Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

「上から目線」はいかにして装備されたか(その1)

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ここ数日、ありがたくもブログを読んでくださった方から、いくつかコメント頂いてそっかそっか!と思う所があったので、今日から「上から目線」について書いてみようかな、と思いました。

私は未だ中二レベルの情動を保持しており(もう何度も書いているので、ああ、またか!と思われる方すみません~)ってことは「上から目線」の人たちがだいきらいです。で!同時に、私自身が「超・上から目線」な人でもあります。「超・」がつくんだから、こっちの方が偉いんだよ!って無意味な差別化をしたいくらいです。ああーもう、救いがたい、とはこのことです。そういう自覚だけはありまーす!!(威張るとこ!?)

で、この「上から目線」の起源は?というと、一番はやはり両親からの影響が大きかったと思います。まず父です。父は華やかなサービス業の世界で、高学歴、ハイ・ソサエティ?お金持ち!有名人相手の仕事をしていました。彼は天性のサービスマンとしての素質?と、お客様を魅了したい、必要とされたいという欲求からくる努力を重ね、高卒というステイタスをばねにして、その世界では成功した人だと思います。

しかし家では、わがままイッパイで傍若無人そのものな人でした。そしてこどもの人権なんてまる無視!そんな父が外ではお客様にちやほやと褒められているのって、超絶理不尽でした。何ならお客さまから「Warumiちゃん、お父さんはすごい人なんだからもっと大事にしてあげてよ」なんて娘の私が言われちゃうわけです(父は自分の顧客と家族を会わせ、家族からも顧客にお礼を申し上げるという儀式が大好きでした)。家族は客と同じ待遇じゃないっての。だいたいテストの順位がちょっと下がっただけで、部活に行かせないように娘の靴を隠す!というような姑息なことを平気でやる男の、いったい何を大事にしろというのか!?思い出しても腹が立つ!思い出です。

そしてそういったキラキラ学歴や家柄、といったものに毎日囲まれて生活していた、父のコンプレックスたるや!いやいや、彼はよくやったもんだな~って思いますよ!私だったら絶対むり。あんなに頭を下げたり、客に尽くしたり、なんてぜーーーったいムリ!そして、父にはつくづく「血」を感じます。私もある種、正攻法な努力というものが苦手だったように(例えば「これさえやれば悟れます」「これが究極の解決法!」的な世界に惹かれていたとかね!)、どうも父もそうだったんじゃないか、と疑われるような節がある。私が思うに、彼は自分のコンプレックスごと彼の世界の価値観を娘に移植し、娘が彼のコンプレックスの仇を打ってくれることで勝利する、という戦略をとったようです。彼にとっては同時に、それが「親の愛」というものでもありました。

なので、小さいころから「お前はそんじょそこらの子とは一緒じゃだめだ!」ってね。ことある毎に言われ続けました。父のコンプレックスを救出するには、当然私はこっち側、ではなくあっち側(キラキラの人たち)の人にならなければればなりません。白馬の王子様に見初められる村娘の逆パターンです。いつか王子様が♡ならぬ、いつか立派になった娘が♡ってかい!

親の選ぶ「いいとこのお嬢さん風」の洋服を着て歩いていると、この辺の子に見えないねぇ、なんて親戚に言われちゃって、父はご満悦でした。更に、外見だけでは飽き足らず、内的ステイタスUPのために、成績はよくなくてはならない、成績が悪い子と付き合ってもいけない、マンガはすべて禁止、で、とにかくお嬢さま然としていなければならない、みたいな!?嗚呼、書いていて蕁麻疹がでそうな圧のオンパレード。幸い、彼は仕事でモーレツに忙しく、あまり家にいませんでした。そして有難いことに私には兄弟がいるので、親の注意も分散されました。あれを毎日集中砲火されたら?なんて想像したくもありません~!

そんな父の戦略とは裏腹に、私は「あちら側」の人ではない、という確固とした信念を持っていました。これは母由来です。母は、父のキラキラワールドを毛嫌いしていました。いえ、母もキラキラ・ゴージャスはキライじゃないんですよ。むしろ大好物。でもその時、父の興味のベクトルは全部外向きでした。自分は大事にされていないと思った母は、だからとても怒っていたのだと思います。その怒りを以って、彼女は「身の程知らずになっちゃ絶対だめ!うちはそんなうちじゃないんだから!」という価値観をこれまた娘に投下しまくりました。恥ずかしいくらいかっこつけた外車に乗り、仕立てのスーツを着て会社に行く父に対し、母は猛然と家のことをするためにいつも家事用の服しか着ていませんでした。今思えばそれは父に対する、母の無言のプレッシャーだったのだと思います。そしてそんな母の圧から逃げるように、父はいつも家を留守にしていました。

そしてもしかして母は、娘がキラキラ世界の人になってしまったら、娘に夫を取られて自分だけ取り残されてしまうことをも、恐れていたのかもしれません。しかしこれも「あんな世界は人を幸せにはしない、子どもをあんな世界にいかせるわけにはいかない」という母心でもあったのだと思います。嗚呼、親心。

 

こうやって振り返って見るとですね。どう見ても!「超・上から目線」能力養成ギプス!(星飛雄馬のあれです、あれ!)を生まれながらにしてはめられていたとしか思えないですよねえ。そしてその私のなかに眠っていた才能?とやらを開花させるべく、奮闘した親には、、、まあ、いつか「ありがとよっ!」(柳沢慎吾の「あばよっ!」な感じですー)くらい、言える時が来るのでしょう。

かくして、このギプスによる英才教育はその成果をぞんぶんに発揮してゆくのでありました。

(つづく)