Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

香港の夜景

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ついに香港にこの日が来てしまった、と知って、ちょっとうろたえている。

香港には二度の思い出がある。そのどちらもが「自分が行きたい」と言い出した旅行ではなかったのだけれど、だからこそ、といってもいい記憶が今も残る。

最初に行った香港は、まだイギリス統治下の香港だった。ちょうど日本ではウォン・カーウァイの映画が流行っていた頃。だから、私はあんなちょっとオシャレでちょっと切ない感じの香港のイメージを連れたまま、空港に降り立った。

街なかを歩き始めると、まちは埃っぽくて、荒っぽい運転のバス(イギリスっぽくそれは二階建てのバスだった)がこわいくらいのスピードで道幅いっぱいに疾走していた。人々はものすごくエネルギッシュで、普通の会話をしているのか、けんかをしているのかわからないくらいだった。まだ空港が街に近かったから、飛行機がすごい迫力で飛び立つのが見えた。

陽は強くて、海からの湿気がすごくて、人と場の物凄いエネルギーに早々にノックダウンと相成った。まちを当てもなく歩き続けた後、アメリカ資本のホテルに帰って、ベッドの上にいきなり横になった。ようやく息がつけた、と思ってほっとした。西洋式の全てが心地よかった。しばらく休んでから、よろよろと立ち上がり窓辺の景色を眺めた。ぼーっとした意識で見降ろす夜のまちはなんだか現実じゃないように思えて、それを見てようやく映画のシーンを現実の香港に重ねる余裕を持てた。

当時はまだ旅行会社で働いていた。だから現地のことも、パッケージツアーを申し込んで下さるお客さまに説明できるくらいの知識はあったのに。そしてその頃、大好きではなかったけれど、行きがかり上見たウォン・カーウァイの映画のイメージもあって、それが私のなかの香港だった。

ホテルで、夜中までなお喧騒にあふれていた街を見下ろしながら、ようやく私の中の香港とのずれ、が見えたように思った。初めての場所で、自分との折り合いがつく瞬間、があるのだけれど、香港ではこの夜景がひとつのきっかけだったと今にして思う。昼間の香港より、夜の香港の方が私は好きになった。

香港滞在中に澳門にも出かけて行った。大仰なフェリーに乗せられて、ついた澳門はあっけにとられるほど人も少なく、まるでキリコの絵の中のようだった。時間の感覚というものが失われていく感じ。カジノのまわりだけが少々活気があったけれど、ほとんどの人はゆっくりと、そしてさしたる熱意もなくゲームに興じていた。この何年か前に同僚と行った韓国のウォーカーヒルを想像していた私は、ちょっと肩透かしをくらった。でもカジノの外に出た後、どっちかって言えばのんびりしている澳門の方が好きだな、と思った。

カジノを出て、歩き始めるとアジアなのか、ヨーロッパなのか錯覚するような家の構えが並んでいて、迷子になっていくような散歩は楽しかった。陶器の壁がかわいいと思ったポルトガル料理のレストランでお昼を食べたのだけれど、全部パクチーの味がしたっていうことしか覚えていない。通りすがりのお店に、ガイドブックでチェックをしていたエッグタルトだけは目ざとく見つけ、いくつか買い求めた。この旅行の食の記憶はもう、ほとんどないのだけれど、この時のエッグタルトのちょっと焦げめのついた甘い味のことは、よく覚えている。

香港に戻って、たぶん旅も終わりに差し掛かった時、ようやくスターフェリーに乗ることになった。

小学生の頃、よく遊びに行っていた父の友人宅があった。その主が「深夜特急」の大ファンで「おじさんな、絶対!沢木耕太郎みたいな旅がしたいんだ、これ、読め、読め!」と酔っぱらっては子どもの頃の私によく本を押し付けた。このおじさんは、旅が大好きだった。ローラ・インガルス・ワイルダーのあのシリーズを読んで、こどもと一緒に熱狂している大人は私のまわりにはそうはいなくて、ローラの一家のことを同じように語れるのが私はうれしかった。自分の子どもよりも、私が本好きなのを彼はよく知っていて、それで会う度に本を持たせたがったんだろう。沢木耕太郎のあと?は、椎名誠に憧れて、ヘアスタイルまで一緒にして「へへへ、似合うだろ」って自慢していた。そのおじさんももう、逝ってしまって久しい。

