Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

「大根買いました」の奥に広がる世界。

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先日ある方から質問を頂きました。

「Warumiさんが思うすばらしい理想の世の中が実現したとしたら、それってどんな世の中なんでしょうね?」

ってね。

今までだったらこの手の質問にはちょっと困ってしまう、というか、つい恰好良いことを言ってしまいたくなる(姫メッキなので!)自分がいましてねー。ちょっとレトリックを考えて凝っちゃったりして、嗚呼恥ずかしい。でもこの問いを頂き、その時の自分の答えへ思いみたいなものがことのほか、自分のなかに少しづつ根付きはじめたなあと実感しています。

その時私は

「あらゆる人が自分なりの表現をしている世界が理想だと思う」

と答えたのでした。

表現っていうと、え?アーティスト??そんなのむりでしょー!って思われるかもしれませんが、私が申し上げたいところの表現、とは前回こちらで書いたような「きゅうりの切り方」ひとつとっても、というところの表現です。

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考えてみれば、例えばスーパーで何かを買う、ごみ箱を部屋のどこに置く、今日どんな風に誰に「おはよう」って言った。これ、全て「私の表現」だと思います。表現はなにも絵を描いたり、踊りを踊ったりすることばかりじゃない。そしてその表現には自分や自分の思い、というものが底に流れているんですよね。

例えばスーパーで何を買うか?ってこともね。いえいえ、もう今日は大根が欲しいからそれ買っただけ!とか、いやいや全部で1000円以内の予算内の買い物をしただけよ!って仰られるかもしれません。でも今一度その動機を考えてみましょうよ。大根を買った方。

 ① 烏賊が冷蔵庫にあったから大根と一緒に煮ようと思って。 

 ② ダイエットに大根がいいって聞いたから今日から大根ごはんにしようと思って。

というような思いがまずあります。もうちょっと行ってみましょう。

 ① 子どもがね、この烏賊と大根の煮物が大好きなんですよ。

 ② 最近コロナでちょっと太っちゃってね。こりゃまずい!って思って。

更に行ってみましょう。

 ① 昨日ね、時間がなくてわっと作ったら夕飯失敗しちゃって!子どもが「でもこれおいしいよ」って焦げたおさかなを食べてね。「あー!明日はママ、〇〇くんの好きなの作るよ」って思って。

 ② このワンピースを今度の後輩の結婚式の二次会に着ていきたいなって思って。今はちょっとキツキツだから、もうちょっとキレイに着たいと思って。新しい洋服買うお金もないし。。

更にしつこく行ってみましょう。

 ① 最近子どもとちゃんと話せていないっていうか。時間がなくてついついあれしなさい、これ終わったの?ってことばっかり言っちゃって。。。せめてごはんくらいは一緒にゆっくり食べたいと思っているのに。。。

 ② 実はね。その後輩の子の二次会、行くって返事はしたけど気が進まないんですよ。。。その後輩の仲間に元カレがいてね。。。しばらく会ってないんだけど。。。どう思います?やっぱり行くのやめようかな。。。どう思います!?

ってこの辺にしておきましょうか。いかがでしょうか?こうやって掘っていくと、自分の取った行動、そしてその行動のやり方って言うんですかね?まさにそれが表現なんですが、その表現の底にこんなに大きな思いの世界が広がっている。

何気なくやっているようで、私たちはこれだけの大きな思いの世界を持ちながら日々生活をしているのだと思います。だから、そこから発出される行動、そのやり方は、その人の思いを遂げるための、そしてその思いを表現するためのものなんだな~ってちょっとまた胸アツになるじゃないか!

そして、その行動って実は自分が思っている以上の無意識の世界に根ざすものでもあります。さっきちょっと掘ったくらいは、うーんってしばらく考えれば浮かんでくる動機なのかもしれません。でもね。それをさらに追っていくと

あれ?なんで私そうしようって思ったんだろう?、ん?全然関係ないこと思い出してきた。あれれれ?ちょっと自分が思っていたのと違ったのかな?え?なんかちょっとそれあんまり考えたくないんだけど。。

なんてことにもなります。ということで、私たちは何気なく大根買ったりしてますけどね!その奥はもう深遠な世界が広がっているのでございますよ☆

だからね、それを「行動」として表出させていることは、すなわちアートだなって私は思うんです。だって思いを形にしてあらわすのがアートのひとつの形態だから。こうやって日常生活でのアート作品を私たちは毎日たくさん作って、他者の作品ともたくさん巡り合っている。

でね、まあもしかしてお金のためにしぶしぶ好きでもない絵を描くアーティストの方もいらっしゃるのかもしれませんけれど、それと同じことが私にもあったなあ!って思ってね。要は思ってるのと違うことしちゃったり、そういうつもりじゃなかったんだけど!ついやっちゃった!みたいなこととかね。それって描きたくもない絵を描いているアーティスト状態なんじゃないかって思うんですよ。

そうやって描いた私の絵を見た人が「あーあなたのこの絵ってなんか好きじゃないわー」って言ったら!「いやいやいや、これはね!描きたかったわけじゃなくてね!お金のためにしぶしぶ描いたもので、私は本当はあんな絵を描いたりしないんですーーー!」って描いた絵の前で言ってもね。でもこの絵は描いちゃってるわけだし。ここで違う絵を描けます!って、ここにその「違う絵」はないんだから、ちょっと説得力に欠ける。。ざんねん過ぎる。。

だからね、作品にその時の自分がそのまんま出ていた方が、言い訳もストレスも少なくて済みますよね。これが私ですよー!あ、そうなんですねー!スキ♡かも♡ってなった方がうれしい。スキにならなくても、これはスキ、これはキライってことがわかれば、自分の中の矛盾が少なくなると思います=疲れない。毎日言ってますけど、疲れないってほんとうに大切なことです。ほんとに私たち、疲れすぎてる!

矛盾から生じるこころの中の摩擦。これは消耗します。そういうのちょっと「影が射しててなんかカッコいい♡」なんて若い頃のWarumiちゃんは夢中になってたもんですが、この歳になると、疲れない方がいいです!消耗なしで何卒!って本気で願ってる!

先ほど大根のお話を延々と展開しましたけれど、大根ひとつ買うのもアート。そしてその奥に広がる深遠なるわたしの世界。そしてもしかしたら、ここに日々のお疲れの原因があるかもしれません。そんな時こそ、Warumiの愛する「無意識」との対話がお役に立つんじゃないかって思います。私として大根を買う!これが私の大根の買い方なのだ!(ばーん!)とみんながそう、自然に表現できるのがステキだと思うのだ。

マッサージや鍼なんかもとってもいいですけどね、無意識との対話もなかなかよいものです。ちょっと気になられた方はこちらの記事もご覧くださいね。

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