルのマニアックな文化人などなどにハマり続けました。以前にも書きましたけれど、どの世界もほんとうに濃くて、凄くて、それぞれの世界のトップに君臨している指導者は、私のスーパースターでした。もちろん、そういった先生方にそんな意図はなかったはずですが、私の彼らへのハマり方はスカパラのそれとそう変わらなかった。なるべくお近づきになって、その先生方の考えや視界に入りたいと思っていました。それはライブハウスで沖さんの見える場所を死守する、というモチベーションと同じようなものだったと思います。

でね。

さすがにですよ。。。ある日、あれれ?となったわけです。この感情、すっごい覚えがある!あれ?なんかこの景色、みたことある。。。迷路のなかで同じみちを何度も何度も通り過ぎては「え?もしかして。。。ここって、さっき歩いたところ?」ってなもんです。流石の私も、これって一生出られないの沼なの?って思い始めました。

 

(つづく)