Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

起爆剤は「悪」?

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ちょっと前からこの本を読みなおしています。 

河合先生が軽い語り口で、しかし、とんでもないことを色々書いていらっしゃるので、時々呆然としつつ、読み直すのにちょっと手こずっているところであります。 

今日も終盤の「無意識の真実」のところで、ほー、、、っとちょっと考えてしまいました。

神話の中において、神さまが所謂「悪事」というものを働くってことがちょいちょいあります。先日もちょこっと触れましたが、ギリシャ神話の中ではゼウスがさんざん浮気をします。黙っちゃいないのがゼウスのお妃のヘラさま。ゼウスの浮気相手を、相手の事情(勝手にゼウスが懸想しただけなのに!とか)などお構いなしで、嬲り殺しにしちゃうみたいなことを平気でする。ところでこのヘラさまですが、そもそも既に「掟の神」であるテミスの旦那さんだったゼウスがヘラにふらふら~っとなったところを、寝取った(失礼)っていう曰く付きですからね。まあ、二度あることは三度ある、じゃないですが、だからこそ嫉妬深かったってことかもしれませんね。

ヘラのすさまじい嫉妬はちょっと置いておいても、河合先生はこの「姦通/姦淫」(平たく言えば密通、浮気、は、ちょっと軽いか?)のテーマが、世界中のいくつかの神話の中に見られる、と書かれています。

また時代背景にも拠りますので、所謂「姦淫」に当たるかどうかは別としても、河合先生は「我身にたどる姫君」の例も挙げておられます。

ja.wikipedia.org

で、なぜこの「姦通/密通」が起こるのかというと、ずばり「民族がつぎの世界へと向かうための起爆力になっている」からだ、って仰るんですよ。何故ならば、神話のなかではこの「姦通/密通」がもとで、異なる世界に移行するということがしばしば語られているからだということなんですよね(詳しく知りたい方は、ぜひ本をご参照ください)。

この「我身にたどる姫君」もさんざん色々なことが起こりに起こって、最後は皇室と摂関家の対立が解消し、理想の帝の世が来るというハッピーエンドになっている。

そっか~さんざん色々あった挙句、と言えば、私的には、イオ/イシスのお話もそうかもしれないな~と思いましたね。

ゼウスに懸想されたイオ(のちのイシス)が、ヘラからこの浮気を誤魔化す為に彼女をあろうことか!牝牛に変えてしまった。一枚上手だったヘラは、この牝牛を無理やりゼウスから貰い受け、それじゃ足らなくてアルゴスっていう目玉が100もある巨人のところに連れて行って、逃げないように監視しなさいよ、と告げる。

牛に姿を変えらたために、ことばを話せないイオですが、とうとう蹄でその身の上を家族に伝え、家族はその牝牛がイオであることを知り、特に父親はもう嘆き悲しんで自分は死にたい、とまで言う。

それを見て流石にかわいそうに思ったゼウスは、ヘルメスにアルゴスを退治するように命じる。で、ヘルメスはもういろいろ手を尽くして(はしょります)アルゴスを倒す。

ようやくアルゴスの監視を逃れたイオですが、なんと!まだ気の収まらないヘラは虻をイオに放って嫌がらせをする。その虻から逃れるために、ギリシャから海を渡り、山を越え、とうとうナイル川まで辿り着いた、と。

ここに至って、初めて!?ゼウスがヘラにごめんなさい、をしたので、イオは人の姿に戻ることが出来て、ゼウスとの子供を産み、またこの後もいろいろありましたが、最後はエジプトの王様と結婚したことで、女神イシスとして崇められるようになった、というお話でした。

神話なので諸説あるようですし、またこのように描かれる地理的、歴史的背景、というものもあるようですけれども、これもまた姦淫から始まる壮大なストーリー、と新たな世界のはじまり、とも言えるのかもしれません。壮大すぎるけど。そしてヘラ、執念深すぎるけど。

河合先生はまた「盗み」についても同じくこの章の中で論じられています。ある特定の布置の中で為される「盗み」は、人の自立への志向であり、またそれがこの「盗み」という悪を創造的に生かす道だと仰られる。

ここにもゼウスVSプロメテウスの話が取り上げられていて、ゼウスをあれこれと知恵を絞ることで騙し、さまざまなものを盗み人に与え、自らは悶絶級の罰を与えられたプロメテウス。それに対し、その盗みを事前に知りつつ、欺かれるという苦しみをゼウスもまた知ることになった、というこの相関関係に親子の関係を見られるのではないか、という河合先生の解釈でありました。

確かに、自分の息子が盗みを働いた、ってことになったら、親(父)はもう、激しく葛藤しますもんね。なぜ息子が盗みを働いたのかというと、これは親子関係において「自立」にものすごい熱量の焦点が当たってるっていうことです。これは親子共々、お互い悶絶級に苦しいけれど、でも、これを契機に親子関係が劇的に変わる可能性も秘めている。危ういところですけどね。

私は、姦淫も盗みも「神様だってしてたんだから♡」と能天気にOKじゃない♪っていうお話をしたいわけじゃなくてね。最近の世相を見るにつけ、なんでこうあれこれとね。本来「悪」とされていることがそのまままかり通っていたり、これまでの常識で言えばダメでしょ~、みたいのが通じなくなってきているのかなって、ちょっと今日、気が塞いでたんですよね~。お天気の所為もあったかしら。

で、たまたまこの本のこの章に当たって、ああ、そうか、そういう見方もあるのかな~とちょっとだけ納得だなって思いました。

もちろん、善・悪っていうものは、その世の中の慣習とか、時代性とかにも影響されます。それと、善行にしろ、悪行にしろ、それぞれ個別の背景と由来を持つものでしょうから、それを簡単に白黒つけたり、裁いたりすることって相当難しいものであるべきだと、思っています。要は何を悪と決めつけて、何を善とするか、ということに葛藤はつきものだ、ということですかね。

得てして私も、清廉潔白な善を尊んで、悪を糾弾する、ということを、簡単にやりがちであるのですよね。しかし、それがひとのダイナミズムを殺してしまい、本来は別の形に生まれようとしているものを殺してしまいかねないのかもしれないな、とちょっとまた考えてしまいました。

もちろんそれが悪を肯定するものではないのですし、悪いものは悪い。けれど、ものごとは何でも多面体。こちらの美談は、あちらの醜聞。逆もまた真なり。こんな多面体をずっと見続けようとすることは、プロメテウス並みに大変だけど(はらわた、やられますよ!)、ここは頑張りどころだよ、と自分に言い聞かせた七夕の夜なのでした。うーん!

 

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