Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

つらい。けれど、後に宝となる生きづらさに思うこと。

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例えば自分の人生、出来事、運、性格のようなものの中に、既に自分は〇〇にはなれない、とか、縁がない、とか、ムリだ、と諦めてしまっているもの。そんな諦めが自分の中にあるように思う。

幼い頃は「〇〇になりたい」とか「〇〇がほしい」とか無邪気に願っていたはずなのに、アンラッキーなことに、その願いを叶えることが出来なかった経験がいくつか重なる。そしてある時、自分はそれを手に入れることが出来ないのだ、と結論付け、そしてその喪失感に傷ついてしまう。それ以上傷つきたくない、それ以上は耐えられないと思うから「〇〇は私のキャラじゃない、私には〇〇は要らない」としてしまう。

今日この本を読みながら、改めて自分の中に大きな諦め、みたいなものがあるメカニズムがすっと見えたように感じた。

サターン 土星の心理占星学 新装版

私は占星術は正直、詳しくはない。「しいたけ占い」あたりを読んで、毎週月曜に励まして頂いたり、大好きなSUGARさんのこの占いを読んでは、煩悶、悶絶したりするくらいのふつうの星占い好きである。

それでもユング占星術が重なり合っているところには、ピンポイントでとても興味があって、自分の星まわりをチェックしたり、ギリシャ神話を照応しては、うーん、とこれまた唸ったりしている。

今日たまたま、自分はここがつまづいてるなあ、、、と改めて感じたことについて色々思うところがあって、自分の「土星」についてじっくりと調べて考えた。

占星術に詳しい方は既にご存知かもしれない。が、この「土星」というのはその人の人生において、その人が制限や困難を感じる、ある種の生きづらさみたいなものを象徴する星であるらしい。この土星がどの位置にあって、他の天体とどう関係しているか、によってその困難の種類?がある、というあたりはThe 占星術だ。

しかしこの本の中では、あなたの困難ってこれじゃないですかー?ってことだけが述べられているだけじゃなくて、その困難を抱えてしまうメカニズムはこうじゃないですかー?とも書かれていて、それは、もろに心理の世界にかぶっており、誠に興味深いのである。

本によると、私のホロスコープはこの土星と金星の関係性がちょっと激しめ、だそうである。まさに幼少期に自分が得られなかったものに絶望して(!?)、「もういいです!私はそれ、ムリってわかりましたから、決して望みません!」とばっちり決意しちゃって、自ら幕引きをはかってしまっている。でも、その絶望感のもっと奥底には「ほんとうはこれが欲しかった。。。」という切ない願いが押し殺されていて、その押し殺されている願いがか細い声で「苦しいよう。。。」と訴え続けている。これはもう、自らの願い?に対する虐待のようなものだから、そりゃ苦しいよね、、、と虐待されている私の願いにほんとに気の毒だし、何なら申し訳ない思いでイッパイになる。

そして土星ってのは、私の人生においてこの構図を演出?している、ちょっと厄介な星だそうである。ひど言い方をしてしまえば、不幸製造&投影機の如く?か。

でもね。これは占星術を離れて思うのだけれど、これまでの私の思い込み上、これはもう、たいへんなギフトであり、ひとつの指標?みたいなものなのだ(そうは素直に言いたくない気持ちもありつつも!)。要は「ここにあなたが望んでいた、宝に化ける何かが眠ってますよ」と教えてくれるのが、この不幸製造&投影機のお役目なのである。

人ってどうやら、何のひっかかりもなく、苦労もしない、疑問を持たないことに対しては何の興味も持たないものらしい。まさに私も自分の生きづらさの根源に、自分と人との関係性、そしてその関係性によって引き起こされる様々なドラマ、という一大テーマがある。小さい頃から、このテーマに自分が何の苦労もなく、悩みもしなかったら、心理学を学ぶこともなかっただろうし、今こうやってブログを書くこともしていなかったと思う。良くも悪くもこんなに人の気持ちを察したり、汲むことも出来なかっただろう。

そしてそれはどんなに恵まれたように見える人の上にも起こりうることらしい。恐れ多くもゴータマ・シッダールタは何不自由ない身分に生まれ、ありとあらゆる富や幸せを手に入れられた。にも関わらず、その環境の中でなぜか「苦」について深く憂慮したことから、お釈迦様への道を歩み始められたわけである。お釈迦様にとっては、その恵まれた身分や環境こそが不幸製造&投影機だったというわけだ。

この不幸製造&投影機の存在を、人はどうしたって意識せずにはいられない。そして、気づいた後は、自分の中の眠れる&暴れる猛獣に「お前は猛獣じゃないんだ!目を覚ませ!」と忍耐強く対峙しなくてはいけなくなる。これが誠につらい作業であるから、どうも人はそれを環境や他人の所為にしがちである。

お釈迦様が悟りをひらくまでに長年修行をされたように、しかし、私たちも何らかの忍耐を以て、この猛獣を飼いならさなければならないようだ。それは、まさにお釈迦様が悟りをひらくための瞑想中、マーラがあの手この手でお釈迦様を悟らせまい!と頑張っちゃったことにも重なる。

ja.wikipedia.org

(怪物を送り込んできたり、色仕掛けにしたり、お釈迦さまを悟らせまいとマーラも頑張ったのである。)

そしてこのマーラを退けることが出来た時。人はどうやら、たいへんな宝・贈り物を得ることが出来るらしい。それは心のなかで押し殺されてた本当の願いが叶う、という形で。それはお釈迦様が「悟り」という願いを叶えたように。或いは「美女と野獣」の野獣が数々のベルの献身と愛によって無事、王子さまの姿に戻るように。そういった意味で、私たちはどうやら内なる野獣に忍耐強く接して、本来の願いの姿をこの人生に出現させるために、不幸製造&投影機を装備して来ちゃったようなのである。なんとまあ!!(もうちょっと人にやさしいシステムにしてほしかった。。)

私に限って言えば、だけど、たぶん自分のこころの中に虐げられている願いが、まだ猛獣に見えているんだろう。いや、これだけ長きに渡って虐げられれば、願いはそりゃ猛獣に化けて当然だ。正直、猛獣に対応するのは気が思いけれど、彼を猛獣のまま閉じ込めておくことは忍びない。この人生が終わるまでには、どうしても!この願いを王子の姿にしてあげたいと思う。それが私にとって願いが叶うってことであり、宝となるはずのものだから。

ご自分の人生や出来事、お悩みのなかに、もしも生きづらさを感じておられる方がいれば、ご一緒にいかがでしょうかね?どこかで一緒に頑張ってるよ!って方がいらしたら、私も相当励まされます。生きづらさのもとは色々。それは人間関係かもしれないし、愛情、家族、お金、仕事、出世、名声?ダイレクトに幸せ?あと何だろう?とにかく、それでつまづいて、それにずっと悩まされている生きづらさの根源のようなもの。それこそが、私たちの土星であり、魔物であり、そして宝となるはずのもの。もしかして人生の一大目標にしてもいいくらいなのかもしれない。

今はもう、ただの魔物にしか見えないけど、やっぱりそれが宝でした!って自分でも言いたいし、数多くの方のそういう体験や瞬間に立ち会っていきたい。魔物を退けるまでに相当大変な思いをしてしまうこともあるだろうから!お互い「ああ、それは大変でしたよね、本当にお疲れ様でした。実は私もね、」なんて、語り合ってみたい。あらゆる魔物や猛獣の姿を想像しつつも、そんなことを思ったいちにちでした。

 

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