Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

パッケージツアーは安全ですけど、ね。

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ちょっと前まで行こうという意思さえあれば行けた海外への旅が、こんなにあっけなく手の届かないものとなろうとは!長い時間、旅行会社でバタバタと働いていた身にとっても、にわかには信じられないなあといった今日この頃です。

ところで人生ってよく旅に例えられますよね。いろんな蘊蓄を含みつつ、その人ごとに異なる経験を背景に格言を言いたくなるような。そんなところが旅と人生とが似ている所以のような気もします。

旅行会社でツアーのプランニングをしている時、お客さまの動機と目的(と特別感!)に沿って旅程をつくるということは、旅行会社にとって大切なことでした。それも三方良し(旅行を催行するオーガナイザー/旅行代金を支払うお客さま/実際に参加するお客さま)であることがとても重要でした。

こうやってさらっと書いてますけど、この三方にはなかなかちょっと矛盾を孕んだ関係性がありましてね。皆さまもご経験あるかもしれませんが、神社仏閣巡りを計画してもたいていの学生ちゃんはそんなに喜んじゃいませんでした。みうらじゅん氏級のフリークでない限り「修学旅行の一番の思い出は仏像です!」と仰る方は少ないかと存じます。でもね、彼らが興味あるところ、例えばアミューズメントパーク、とすると今度は「そこに教育的価値はあるのかい?」と、オーガナイザーからこう、刺されるわけです。そして特別感の演出が過ぎると「その料金は高すぎます!!」と、こうなるわけです。この塩梅が実に難しかったなあ。

そしてもちろん、現地の手配先の協力がなければそもそも旅行プランの実現は不可能です。ツアーパンフレットに書かれている旅程表、ご覧になられたことがあるでしょうか?一見何の変哲もなく朝食→車窓観光→昼食→・・・等書かれておりますがね、これをその通りに催行する、というのはなかなかの技と運の良さが必要となるのです。

だいたい飛行機はいつも時間通りには着いてくれません。日によっては数十分の誤差が出ます。たかが数十分、されど数十分。バスというものは、空港を出たら「そこ」でお客さまを待っているもの。しかしバスを「そこ」に待たせるためには、飛行機のランディングの時間を加味し、バスを「そこ」に着けるようドライバーの性格を鑑み、指示をしながらも、その後の予定を睨み、現地の道路の混み状況、お客さまの特性etcetcをケアするというマルチ×10、みたいなタスクが現地係員に発生しています。最初のバスに乗るまでにすでにこの騒ぎ。後は推して知るべし、です。

でね。これってお客さまはものすごくラク、というか当たり前の旅行。旅行代金という対価をを支払って頂いた、旅程&期待通りのスムーズで便利な世界です。でもその裏に、何か失敗したら次の仕事ないかもね!っなんてプレッシャーの下で働いているスタッフが同時に存在している。そのスタッフのハードワークの上に、そのスムーズな旅行が成り立っている。今もそうかもしれませんが、私が旅行会社にいた時には、旅行会社はこの重荷を自らに進んで課すことで、より多くのお客さまからの支持とより多くの送客数を求めているように見えました。

この構図がね、なんかこう、自分、というか自分の人生そのもののようだなって思ったんですね。自分の人生にとってスムーズな快適性を得るために、反面ものすごくハードワークを強いる。スムーズで予定した通り、期待した通りのイベント。快適さ。対価に見合ったリターン。そして自分ではない他者(旅行会社)が作る旅行計画に乗っかる。そういったもののためには、自らにプレッシャーをかけ、ハードワークも厭わない。実に自己抑制が効いているというか、あっぱれであったというか!

それが次に行く観光地であっても、チェックインするホテルであっても。次のその目的がある限りハードワークで以ってその行程をスムーズにいかせよう、とする努力も必要でしょう。見たかったものが見られなかったり、予約したホテルに行きつけなかったらもう、大変!なんのためにここまで来たのー!?ってなってしまう。

でもあまりにも自分の人生を旅行会社目線で管理してしまうとね。時間きっちり。計画通りきっちり。これが至上命令となってしまいます。そうすると、ほんとはここでお茶を一杯飲んで一息入れると、旅先でああ!私は今ロンドンにいる♡っていう幸せ感が高まるんだよなあ、とか。たまたま横に居合わせた現地のひととひとことふたこと交わしてうれしくなっちゃった、とか。そういうことはすべてカーット!そんなことをして時間に間に合わなかったら大変。そこで飲む紅茶が高くてまずいかもしれないし、横に居合わせた人は善人を装ったスリかもしれないし、とにかくリスクは抱えられません。カット、カット、カーット!

かくして旅行は予定調和で進められ、お客さまは安全に家に到着なさる。

どっちが良くてどっちが悪い、ということではないのですが、これはもう仏教における「慈悲と知恵」と同じく両輪で回していくしかない。どちらかに偏り過ぎると、どちらかを著しく損なうことになって、結局どちらの自分もどこにも行き着けず、となってしまう。

私に限って言えば、ですが、今まであまりにも安全策路線に寄り過ぎていたかなあと思ったんですよね。旅行会社で働いてたしね!全体を見ながらリスクに備えるのが得意だったし、働いているうちにもっと得意に成長した。だって、ここではお伝え出来ないような恐ろしいことがいっぱい起こるんですよ、旅行って!!ツアーに参加された方はご経験があるかもしれません。何か想定外のことが起こったとして「だいじょうぶですよ~☆」と添乗員さんがみなさんに仰る頃、その裏では相当数の手が既に打たれています。

で、そんな経験を積むと、旅行なんて危険なことばっかり!ってもう、危険な方にばかり目が向くようになってしまうんですね~。結果多種多様なトラブルを経験→解決したことで経験値があがり、次のトラブルを解決する時の助けになる。しかし、気を付けないと自分自身のメンタリティがトラブルにばかり目を向けるようになってしまい、お客さまがどんな景色を見たいか、なんてまる無視で、ただ全てのトラブルをつぶしてやる!と、こちら側にばかり血道をあげることになってしまうのです。自分が旅行やさんなのか、ただのトラブルバスターなのかもだんだんわからなくなる。

経験値が上がって堂々と構えることが出来るようになる方は旅行業、向いてると思います!私はそういう意味においては向いていなかったかな~。色々気になり過ぎてしまう。で、自分で色々問題を潰そうとする→解決できた&未然に防げた♡→自分からもまわりからも期待値があがる→もっと難易度の高い問題を潰す努力を始める→問題がいっぱいありすぎて、え?それも私の仕事ですかっ!?ってわけがわからなくなる!と、この轍にハマっていたなあ~

そういった経験を経て、今は自分の中の旅行会社の人の比率を2~30%にとどめたいなって思って生活しています。そもそも旅行の主役は旅行会社じゃないしね、お客さまです、って今さら気が付きました。私は私を人生のお客さまとして遇さねば!さもないと、自分の中の旅行会社の人からストライキを喰らってしまう危機を感じています。ロンドンの地下鉄とかバス会社なんて容赦なくストライキに突入しますからね!

トラブルの種類も経験しましたけれど、これからは何が起こるかわからないリスクをお客さまの自分が抱えていきたいと思います。旅行会社の自分には過度なリスクは負わせない。もう人生という旅のフェーズもひよっこレベルから卒業ですからね。失敗して痛い、痛い!と騒ぎながら、その場に居合わせた人に救いを求めよう。旅行のプロじゃないからそれでいいや。まあ、無視されることも、望んだように助けてもらえないかもしれない。それも怖いけど、でも「車窓観光」にはもう、飽きちゃった。ってことで、これからはこの路線で人生の旅に出たいと思っています☆