Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

「正解」ってなに。

f:id:Warumi:20200629234754j:plain

19の世の中にあって、日々、自らを振り返って考えることが多々ある。

最近とみに、じわじわとした確信めいたことが自分のなかにあって、それは「万人に効く正解などない」ということ。いや、もうそれはその通りじゃない?って言われてしまうかもしれないけれど、自戒の意味を込めて今日はこのことを書き留めておきたい。

ちょっとwebを検索すれば「これが真理だ」「あれはウソだった」「それらしい」「真実として見える」「正しそうな」情報は溢れるようにあって、一見、私はその情報の取捨選択ができる自由を手にしているように思ってしまっている。「納豆がいい」と言えば納豆を買い、「この病院がいい」と言えばその病院に行くことが自然と身についている。

そのインスタントな思考や行動は、私がしている判断や選択なのだろうか。本当に私は「自由」のもとに、自分の選択をしているのだろうか?哲学的な意味や考察を深める、ということは私の良し、とするところではないように思うので、あくまでも自分の身の丈で考えている。

例えば、マスクは必要か否か、というテーマについて。これに関しても「正解」とはゴマンと存在するのだろう。なぜかと言えば、マスクを是か非か、とするのは、私固有の世界観や免疫、環境などあらゆるものが、その「正解に対する私の信憑性」について影響する。

マスクを強要される、という世界観でこのテーマに当たる時、私にはまず、自身の親子関係が投影されるように思う。親からの強制、「世間体」を口実とした親の力の行使。恐らく小学生~高校生の時代に感じていたであろう感情が、この投影の上に表出する。この感情論は「感染を防ぐため」という大号令のもとに、自身の個人情報を提供しなければならない、とされた際に湧いてくる感情とまた、大きくリンクするように思う。

一方、自身の身体のポテンシャルを思う。今までの病歴、ここ最近の体調、何かあればすぐに影響する己の身体の箇所のいくつか。風邪や喘息、アレルギーの苦しさの記憶もここに反映される。そして私はどのくらい自分自身の身体のことを知っているのだろうか?そして自らアクセスできる方法をどのくらい持っているだろうか?

また、これまで知り得た知識。当然その知識そのものにどう思うか、という自分の判断が影響するが、それと同等に或いはそれ以上に、その知識を私に運んだ媒介(人であったり、メディアであったり)の信頼性への判断も、その知識を是か非かと判断する自分への影響が大きいように思う。 

或いは自分の生活圏。生活をしている場所。仕事をする場所。そこを行き来する移動の環境。そこの場を共にする他の人々のことも思う。そこには自分を優先するのか、他者を優先するのか、というテーマと、それに付着する自身の感情を抜きにしては判断が難しい。

そしてこれらすべての根幹に、自身の「死生観のようなもの」が大きく関与する。ここは残念ながら少し哲学的にならざるを得ないかな。しかし「死とは何だ」ということを問うというよりも、「死を思う自分」に影響される所が大きいように思う。それを死、と言っても良いだろうし、命の循環、と言っても良いかもしれない。また「どう生きたいか」ということに帰結するテーマの一部であるかもしれない。

マスクの是非をテーマにちょっと振り返って見ても、実にこれだけの背景を自身が持ち得て生きていることに、頼もしくも思うし、と同時にまた、途方に暮れるような気持ちにもなっている。

そして、私ひとりの問題ではなく、世の中の人それぞれが持つ背景さえも、人によっては大きく異なるのだ。ましてや、日々刻々と重なる19時代の日々の体験は、既に個々人で大きく異なってきている。3月からもう4か月という時間が既にたっていて、同じ日本に生きているとしても、私たちの経験値はもう、大きく違ってしまったのだ。

それを「正解」というピンポイントの狭い定義に当てはめに行くことを良し、とは、私にはどうしても思えない。思えないから、つらいし、面倒に思う気持ちがあれどもそれを無視して当てに行くことはできない。

一貫して変わらずに同じ主張を続けること。そして「これが正解だ」と言い切ること。そういった行為は、こういった背景をいったん手懐け、それ以上自分の判断や選択が揺れなくていい、という楽や快を提供してくれる。

その楽や快に抗い続けるのは消耗するし、時に風見鶏のようにならざるを得ないという自分の美意識に反することもなるかもしれないけれど、ここで楽だけを選ぶことは、今後の自分に決定的なダメージを与えてしまうような予感がする。私はそのことの方がこわい。

「マスクの是非」よりは「なぜ是、非と思うのか」という個々人の話を聞くということが、是非を論じるよりも私に必要なことなのかもしれない。

そして、それについて自分が何ができるかな、と今、新たに考え始めている。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ご相談、はじめました。

あなたのぴったり、しっくりを見つけにいきませんか?

warumi.hatenadiary.com

お問い合わせはこちらのフォームからお願いします。

お問い合わせフォーム - Warumiの柱

あなたとお話しする日が楽しみです☆

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