Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

人生のものがたりを自分で書いていく。ユング先生に倣って。

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最近ずっといろいろな神話やものがたりを読んでいる。

ひとつひとつの本を手に取ったり読んだりしているって、偶然の出会いみたいなもので、なんで手に取ったの?っていうと、その時々に違う理由がある。誰かから面白い話を聞いたから、もっとその世界を知りたいと思ったり、夜中に急に、昔読んでいたものがたりの断片を思い出してもう一度読みたくなった!とか、まあ色々。

そういう短いスパンの文脈で、それぞれのものがたりと自分が繋がっているんだけれど、ちょっと引きの視点でみると、ちょっとだけ向こうに違う景色が見えてきたように思う。

昨日、大塚先生のお話を聞いた。

 

話は飛ぶが、私は以前、身分違いでも「無意識」と生きていきます!とこんな風に宣言をした。

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それってこんな体験を自分自身でしたから、宣言できたことでもある。その体験そのものって自分の中でとてもリアルで、コンセプトのようなもの ~私って前座的担当として生きていくんだな!~ については今でも揺るぎないものがある。それは心の中にずっとあるものだ。

一方、それをどういう風にこの現実世界に落とし込んでいったらいいんだろう、、、というところはだいぶ悩んでもいる。

「臨床心理」や「カウンセリング」という世界のど真ん中に自分の居場所を持ち、そこから何かをしよう、ということをもう何年も漠然と考えてはいたのだけれど、なぜか?自分でも不思議なくらい、どうも気持ちがついていかないのだ。

自分が思っている理由はいくつかある。前にも書いたけれど、今の臨床心理の世界があまりにも学術的過ぎてしまっていて、横で悩んでいる同僚には届き難いんじゃないかと思われる点。そして難しいロジックを理解出来ないもの、その経験や資格のないものは語るな、という風に「私には」見えてしまうこと(もちろん、臨床心理の世界はそうは言っていない。私から”そう見える”ということだけである)。

もうひとつ。これは前述の記事にも書いたのだけれど、今の一般的なカウンセリングの中で、カウンセラーとクライアントの対等な関係性というものがあり得るんだろうか、という長年の私の疑問である。もちろんこれも、世間一般のカウンセラーがどうの、ということでない。自分がカウンセラーとして仕事をするとしたら、そこに対等な関係を保てるか”私には”自信がない、ということなのだけれど。

こういう観念的な思い、みたいなものは山のようにあるのだけれど、じゃ一体どうしたらいいんだろう?というところで、スタックしている。当たり前だけど、カウンセリングをやりたい人は順当にカウンセラーになるべく、勉強や経験を積んでそうなるのだ。それがいわゆる「順当なやり方」なのだ。

でもこの順当な道がどうにも自分にひらけてくる感じがしない。だってしっくりこないのだ。いやそれ、ただやる気の問題じゃない?と自分でも自問自動したのだけれど、でもやっぱり食指が動かないのだ。でもそうだったら、どうすればいいんだろう、私は一体どうしたいんだろう?とちょっとばかり途方に暮れている。

こんな最中に昨日の大塚先生の言葉が大きく響いた。それは「ユング心理学は知的なエリートに独占されるべきものではないのではないか。むしろ、それは市井の人のためのものではないか。」という言葉だった。

それは、ユング心理学ユングが自らに対峙することでユングが拓いていった道/地図のようなものである。ユングから私たちがまず学ぶべきことって、自分の人生のものがたりは、そうやって自分と対峙する以外紡ぐことが出来ないんじゃないか?ということなのだ。

私たちは自分が体験したものしか体験できない。どんな情報や身代わりを置いて疑似体験をしたとしても、それは幻みたいなもの。どんなに本を読んでも、人の話を聞いても、感動しても、泣いても、それを自分事としない限りものがたりは展開しない。

展開しないものがたりは、私たちを少しづつ、でも確実に疲れさせてしまう。ものがたりのワンシーンをなんどもなんども繰り返していなくてはならないからそこには、ただ単調な繰り返し作業としての人生しか存在しなくなる。

そして、そうやって繰り返しているうちに、そこからもうどうやってこのものがたりを展開していくべきなのかわからなくなってしまう。わからなくなって、逆にそこに留まって疲れる方が、いっそものがたりを展開するよりも楽じゃないか、なんて気になったりもする。

でもそうじゃない。ものがたりは自分で書き続けていくべきものなのだ。自分をワンシーンに刺しとどめてはいけない。だってものがたりってそもそも、展開していくものだから。

そうか。だからなのか、とちょっとだけわかった気がした。最近、神話や昔のものがたりを読んでいる私は、どうやら今からの自分の展開をどう書こうかな、と、ずっとものがたりを練っているらしい。自分が思っていたよりも、もっと深いところで。

そして、ユング大先生に出会うってこういうことなんだな、ってちょっと感動もしてるし、すごくしっくりきている。このしっくり、っていう感覚は私にとってとても大事なもの。

もうちょっと泥臭いものがたりにしていきたい。その代わり、自分で書きながらわわっとプチコーフンするくらいな感じの展開で。

今、この瞬間、そんな風に思っている。

 

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