Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

「パリでメシを食う。」に助けられた話。

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ロンドンで働いていた時のこと。日本のものってすごく高価だった。今の有難い世の中、だいたいの食材や調味料、納豆なんてのも普通に手に入る。けれど、それが日本で買う何倍もするのだ。キューピーマヨネーズがひとつ700円とかって!買おうと手に取ると、ちょっと震えたりしたものだった。

それは本もまた然り。ある程度の本は買える。新刊の文庫本、なんてのも並んでいる。雑誌もちょっと遅れで最新号が手に入ったけれど1冊何千円もして、これにも震えた。あの頃はまだkindleも世に出たばかり?で今のようにお手軽に見られなかった。だからといっては何だけど一時帰国で日本に帰る時は、その埋め合わせで何時間も書店で過ごした。私はもともと本屋さんであてもなくずっと本を見続けていると、ほっとする性質なのだ。だから久しぶりに日本の書店で何時間も過ごせて、私はとても幸福だった。

川内さんの本に出合ったのも、最初?二度目?の帰国の時の幸福な書店めぐりの時だっただろうか。そしてそこでこの「パリでメシを食う。」に出会った。

パリでメシを食う。 (幻冬舎文庫)

パリでメシを食う。 (幻冬舎文庫)

その時川内さん、という作家の存在はまだ知らなかった。棚に並ぶその本を手に取って、ちょっとおもしろそう、パリの話みたいだし、何かの役に立つかも!って、他にも山のように買った本と一緒にロンドンに持って帰った。

ロンドンはその時ちょうど冬だったように記憶している。かの国の冬は、夕方4時過ぎには暗くなるし、仕事でうまくいかないこともあったり、風邪が長引いたりしてちょっとへこんでいた頃だった。

バイリンガルでも何でもない私にとって、一日中英語漬けの仕事は、新しいことをしている興奮も手伝い、それなりにチャレンジングだったけど、やっぱり大変だった。連日の難問解決ミッションが続いたりすると、時々ひどく疲れる時があった。そんな時は英語の世界に背を向けたくなる。何かを拒絶するように途端に英語が口から出てこなくなる瞬間が訪れる。パタン、と英語世界への扉を閉じるような感覚。

そう。それが日本語の世界に閉じこもるタイミングだった。文字通りに自室に籠って、日本語の本を読むのがそういう時の日課だった。

そしてそんなある日の夜、日本から運んで来た川内さんの「パリでメシを食う。」を何の気なしに手に取った。重い本は読めそうになかったし、もしかしてその時はもう、ロンドンや日本以外のことに触れていたかったのかもしれない。

その日は本当に疲れていた。それだけはよく覚えている。理由は覚えていないのだけれど、とにかくひどく疲れていて、おまけに落ち込んでいた。口を開けば誤解だらけ。何をやってもうまくいかない。そんな疲れだった。そんなお疲れモードの中で、この本を読み始めたのだった。

本を開いて最初ちょっと意外に思った。もっと軽いエッセイのようなものだと私が勝手に思い込んでいたからかもしれない。そこに書かれていたのは、その時の自分と同じように、気が付いたらパリで生活を始めていた、という人たちの生活だった。ひとりひとりの、ひとつひとつ全然違う生活。共通していたのは、それが偶然にしろ、意思にしろ、その時やるべきことに向き合っている人の話であり、それがパリで起こっているっていうことだった。

ロンドンに比べると、パリは私にとってもうちょっとだけドライな場所、というのがその時の私のパリのイメージだった。ロンドンの街はパリに比べるとほんのちょっとだけ暗くてウェットで、何かきゅっと詰まっている感じがあるのに比べて、パリにはドライでがらん、としていて、かわいた空間のようなものを感じていた。何でそう感じたのかうまくことばにできないのだけれど、パリのまちを歩いている時にそんな風に思ったのだ。そしてロンドンでは感じないような、自分の存在が薄くなっていくような不思議な感覚を、私はパリで感じたことがあった。孤独感とはちょっと違う。なにか透けていくような感じ。それはロンドンをその時ベースにしていた私の事情もあるかもしれない。この本を読みながら、そんなパリで感じた思いのようなものが自分の身体のなかに蘇ってきた。

そんなパリの感覚を思い出しながら、夢中になって一気に最後まで読んだ。あのちょっとドライでがらん、としたパリで、こんな風に生活をしている人たちがいるんだな、、、と、ぎゅっと心を握りしめるようにしてページを繰った。

華々しい成功物語でも、お涙頂戴の下積み時代物語でもない。その時にたまたま興味を惹かれ、出会った、そこで生きる人たちの日常と思いが語られている。ひょっとしてもう、会うこともないかもしれないような人たち。そうかもしれないけれど、でもきっと一生その人のことを忘れられないような、不思議な出会いの話が綴られていた。

パリのがらんとした空気感と、その出会った人たちのことをまっすぐに書く、という川内さんの文章の潔さが相まって、この本はとても不思議で魅力的な独特のリズムに溢れていた。一見表面は静かなのだけれど、その奥に1本、ろうそくの芯のようなものの熱さがこの本を貫いていて、それがいつの間にか、自分のからだの中にもそっと引火されたように感じた。そしてこの本を読み終わった時、異国暮らしにあんなに疲れていた自分がずいぶん遠くに感じられた。頭のなかがしん、としていてうまく言えないけど、自分に引火されたものにあたためられたように感じた。なぜか、まるで私も川内さんに話を聞いてもらったように感じたのだ。

重くのしかかるような孤独感が、いつしか爽快な疲労感に変わっていた。窓の外のオレンジ色の街灯の光を見たら、よく眠れそうな気がしてきた。同時にとてもパリに行きたくなった。川内さんのように、橋の上からパリの街を見たくなったのだ。もしかして次に行く時は、パリの自分がちょっと違って感じられるかもしれないな、と思った。

そう。あの夜、私は川内さんのこの本に助けられたんだった。誰とも何の話もしていないのに、自分の抱えた何かをわかってもらえたような気にすらなっていた。そういう意味で、この本は私の恩人でもある。そしてその後何年かして、また彼女の別の作品に出会った。そしてこんなにまた元気づけられるようになるとは!この時はまだ知らなかった。だから本との出会いって素晴らしいって思う。

川内さんが思い切って国連を辞めて下さったおかげで?私はほんとうに助かったのである。いつかこのことを書いてお礼が言いたいと思っていた。今日、こうやって書くことができて私はとてもうれしい。

 

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