Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

「変わりたいけど変われない」とお嘆きの貴兄に

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日常、ふとした時に「あー!また同じことしちゃった~」とか「嗚呼、なんて成長がない。。。」とかってね。とかく自分のことを責めがち、というか、ちょっと厳しい目で見てしまう傾向がある人って、少なくないんじゃないかなって思う。

当たり前だけど、自分との付き合いは自分が一番長いわけだから、自分の行動や発言のパターンは自分がよーくご存知なのである。だから「またやっちゃった~(涙)」って思いがちなのもムリはないのである。

人って、なんとなくそういうことをやりがち、言いがちな自分っていうのを「これが自分です」と思って、それを拡大解釈していくと「自分の性格」とか「自分の特質」っていうことになる。要は何かあった時に「そういう風に考える自分」「そういうことを思いがちな自分」っていうのを、私は引っ込み思案です、とか、私は割と戦闘的なタイプです、という風に解釈をしていくわけだ。

それってこのフクザツな世界を生きていくために、とっても便利なもんだなってね、思うのである。仕事とか家のこととか、毎日やること、考えなくちゃいけないことはたっくさんあって、自分がどういう傾向のある人なのか、とか、会社のあの人はこういう傾向の人なのか、なんて考えているヒマも余裕もない。

だから自分はこういう人、あの人はああいう人、という看板みたいなのがあった方が、日常生活は圧倒的にスムーズである。ああ、自分はまたこれをやってしまった→自分は意思が弱いから仕方ない。とか、ああ、あの人またあんなこと言ってる→あの人は〇〇な性格だから、あんなこと言うんだな。とかね。そんな風に思うことって、実は自分にとって混乱が少ない方法ってわけ。それに対して落ち込んだり、怒ったりすることはあっても、「自分がこういう風に世界や自分やあなたを見てますよー」という大前提はそのままでいられるからだ。

っていう「大前提」がベースになるのが、今日のお話です。今日は自分が変わりたい、って思っている方に向けてお伝えしたい。

あー自分が変わりたい、自分を変えたい、と思う時って、だいたい人って自分にちょっと絶望感がある。冒頭に書いた通り、「あーまたこれやっちゃったー」とか「言っちゃったー」と、忸怩たる思いでいっぱいになっている状態なんじゃないかな、って思う。

で、なんでそういう風に自分の事を思ってしまうかっていうとですよ。先ほどの「大前提」という話を持ち出させて頂けば、それって「自分に対して混乱が少ない方法を選んでいる」ってことなんですよね。

え?どういうこと??って思われましたでしょうかね?

「〇〇出来ない自分」「〇〇なことをしてしまう/出来ない自分」っていうね、そういう自分の看板を掲げておくことは、日常生活を送る上で混乱が少ない。それは自分が他人に対して「あの人は〇〇な人だ」と思うのと同じ構造である。〇〇な人に対しては、こういう風に言っておけば/やっておけばいい、っていう自分なりのお作法、態度を持つことが出来る。なんなら既に持ってる。で、自分の中にある、そのお作法に則って、そのように言ったりやったりすると、〇〇な人は自分が思った通りの反応をする。で、ほらね、やっぱりね、あの人〇〇なんだよね、というお作法が正しいって証明されて、強化されるって仕組み。

だから、時として自分の中のそういった考えを覆すようなことに出くわすと「え!?意外!あの人、そんなことしたの?」みたいにびっくりしたりする。このね、「びっくりする」のが人ってね、あんまり好きじゃない、キライなんです。なぜって?だってそうだったら、自分の中にせっかくある「お作法」が使えなくなっちゃうじゃないですか?それまで、あの人の行動とか発言とかね、色々把握してスムーズにコミュニケーションが出来るように、お作法を確立しているのにそれが違う、ってなったらね!

あんなデータもこんなデータも取って、大方針を決めたのにそれが有効じゃないってなったら。がっくりしちゃう。今までのあれはなんだったんだよ!ってなる。

そう、そうやって自分コンピューターは大混乱。え?あの人、そういう面もあるんだったら、今まではこう言ってたけど、こういう風に言った方が良いのかな、とか、いやいやそんなわけはない。あの人は〇〇なんだから、そんな風に言ったらだめだって!とかね。そんな風に思い悩まないといけなくなる。それって超・めんどくさい。またいちからデータ取り直しかよって、ちょっとイラっとする。

でね。自分が変わりたいって思っている方。「自分を変えたい」という状況の時にね、このイラっとするめんどくさい構図が、そのまま自分の中に出現してるんですよね。

乱暴な言い方をしてしまうと、自分の知らない・意外な面を見るよりも、〇〇な自分に絶望している方が、実は自分的に圧倒的にコスパが良いんですよ。

だって、ほら、いちいちまたデータ取りにいかなくて済むし。もし自分が〇〇な自分じゃなくなっちゃったら、〇〇な自分じゃないことを言わなくちゃいけなくなったり、しなくちゃいけなくなったりね。ほらもう、考えただけでめんどくさくないですか?

ってことでですね。「また私、同じことしてる。。。自分を変えたいのに。。。」って思っている方、安心してください。実はもう、変えたい自分っていうのは自分の中にある自分なんですよね。〇〇な人が意外な一面を持っているように、自分の中にも変えたい自分は既にある。

「またやっちゃった!」っていうのは、そのデータを「やっちゃった方向」に取りに行ってるだけなんですよね。なんで?って、そっちの方が慣れてるから。営業だって、既にお得意様のところに行った方が楽じゃないですか?そこにいけば成果はあがる(=データは取れる)し、何より既に知ってるお客さまの方が、営業に行くのも気楽ってもんだ。

「やっちゃってない!」って方にデータを取りに行くのはね。気が重いんですよね。それはキライなあいつのイヤじゃなくて、すごいな!って思う面を見るのが気が進まない(だってあいつは〇〇みたいなクソな奴だから)のと、やってることは変わらない。そのまま嫌ってた方が対応がラク

ですからね。自分が変わらない、とお嘆きの貴兄に。自分が変わらなくて絶望しちゃうのは=めんどくさいってことですよ、とお伝えしたい。ええ、めんどくさいだけなんです。それが自分への絶望ってものの正体です。

仕方ないな、、もう。めんどくさいけど、データを取りに行く場所を変えるよ!って思い至った時点でね。変われます。いやもう、その時点で変われてます。データを取る場所が変われば、え?こんな自分もいるの??っていう違うデータが必ず取れます。そのデータが取れれば、自分は一時期大混乱になるかもしれない。でもその大混乱こそが、自分が変わるってことです。

だからね。自分を変えるって、自分の性格とか悪いところを直すっとかってことじゃないんですよね。ただデータを取りにいくところを変えればいいだけ。その途中、嗚呼やっぱり私は変わらない!って絶望しかけたら、ああ、自分はめんどくさいって思ってるんだな、と、ちらっと思って頂けたらですね。自分のその気持ちの持っていき方を、ちょっと変えられるかも。

ってことで、安心して違うデータを取りに行きましょう。その時点でもう、自分は変われている。私はそう思います。

 

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