Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

わかりやすいに寄せても無駄だったお話。

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一貫したものってわかりやすいですよね。金太郎飴みたいに、どこを切っても同じ顔が見える。切り口によってはたまに顔が長ーくなっちゃったりはするけれど、「ああ!金太郎さんですね」ってすぐわかる。

ひととコミュニケーションを取る時って、この「わかりやすさ」はひとつ基本になるものだと思います。Warumiって人とお話してるつもりだったのに、違う人だった!ってなったら、当たり前だけどちょっとパニックになるよねー。え?え?Warumiじゃないの?違ったの?なんだもう、最初から言ってよ!ってね。

「お客さま全てに同じように接しましょう」「誰にでも同じように親切にしましょう」「態度に表裏があるのはいけません」。私たちって意外とこの「一貫性」の教育ってものに小さい頃から慣らされているんじゃないかなあと思ってます。まあ、正しい。正しいですよねー。

このブログをちょこちょこ読んで下さってる方(ありがとうございます!)って、そろそろお気づきかもしれませんがね。私はかわいい(ここ重要♡)中二病の天邪鬼なんもんでね♡だいたい世の中で「正しい」ってされてるものに対して「それほんとですか?」ってモノ申したくなるんですよ。いつ誰がそれを正しいって言ったのさ?私、違うんだけど!その私の立場はどうして下さるのさ?ってなっちゃう。

もとい。まあもともとそんな性質だってのもあるんですけどね。私はもう小学生の頃からかな~自分の中に色んな顔、というか面、というか、そういうものがあって自分でもなんだこりゃっ?て思ってたんですよね~。

自分のなかに色んな顔、なんて言いますとこんな障害を思い浮かべられる方もいらっしゃるかもしれません。ちょっと前までは「多重人格障害」なんて言われていたこともありました。

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でも私の場合、こういう感じではないんです。自分の中に混沌とした集合体、みたいな場所があって、そこにいろんな自分(の顔/面)が待機している。私はその待機しているそれぞれの自分(の顔/面)については、よくわかっていません。どんな自分がそこにいるのかわかっていない。ただなんかいっぱいいるな、っていう感じはしてるんです。で、状況や相手によってその混沌とした部分から、自分の一部がわ!っと登場してくる、ってそんな感じ。で、どの自分の部分が登場してくるか、正直自分でもその瞬間までわからないんですね~。出たとこ勝負!って感じ?こんな風に感じられていらっしゃる方、いらっしゃいますか?いたらうれしいなあ~同志!って感じ☆

で、同志の方!お察しします。。。。たいへんですよね~この状況。いっぱい色んな面があっても、自分で使い分けが出来るんだったら、自分でもコントロールが出来ることが多くなる。でも、わっかんないんですよねー。さっきまでめっちゃ楽しい!うれしい!って思っていたのに、あれれ?っていう間に、その楽しい!うれしい!を感じていた自分がどっか行っちゃうんですよ。いきなり「無関心」な私が登場してきたりして、自分でも焦る時がある。えええ!?って感じ。

こんな自分である、ということは「一貫性のわかりやすさ」を良し、とするこの世の中でたいへんに生き辛さを感じるところでもあります。小さい頃はそれが「生き辛い」なんて全然気が付いていなくて、ってか生き辛いってどういうこと?って感じだったもんで、まあ、そういうもんだろうな、こういうのって人間みんな大変だよね!って思ってました。ちょっと変わってるっていう自覚はあったけれど、他の人も同じようなもんだと思ってたんですね~。だいたい小説の中に出てくる人って、エキセントリック(独断と偏見です)だから、本読みながら、だよねー!わかるーって思ってた。

で、成長するにつれて、あれれ?ちょっとみんな、違うの!?そんなことしてないの??ってのにようやく気が付き始めたんですね。20代くらいだったかなー。でね。気が付いたのは良かったんだけど、その部分を「自分のダメダメなところだ」ってすぐ認定しちゃったみたいなんですよね。ほら、一般的に「あの人二重人格だよね!」って言ったらもうそれ悪口じゃないですか?きゃーー!そんな風に言われちゃダメ!人から見てわかりづらいのはだめ!ってね。それで「わかりやすさ」的なものに倣って、自分のわかりにくさを出来る限り調整しはじめたのだと思います。もともと調整作業は得意だったから、自分にもそれを当てはめ始めた、と。

この調整には「他者の視線」というものを意識せざるを得ない。要するに、自分がどうなのか、どう感じているかっていうよりも、他の人からちゃんとわかりやすく見えているか、間違っても二重人格!の悪人になってないか?ってチェックが優先されちゃうんですよね。で、そうやって他者の視線を優先はするんだけど、もともとWarumiちゃんは姫メッキなもんでね。他者の視線を優先した後に「??このあたくしがまわりに合わせなければならないってどういうことかしら!?」ってキレちゃうんですよね~。

キレるくらいだったらそんなのしなきゃいいじゃない、って仰られるかもしれませんがね。それが出来るんだったら苦労はないんですよ。ってか自分でもその辺のことがよくわかってなかった。こちとら、自分でも??っていう自分(の顔/面)をいっぱい持っちゃってて、どの面が出てくるかわからずにいる。間違ってその場にそぐわないのが出てきちゃったら、ひぇーー!って自分でのけぞるのがデフォルトだったのでね。

このデフォルト。ほんっとにめんどくさい。もともとの素質がめんどくさいのに、それを外向きに調整をかけようと人工的な介入をして、で、その介入作業に「は?」って自分で悪態ついてる、みたいなことが、他人とコミュニケーションを取っている時に同時多発的に起きてるんです。めっちゃめんどくさいし、疲れるし、もうやってらんねーよってグレたくなる。ほんと。

で、やっていられなくなって初めて、待てよ、と。だいたい「一貫性が大事」ってホントなの?って疑い始めたわけです。ずいぶん大人になってからね。

ある日気が付いたんですよね~。あれ?なんで私こんなめんどくさいことしてるのかな?って。いや、めんどくさいってひとことで言ってしまえば簡単なのかもしれないけれど、自分にとってはそれは習慣?お作法化?していることでもあったから、それはなかなか変えられない自分のことなんだって思ってた。

そこで初めて「なんで一貫しなくちゃならないのか?」っていう疑問に辿り着いたわけです。それも他人のわかりやすさを優先する、なんて言ってね、逆にわかりづらくしてたのにも気が付かずにね~!

わかりにくくて良いではないか!と思いました。だって自分でも自分の事わかりにくいんだもの。そりゃもうどうにもならんだろう?ってね。

一貫性があってわかりやすい。それもいいことかもしれません。誤解が少ない。ああ、こう書いて思ったけど、私、誤解されたくなかったのね~。ちゃんとWarumiってこういう人ですよ、って見てほしかった。だから色々めんどくさい介入をして、余計わかりづらくしてしまっていた、と。策に溺れるってこういうこと!?

もちろん今も武装化が解けたわけではありませんが、まあ、ね。もともと自分でもよくわかんないんですよ、私。だからもう、それでいきます!10秒後の自分のご機嫌なんてわかんない。めんどくさいってよりも、わかりづらいってことの価値が大事ね。なので、内戦はまだ続いていますが、他国は攻撃しないです。だからこわくないですよ~☆と今日は申し上げておきます☆