もとい。沢木ファンの方の間では有名なシーンだろう。このスターフェリーに、だから、用もないってところまで真似して乗った。乗るところまでは香港らしくがちゃがちゃしていたけれど、海に出ると徐々に気分は爽快になった。同じように風景を見て歓声をあげている人たちがいて、目が合うと笑顔で挨拶しあったりした。船のエンジンやらの騒音がからだ中に響いて、それを感じながら海風に当たるのはとても心地よかったのだ。水面の香港の夜景がまたキレイに揺れていて、うれしくなって私は深呼吸をした。そしてやっと、私は香港に馴染めた気がした。旅の途中、はじめて帰りたくないな、と思ったのだ。

あれから20年以上たって、仕事で香港に行く機会が降ってきた。私の仕事と言えば行って、いつもは電話越しにミーティングをしている欧米の人たちと顔を突き合わせて一年ぶりの旧交を温めるだけなので、気楽な出張ではあった。

ほぼ20年ぶりの香港は、あの熱気だけはそのままに、でもずいぶんとキレイになっていて驚いた。空港のシステムも便利にわかりやすくなって、魔窟めいた雰囲気は微塵もなくなっていた。そのまま山の高台にある大学へ向かったのだけれど、その大学の敷地内にあった付属の宿泊施設も普通に欧米の四つ星ホテル並の佇まいだった。そこから遠くに広がる海を見渡すと、もうここが香港だとは信じられない気分だった。

出張中にいちど、街なかに出る機会があった。自由時間が大好きな私は勢い込んで、繰り出していった。もう夜も結構な時間だったので、レストランくらいしか開いているところはなかったけれど、短い時間にあちこち歩きまわるのは楽しかった。建物や地下鉄はピカピカになっていて、お店のウィンドウには高級ブランドの品々があふれていて、香港パワーみたいなものをひしひしと感じた。

でも一歩中に踏み込めば、まだ猥雑な街のつくりはそのままになっているところがいくつもあって、もう真夜中近いというのに、外で輪になって、宴会に興じる現地の人たちがたくさんいた。それはもう、見ているこちらも愉快な気持ちになってしまうような光景で。ああ、もうちょっと時間があったら!あの中に混ぜてもらって一緒にお酒を飲むのに!って思った。

その前日の夕食で、現地で研究の仕事をしている人たちとテーブルが一緒になって、彼らの生活の話を色々聞いたのも、その思いを手伝ったのかもしれない。その中のひとりが、香港は研究者にとってはとても住みやすくてやりやすい場所なんだ、ちょっとお金はかかるけどね、と、香港の仕事事情みたいなことをいろいろと話してくれた。それを聞いていた台湾の人がそれじゃ、香港に移ってくるのも悪くないかもね、僕ひとりだしね。と目線を上にしながらつぶやいていた。なんかいいな、って思った。やりたいことが明確で、それに向かって自由に生活を組み立てて行ける人たち。

たった二回だ。たったの二回。それでも、今日のニュースは私の香港の思い出の中の人たちを思って、心が痛くなるのに充分だった。あの道端で宴に興じていたひとたち、フェリーで挨拶を交わした人、そしてあの研究者たち。そしてあの海に映る夜景。

世界は、世界の中にはひとつとして、同じ形のままでいられるものはない。それは真理だ。とは言え、ほんのわずかな時間すれ違って、もう一生会うこともない人たちだけれど、その自由な生活が長く続くことを願わずにはいられない。

私たちは、今、そういう時代に生きているのだ、と深く感じさせられた日だった。

 

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