Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

Warumiの勘違いーいい人にならなくっちゃ編

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本日はお久しぶりの「勘違いシリーズ」第二弾です。

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で、このお話のルーツは小学校の時にかるーいいじめの対象になった時に遡りたいのですけども。

いじめって言っても、今問題になってるような凄惨なやつじゃなくて、せいぜいね。クラスの女子たちに口をきいてもらえなくなる、とか、遠足のグループ作る時に最後まで仲間に呼んでもらえない、とかそんな感じ。

(余談ですけど、あのシステム!ほんとにやめたらいいと思う。ご経験あります?何個かグループを作る時に、先にリーダーみたいなのを何人か決めて、そのリーダーがひとりづつ自分の仲間を選んでいくやつ。あれだあれ。そりゃ既に「お仲間」がいる子どもたちには良いシステムだと思うけどさ!こちとらお仲間いないの!最後まで選ばれないってのが露骨に可視化されるんだぜ!って申し上げたい。今でもそんなのやってるいるんでしょうか?)

もとい。まあそれでもね、小学生のこころはかなり揺れたり、傷付いちゃったりしたわけですよ。誰かに助けてほしかったな~。残念ながら親は頼りにならなかった。彼らはね、子どもがスーパーヒロイン(お勉強が出来て、クラスの中心にいて、先生に好かれてる)だと思い込んでましたからね。。(嗚呼!)そこに「私、いまいじめられててつらい」なんてつまりは言えなかったわけ。てか、彼らは毎日壮絶に喧嘩してて、そんな話が出来る雰囲気なんてなかったんですよね~。まあ、珍しくもないお話です。

で、本題の今回の「勘違い」なんですけどね。この時に(多分8~9歳くらいの時かな?)「私は人に好かれるような素晴らしくて清く正しい自分に、自分を改造しなくちゃいけないんだ!」って思っちゃったこと。頼れる人がいなくって、自分で答えを出した結果がこれだった~

これもねー!前回の勘違いのお話の時にも書いた通り「清く正しい」ってね。はき違えると自殺行為だよ、って子どもの時にね~教えてほしかったよね!って怒りたくもなるってもんですよ、ええ!

というのも、その時の私の中にはこんなロジックがまかり通ってました。

みんなと仲良くしてもらえないダメな自分がいて↓

だからそのダメな自分を改造して↓

みんなと仲良くするどころか、あわよくばみんなに好かれて持ち上げられるような子になりたい!↓

だから「みんなに好かれる、清く正しいいい人」になる!

。。。。もう、子どもの頃の自分を目の前に正座させて「ちーがーうーだーろー!そっちじゃない!」と盛大に突っ込みを入れてあげたい。今そんな勘違いをしようとしている子どもがいたら、私は黙っていられないと思います。

いや私の場合確かにね。そういう態度や言い方じゃないほうがいいよってことは、山ほどあったと思うんです。私ってほら「上から目線」教育のエリートでしたからね。ちょっと想像してみて下さいな、そんな奴の態度って鼻につくじゃないですか?

だからね~今だったら私、その頃の私に言ってあげられる~「それって自分の気持ちの表現方法が違っちゃってるだけだよー!」ってね。

で、更に大切なのは「あなたがやろうとしている方向の『改善』って真逆で報われない努力だからね!」っこと。これは大声で言ってあげたい。

そうなんです。その時私が思った&目指したところの「いい人」ってねー!端的に言うと嘘つきになるってことだったんですよ。心のなかで邪悪なことを思っても、人を見下しても、そんなの思ってませんよ、見下してませんよって「良いところしか見えないようにする」っていう方向。

いやいや、ほんとのいい人になればいいじゃないですか?って思われるかもしれませんけどね~。これはまたふかーい話になるので、別の機会にゆっくり考えてみたいと思います。今回はまあ、乱暴に言ってしまうと、大抵の場合「いい人」ってのは他人から見た、いい人ってわけですよ。その人がどうであろうと、その人が「いい人」に見えたってだけの話。

例えばあなたが誰かに、この人いい人だな~って思う時、その人は「そうです、私がいい人なんです!」なんて言わないですよね~いい人ってのは本来そういうもんです。そしてそれは人が勝手に思うもんなんですよね。自分が目指すべき境地ではない。

ってことでね。小学生の私に話を戻すと、その時私は自分を矯正することに結構頑張ったと思います。矯正=自分が良いと思わないものを誉め、仲良くなりたいがためにおべんちゃらを言い、仲良くもなりたくない子にも自分からすり寄っていく。書いててあちゃー!って感じだけど、これはこれなりにたいへんな努力だったと思います。

まあ、結果ね、生活は見た感じ穏便にはなった。私を糾弾していた女の子が、その数か月後には逆にみんなのいじめの対象になる事件もあったりして。うーん、、、世の中って無常だわ~(平安貴族風に)って思う余裕も持てるようになった。

でもね~!見た感じ穏便だったけれど、自分が思ったような「いい人&人から好かれる人」になれていない自覚があった。それに自分でもとても不満でした。こんなに頑張って「上から目線」の自分を抑え込んでいるのに、費用対効果が割に合ってないじゃん!ってね。真剣に思ってました。だからそれ、真逆の努力してる証拠だよ!ってことだったんですけどね。

子どもの頃の自分には難しかったと思うのだけれど、変えるべきは自己表現の態度でした。自分の思ってることを相手にどう伝えたらいいのかってことだけだったんですよね。大人になってから理解したんだけど、「上から目線」なんてその人の本質じゃなくて、臆病者の態度でしかないよ、態度の問題だよってね。本当はそこをわかる必要があった。

でも私は「自分が外からどう見えるか」にばかりフォーカスして、自分の思いとか感覚ってものをぎゅーーっと押し込めてしまった。とにかく人から見てキレイでウツクシイこころの持ち主ですよってアピールすることだけに血道をあげていたわけです。

そりゃ叶わないよね~!でもね。それが真逆の努力だよってことをわかりはじめるまでに、それからずいぶんと長い年月がかかったように思います。成長するにしたがって、その「いい人に見える」ってのが、巧妙に変換、アップデートされたってことも理由かも。例えば仕事で有能だって思われること、だったり、人からいつも頼られるってことだったり、素敵な趣味をお持ちだってことだったり。もう、弊害でしかない!

で、本来私が持っているエキセントリックな魅力をねー、どんどん圧縮しちゃったんですよね。なんて言っても、エキセントリックだって黙っちゃいなくてね。狭いところに押し込められるのを嫌って、時々ぬっと姿を見せてきました。それって人をぎょっとさせちゃうみたいなんですよね!ほら、普段は「わたし、常識的なとってもいい人ですよ♡」体でいますからね、ち、ちがったの!?って、化け物の正体をみた、みたいに他人はショックを受けることがある。私は人から「わかりにくい人」って言われることも少なくなかったんですけどね。これがその理由のひとつだったんだな~って今では思います。

ってことでですね。私がここで申し上げたいのは、「いい人・出来る人・親切な人」だなんてもんは間違っても目指すもんじゃありませんよ、とお話。何十年の人体実験込みのご提案!

それを目指した時点で、本当の自分の魅力を押し込めちゃうし、だいたいそれを目指して態度ってバレちゃうんですよ。人から見たらバレバレ。あーあいつ、ウソつきだぜ!って見えちゃう。本人は努力しているのに、ウソつき呼ばわりされて、おまけに自分の本当に持っているものを殺しちゃう。費用対効果悪すぎ。

いいことなんてひとつもありませんからね~!

さっさと辞めて、いっしょに逆向きの努力をしましょうね~☆

 

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