Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

わたしって〇〇じゃないですか?問題に思うこと。

 

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人の性格って何なんでしょうかね~

よく話の端に出てくるじゃないですか?「わたしって〇〇じゃないですか~?」って。〇〇には、引っ込み思案、とか、人見知り、とか、さっぱりしてる、とか、ありとあらゆる自分の性格を形容することばが入ります。

前に「上から目線」シリーズでいろいろと自分のことを書いていた折、「上から目線」の自分って一体どんなものなのかな、とね、自分でも改めて考えておりました。

一般的には「上から目線」という態度はあまり良いイメージがないかもしれません。プライドが高い、高圧的、傲慢、なんか偉そう、圧がすごい・・・うーん、なんか今更だけど「私って上から目線じゃないですか~!」だなんて、、、言いたくなくなってきましたよ。。。

しかしですね~ひとの性格というものは摩訶不思議なもので、例えばこの上から目線的な態度。あんまり気にならないけど~?という人、絶対的にむりっ!もう、そばにいるだけで蕁麻疹が出る!という人、その中間くらいの人などなど、まあとにかくね。人の数だけその捉え方のグラデーションはあるわけです。人によってはAさんの上から目線は気にならない(ってかあの人、上から目線だっけ?って気が付いてない)けど、Bさんの上から目線は許せない!みたいなことも発生する。

ってなるとですよ。余計に、この性格ってなんだろうなーって思うですよね~。だって同じ性格を持つ、とされている人の性格的な受け取られ方ってもう、千差万別なわけですよ。「私って〇〇じゃないですか~?」っていうコンセプトのようなものは、自分の中にあるのかもしれないけれど、正直それが他人から「どう見えてるか」というのはまた違う次元の話のように思えませんかね~。

例えばね「私って人見知りだから~!」ってよく聞きません?でも、よく観察していると全然そんな風に見えない。え~?それで人見知りっていうなら、私の方がよっぽど人見知りだよ!って言いたくなっちゃった、ってご経験の方、いらっしゃるんじゃないでしょうかね?

いやいや、そう見えないように内心プルプルしながら頑張ってた、とか、いやいやたまたま人見知りせずに話せる人と一緒にいたから、とかね。いろいろなご事情はその都度あると思うんです。でも、それは自分が自分にどういう風に感じているか、っていう感情、感覚(それが居心地が悪い、とか、なんかもうお尻のへんが落ち着かなくて、とか)はあっても、それがその人の「性格」として見えているものと、直結するとは限らないのではないでしょうか?

仏教的な考え方の中には、人の感覚(知覚する前のものも含め)がその人を構成する「性格のようなもの」に転じるまでに実に12段階のステップがある、というものがあります。例えば「あ~風がきもちいいね~♪」なんて感じている時にはすでに、そのステップの三分の一くらいは通り過ぎているそうです。で、風の気持ちよさを感じるその前に、体の感覚器(目とか耳とか鼻とかetc)は既に風の予兆とか、風そのものをキャッチをしている。その後のステップになって初めて自分がそれを「きもちいいね~♪」って知覚する。で、そうそうこの感覚すきすき~♡ここにずーっといたいな~♡の段階でもう、性格の種、みたいのがそろそろ出来上がってくる。

その後もうちょっと段階が進むと、それが「〇〇な私の性格的なもの」に転じちゃう、というこのシステム。面白いのは、そこで生じる性格的なものとは、人によって「(気持ちいい風のように)おだやかな私」かもしれないし、「(気持ちいい風がないと生きていけない)神経質な私」かもしれないし、「(気持ちいい風に心を掻き立てられる)ロマンチックな私」かもしれない。同じ風が吹いても、一様に桶屋が儲かる、ということではないようです。

もとい!ブッダはこのように、自分の性格的なものは、乱暴に言ってしまえば感覚的なものの芽からステップを経て発生するのだ、というこのシステムを看破されており、それを人々に説いていた、というお話であります。

そう考えてみるとですよ。もともとね。からだの中に沸き起こってくる、いろいろな感覚。たとえば肩に力が入ってる感じ、とか、おなかのあたりがちょっと力が抜けている感じ、背中がぞわぞわする感じ、とか、足に力が入らなくてだらーん、としている感じ、とかね。その感じ、から生じたものに私たちはどうやら、〇〇な私っていうコンセプトを命名しているんじゃないんでしょうかね?性格に関する、あくまでもひとつの考え方ですけれども。

だから例えば肩に力が入っている私、は、私本人からしてみれば「上から目線の高慢ちき」な私って思っているかもしれないけれど、それを見る他人は「なんかはっきりしていて頼りになる」人って思われている、ってことも、これでああ何となくそうか~って思えませんかね。

それにね、よく、気分って伝染するって言うじゃないですか?ご経験ありますよね?落ち込んでいる人がそばにいたとして、その人の落ち込んでいる感じ、っていうのを、ひとはキャッチ出来てしまうから、自分もいっしょにその人のつらい気持ちの再体験をしたり、そんな人の話を聞いて励まそう!って思ったり、一緒に泣いちゃったりすることが出来ちゃう。だから肩に力が入っている感覚を共有はしているんだけど、それに対してある人は「勇ましい感じがする!」と思い、ある人は「重い感じでいやだ、キライ」って思うかもしれません。その感覚の発出方、或いは表現型によって、ひとは同じような体感覚を感じても、それを違う感情として捉えている可能性があります。いや、人に備わっている実にすばらしい機能ですよね~。

ってことでですね。自分の中に浮かび上がってくる感情って、自分のからだを通して感じている、感覚的なものからくるんだと思うんですよ。例えば人の悲しみ、のような感覚ってこう、胸がぎゅっと締め付けられるようだったり、頭がかーっとなったり、背中が冷たくなったり、等、これも千差万別だけど、それを「自分の感覚」として捉え、そこから「ああ、この感覚は『悲しみ』だ」って判断して、「悲しんでいる自分」に帰結させていく。

ですから、繰り返しとなりますが、その体感覚から生じる人の「気持ち/感情」って同じようで違うのかもしれないのですよね~。ある人は胸がぎゅっとする感覚を「悲しみ」の体感覚として捉え、またある人はそれを「怒り」として表現するかもしれない。特に怒り、というものは、その背後に本当の感情を隠している、として名高い感情ですから、その点からもちょっと誤解の多くなる表現型かもしれません。

で、上から目線でがんがん上司をやり込めていたとしますよ。それを

自分自身は「上から目線の戦士、怒りっぽい」って思っている

周囲の人からは「ひどい人」とか「頼もしい人」って思われている

でも本当は「胸に痛みの感覚」から来る恐怖と戦っていて、それが怒りとして表出している

みたいなことが平気で日常起こっている、というわけですよ。めっちゃフクザツで興味深くないですか?ちょっとでもそんな風にまわりを見始めると、もしかして今まで見ていた景色が変わっちゃうかも。

ですからね、明日職場で何やら事件?が起こったらね、よかったらその時にご自身の体の感覚がどうなのかってちょっと感じてみてください。余裕があったらぜひ☆その事件や事件を起こしている人、にフォーカスせずに、まず自分の体感覚に目を向けてみる。

そうすると、あれ?この感覚を自分は「こわい」って思ってるんだ~って発見があるかもしれません。そして、今まで「あの人〇〇な性格だよね~!」って思っていたものが、もしかしてちょっと変わっちゃうかも??しれませんよ。

そんなことになったら、ぜひ!教えて下さい。あ、全然変わんねーよ!っていうのも、あるあるです。どっちがいい、というのもなし。ご連絡、楽しみにしてまーす!

 

 

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