Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

ファンタジー讃歌

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敬愛する根本先生の先日のtwitterを拝見して思ったんですけどもね。

 (このタイトルは、仰っておられることの本質に比べるとちょっと過激かも!)

それを「妄想」と言うべきかどうか、は別として、私はファンタジーってわたしたちひとりひとりにものすごく必要、というか、欠くことができないものなんじゃないかな~と思いました。

確かにひとは素晴らしいこの機能を備えていて、自分自身が耐えられないような現実から逃れるために、その記憶を抹殺したり、別のものに書き換えたり、ということを頻繁にします。特に心理学の中ではトラウマのセオリーに、このファンタジーは欠かせないものです。

ファンタジー、という言葉を使わなくてもね。ちょっと前の記憶を近しい人たちで話し合ってみるとおもしろいですよね。ひとりひとり、覚えているところが微妙に、或いは盛大に違う。ひとは自分由来の文脈を持っていますから、その文脈に沿わないところはないことにしちゃう。

そういう、ちょっと合理的ですらある機能をファンタジーと言うべきか、或いは同列で語るべきか、ということもありますけれどもね。その記憶の取捨選択をするそれぞれのひとの中には、それぞれ固有の「文脈」というものがある。

それがその方の信念であっても、座右の銘的なものであっても、経験則から得られた何か、であっても、なんでもなんですけどね。その人に備わっている文脈っていうのが、私が思う所のファンタジーに近いものなんじゃないかなっていう風に思いました。

あらゆる事象って、私の思いや行動になんの関係もなく、ただそこかしこでどっかんどっかん起こり続けているものらしいですよね。でもひとは、まるで夜空の星を星座化するように、その中から自分ものがたりを編むんですよね。

本来の出来事というものは、ただ起こる。けれど、それに意味を見出したい、ストーリーを作り出したいという、ひとの性。それはブッダさまにはちょっとやり過ぎなんじゃないですかね?って突っ込まれるとしても、私はその欲求ってのが、ひとをひとたらしめているように思います。私は自分がファンタジー成分が多めだから、余計にそう思う!

このひろーい世界の中で、その人がその人の文脈を編んでいるからこそ、私は自分の知らない、知り得ない世界をその人の文脈から知ることが出来る。それってほんとに感動する(涙。最近歳で涙もろくなっているせいかもしれない)。

自分には見えていないものが見えている人がいる、或いはそういう世界があるって、すごくないですか?同じこの地球に生きていて、ですよ。横にいるあなたの世界と私の世界とはどうやら違っているらしいんですよ!

もちろん自分の趣味とか、好き嫌いとかありますからね。え!?って思っちゃうような文脈があるってことも否めません。でもねー好きな人が全員かぶらないのといっしょで、全てのファンタジーを受け入れられないのは当たり前ですよね~。それはもう、食べ物の好き嫌いみたいなものですからね。

しかし、だいたこの好きな人ってのが、ものすごいファンタジー!の世界って思う。他の人の好きな人の話を聞くと、へー!って思ったりするじゃないですか?それは人間相手であっても、趣味や二次元相手であっても。敢えて自分にはわからない世界を生きている他人に対する思いって、畏敬の念を湧き上がらせるほどにすごいと思う。

今、いろいろなものがたりや神話を読んでるんですけど、これもねー。書かれていることもすごいけど、その世界観の中で生きていたひとがいた、っていうこの事実に私はヤラレます。

だってゼウスとかもう、やりたい放題じゃないですか!自分が懸想した相手は、奥様の目を盗んで絶対手に入れる!みたいな。そのあと、お相手は奥さんに手ひどい仕打ちを受けるってのにさ。相手が人間でもお構いなしですよ。民主主義なんて一ミリも存在しやしないよ。時々かわいそうに思ったゼウスや他の神様がそっと助けてくれたり、別のものにしてくれたり。それが、今私たちが見ているこのお花や木になったんですよ☆神さまってすげーな!って思ったですよ。

それと、なんか読んでてものすごくわ~!エモいと思ったのが、ケルトのお話の中でね、ふつーに村にいる漁師さんが「水の精(メロウ)にはあんまり会いたくない、会うと必ず天気が悪くなるから」って言ってるとかね。この漁師さんの文脈、彼らの生きていた世界って、私はほんとに知りたいし、あわよくばバーチャルで体験させてもらいたいとも思う。それがその人の話を聞くっていうことなんだろうなって思いました。

だから直接はもう会えないその漁師さんのお話が、こうやって文字で残っていることに、まじ感謝!って思いました。

確かにファンタジーってひとの機能として、とっても有能な働きをしているんだけれど、私にとっては他者の世界観、固有の文脈っていうものを手掛かりに、その世界をバーチャルに体験できる凄まじいポテンシャルの塊!だと思います。

私は私のファンタジーしか持ち得ませんけれど、そのファンタジーが水先案内人のようにひとを出会わせたり、そしてまたそこから離れて行ったり、という、なんだろう?この世界のタペストリーがそうやって編まれているように思うと、ちょっと壮大な気分になるってもんです。

袖振り合うも他生の縁ってのはもしかしてそういうことでもあるのかな、と思ったいちにちなのでした。

今日は久しぶりにからだのお稽古に初参加したので、もう、からだの感覚がすごいことになっていますー!これについてはまた改めて☆

 

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