Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

痛みが連れて行ってくれる場所へ

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私の中にはわりといろいろな、自分でも予測不能な、知り得ない自分というものの集合体がある、というお話を前にしました。

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この予測不能な自分の一部、というものですが、自分に属しているものなのに、自分のコントロールが効かない。というと、おかしな話のように聞こえます。しかし自分に対してコントロールが効くのか?と改めて問うてみるに、いやいや、今日は甘いものをやめておこう、とか、今日こそシンクの掃除をしよう、今度同じことがあったらもっとうまくやろう(後悔)とかね。容易くコントロール出来ない問題が毎日頻発していることに気が付かされる。話は大きくなりますが、19問題も「(今は出来ないけれど)いずれコントロールできるようになる」というゴールを据え、そのゴールから現在を見たところ、希望とか絶望とか、そういった悲喜こもごもが繰り広げられているように感じます。

小さい頃にギリシャ神話のパンドラの箱の話を読みました。覚えていらっしゃる方も多いのでは?と思います。

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(。。。凄いな!TED、ギリシャ神話にまで!)

もとい、世の中に撒き散らかされた厄災に対して、最後に箱に残ったものが「希望(hope)」であったため、いかなる時にも人間は希望を失わずに済んだのですよ、というお話でした。

神話って現代の我々の思考で読んでしまうと、結構ひどい話です。「ゼウスって性格悪いだろ?もともとパンドラに好奇心っていう才能を埋め込んだ上で、開けたくなるような箱を持たせてそこに悪を仕込んでおいたなんて、完全犯罪のサイコ野郎過ぎる!」と言いたくもなりますけれど!しかし、神話や昔話、というのは、こういう現代のコンテキストとは異なる世界に存在するもの。それがものがたりというものの真骨頂であります。この神話もほんとにいろいろなことを考えさせられる、わたしたちの物語を秘めているなあ、と今、ものすごく自分の何かが動いているのを感じています。

今日は夏至で、夢や妖精の世界につながりやすいそうです。真夏の世の夢。そんな夜に「パンドラの箱」か~!うーん。。。

いやね。希望って何なのかな、って考えていたんです。小さい頃にこのお話を読んだときは「希望が残っていて本当によかった、希望万歳!」って単純に思ったんですよね。でもどうでしょう。大人になるにつれ、現実の諸々に遭遇するにつれ、実はこの希望こそが人のこころを苛む元凶じゃないか、とも感じるようにもなりました。もしかしてこれはゼウスが仕込んだラスボスなの?

希望。期待、と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。もしかして明日にはこれが解決しているかもしれない、もっと明るい未来が待っているかもしれない、もっとどうにかなるかもしれない。そんな希望を持てば持つほど、現実がそれに沿わなかった場合、気持ちは更に落ちてしまいます。ああ、また望んだものは手に入らなかった。まただめだった。こんなに叶わないのは、私には望むという資格さえないのだろうか?そんな風にどんどん落ちていってしまう。

確かに希望と期待は違いますね。期待をするつらさ、というものについてはまた改めてじっくり語りたいテーマです。しかし共通項はあって、それが「前を向く」という視点、というか姿勢?なのかな。過去でなく、これからの方を見る態勢を取ること。

ところで、なぜ今つらいのか、痛みを感じているのか。それは過去に起こったことに想起されるあらゆる感覚が、からだの中に総動員された状態だからと言われています。今は、フラッシュバック、とか、トラウマ、という考え方がずいぶん浸透してきましたので、こういった考えをご存知の方も多いんじゃないでしょうかね。このようなつらさや痛みの発出処は「過去」にある、という構造が心理学の中でも主流です。痛みを感じている時に、わたしはここにいるようで、ここにいない。そんな時は過去の自分とぴったり一体化してしまっている。だからここにある事象は今のものであっても、それによって痛みを感じている自分は、過去の自分に戻ってしまっている。

見ている先が過去なのですから、その反対方向を向け、と言ってもできない相談です。仏像じゃないからね、顔はいくつもありません。私たちの顔は一方方向にしか向けることが出来ない。そんな時に前を向け、と。首を無理やりひねって反対方向を向けるようなもの。そんなの首が痛すぎる。

痛みといっしょに閉じ込められている時、前を向くことはつらいです。パンドラがこの箱を持たされていた、というのはそういう状態をあらわしているメタファなのかもしれないなあ~。

そのパンドラには「なんで開けちゃだめ!って言われてるのに開けちゃったの?」と子どもの頃の私は言いたくなりましたが、今の私が思うにこの「開ける」というアクションこそがとっても大切なターニングポイントだったじゃない!とパンドラを誉めたい気分満載です。

「箱」の中にいろいろな痛みを仕込んでしまっている時に、いちばんつらいのはその箱の重みを感じること、そしてその箱に仕込まれた痛みに囚われてしまうこと。それはその箱を持っている人しか感じることが出来ない故に、孤独感まで引っ張り込みます。こんなに思い箱を持っている私の痛みがあなたにわかりますか?と、私もずいぶん思ってきたし、今も思っている。

そうだとしてもね。もう、開けるしかないんです。中身を見るために、というよりも、まず「開ける」というアクション。パンドラの偉業はこれに尽きるのではないか、と思いました。開けずにおいたまま、箱の中身を想像しているなんてそんなにつらいことはないんです。それなのに、持ち続ける他ないんだって思い込んでしまう。だけど、実はその箱を開けずに、中身を見ずに持ち続けることこそが痛みを増幅するものだ、とさすがのパンドラさんは気づかれたのかもしれません。だから我慢ならず、とうとう箱を開けちゃった。

だからね。最後に希望が残ってよかったね、というお話でした、というよりも、Warumi的には、あー「開ける」っていうアクションがようやく痛みを箱から出して、視点を変えてくれたんだね。パンドラの好奇心ばんざい!開けるって選択ができてよかった!って言うおはなしとして今日は受け取りたいな、と、こうなりました。これでようやく過去に氷漬けになることから、方向を逆転させて先を見られる態勢を取ることができる。その時、箱に閉じ込めていた痛みは、思いがけないところに私を連れて行ってくれる起爆剤となります。でもそれには開ける、というアクションが不可欠なんですよね~。

こうやって書いていると不思議なんですよね~。実は私、毎日このブログを書く時まで、自分が何を書こうとしているか、どういう風に書くか、実はまったくわかってないんです。こころにふ、と引っかかった何か。今日はそれが「コントロール」と「パンドラの箱」だったんですけど、こうやって書くとね。ああ、そうか私、そんな風に思ってたるんだ~へー!ってなります。もう何十年もWarumiさんとお付き合いしてますけどね、まだまだ知らないことがいっぱいな不思議。夏至ですからね、不思議ってところも、たいせつにしたいと思います。

私もいろいろ開けたい!(何を?はまだ、わかってない!)

 

 

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