Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

一本道。曲がりくねった道。

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。。。すっかり忘れていた。世が世なら?今頃は、トーキョー・オリンピックが華々しく開催されていたはずの日々だったのだ。テレビのニュースでそれを思い出し、なんとも言えない気持ちになった。

本来であれば、オリンピックに出場し、活躍する筈の選手の方たちのコメントを聞きながら、しみじみ切ない気持ちになった。このオリンピックのためにあらゆる努力と犠牲を払って得たチャンス。これがこんな前代未聞のアクシデントで、宙ぶらりんの状態になるとは、去年の今頃、誰が予測出来ただろうか。無常とはまさにこのことである。

それにしても。まだ若い身空の選手の方々の立派さと言ったら。立ち居振る舞いやその物言いに、彼らの親世代のこちらとしては、恥じ入るばかりである。その立派さたるや、非の打ち所がない。

厳しい鍛錬を積んだ結果、そのような立派な風情になられたのかもしれない。幼いころから見知らぬ大勢の人の視線を浴びて育ったが故?の独特の、洗練された大人さ加減をも感じる。

ひとつの目標に向かって、一心不乱に努力する姿は美しい。まさしく非の打ち所がないうつくしさである。三日坊主である私にとって、努力をし続けるという行為そのものが既に神々しい。そして、その努力の合間合間のステージにおいては、勝てば栄光が手に入り、負けてもそこにはドラマが生まれる。色々テレビの演出もあるだろうから、ご本人の本当の意向は正直わからないけれど、好むと好まざるを得ず、まっすぐな一本道を邁進されておられるのは間違いないだろう。

まっすぐな一本道の人生。境地を目指し、難関をクリアしていく人生。これがテレビで華々しく放映され、それを見る私たちは感嘆する。スポーツ選手だけではない。「情熱大陸」や「プロフェッショナル」に代表されるような、ひとつの道を究める、という人生のロールモデルを讃える番組はゴマンとある。そして(私はやらないから本当のところはわからないけれど)子どもたちから大人まで夢中のゲーム自体が、ひとつひとつの段階をクリアすることで次に進めるような設計になっているんですよね?なんだか、一億総まっすぐ教、みたいなものじゃないだろうか、今のこの世の中は。

そう、私たちはまっすぐな一本道、専門を極める人生の尊さを幼いころから見聞きし、その素晴らしさを刷り込まれている。幼いころから例えば、親からそのような人生を期待されるのだ。ちょっとピアノが弾ける、ちょっと絵が描ける、それだけでうちの親が数十年前に何と言っていたかと思い出すと、恥ずかしさに身震いする。学校では先生が、クラブ活動をしていればそこのコーチや顧問が、習い事の先生が、まっすぐな道を歩めと子どもたちに奨励する。

しかし。私たちの中のどれくらいの人たちが、実際、まっすぐな道を歩む人生を送れているというのだろうか。小さい頃から目指すところがはっきりとしていて、それに向かって歩める人がどのくらいいるのだろうか?

何度も迷いながら、未だにはっきりとした人生の目的などもわからずに、寄り道だらけの人生を歩いている。そんな方も少なくないのではないだろうか。学生の頃思った夢をつないで、社会人になり、それからいろんなことを経験しつつも、それでも一定の道を目指せた人は、逆にとてもラッキーな人じゃないかと思う。ツギハギだらけの偶発的人生を送っている私から見ると大変にまぶしい。しかし、私のような曲がりくねった人生を歩いておられる方も、同じくらい、いやそれ以上にいらっしゃるんじゃないだろうか?

よくテレビにも取り上げられる子どもの頃の卒業文集の「将来なりたい職業」。それさえも、本当に自分がなりたいと思ったものを、私は書けなかった。書けなかった、というより、自ら目指したい未来像がなかった。小学校卒業の折には、その時の担任の先生が期待している、彼が喜びそうな職業を書いた。自分がなりたいものなど、全く思いつかなかったのである。人の期待に応えることが、いちばん自然で大切なことだと疑いもしなかったから。まあ、私のようなこんなこまっしゃくれた子どもでないにしろ、あの時「大統領」だの「天皇」など無邪気に書いていたあの同級生たちは、どんな道を歩いて、今、何をしているんだろう。

そう。本当の意味で何かを自分で決めて選ぶ、ということをある年代になるまで、私はして来なかった。一見、我と気が強そうに見えるが故に!そして本当に割と大胆に決断するので、まわりの人から見ればまさか、私が自分の人生を自分で選択してなかった!なんて嘘だ~と言うだろう。

しかし瞬発力で選ぶしかなかった、というのが本当のところだった。決めきれなかったのは自分の意思がわからなかったからだなんて、自分でも気が付いていなかった。だから勢いでどうにかしていた。気が付いたのはずいぶん歳をとってからである。自分が自分を見事に騙していた。もうびっくり!である。

しかし、そんなからくりがあったことを知って尚、本当に何を目指すべきか、なんて未だにわからない。わからないまま手探りで歩いている。今もそうなんだから、きっとこの人生が終わるまで、そんな風に寄り道だらけのくねくね道を歩いていくんだろう。

オリンピック選手のようなまっすぐな人生を送れる人って、いいなーーと未だに羨望する。それに比べて、、、と我が人生の曲がりくねりぶりにため息もでる。ため息をつきつつ、でも前に進むしかない。

ひとつだけ一本道よりいいことがあるとしたら、それは、こっちの道の方が休憩スペースがいっぱいあったことだ。曲がりくねってるから、歩いているうちに迷いに迷って「もう知らんわー!」とそこに座り込んでしまうことができた。曲がってる道で座り込んでいても、まわりからはよく見えない。そんな感じだから、こちらからも、他人がどんなにまっすぐな道を邁進していようがよく見えない。

この歳になると、この道、休憩スペースのありがたさがちょっとだけわかる気がする。そしてThe Beatlesのこの名曲のシーンも。この歌詞の中に閉じ込められて、もし、まだ泣いている自分がいたら「こっちの道も悪くないよ♪」と声をかけてあげたいと思う。未だに「あなたの場所」はどこかなんてわかってないけどね☆

Many times I've been alone
and many times I've cried
Anyway you'll never know
the many ways I've tried

何度もひとりぼっちになって、その度に泣いた。
そんなこと夢にも知らないと思うけど、ものすごく頑張ってたんだよ。

But still they lead me back to the long and winding road
You left me standing here a long, long time ago
Don’t keep me waiting here, lead me to you door

でも、またこの曲がりくねった道に連れ戻されちゃう。
ずっと前にここに立ってなさいって置き去りにされたけど、
もうそのままにしないで。あなたの場所まで連れてって。

 

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