Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

明恵上人が好き。(その1)

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何年か前の夏のはじめに、京都の高山寺に行った。目的は「明恵上人」。

私が「明恵上人」という人物を知ったのはかれこれ17~8年前。河合先生のこの本を読んだことがきっかけだった。

明恵 夢を生きる (講談社+α文庫)

明恵上人、という方は平安末期の1173年生まれ。奇しくもあの浄土真宗の祖である親鸞聖人と同じ年のお生まれである。

一般的には親鸞聖人の方がメジャーでしょう。日本史を学ばれた方なら、鎌倉仏教のところで出てきた親鸞の名前をご存知の方も多いかもしれない。同時期の僧侶であったにも関わらず、残念ながら明恵上人については一般的にはあまり知られていない。

その理由のひとつに、明恵上人というお坊さんは、特定の宗派に属しきれないお方だった、ということが挙げられるんじゃないかと思う。例えば曹洞宗、とか、臨済宗、とかですね。仏教には宗派ってものがある。それぞれに悟り、とか、極楽、と呼ばれるところの「境地」に辿り着くための道は、宗派ごとに異なるのだ。ちゃんとその道を辿れるように宗派ってものがあるって言ってもいいのかもしれない。

で、明恵上人。なんでまた宗派に属しきれないお方だったかっていうと、ひとことで言えばユニークすぎる。ひとつのカテゴリーにはまりきれないお方。Extraordinaryって感じ。

何がそんなにユニークかっていうと、明恵上人って仏道を邁進する、というよりも、ブッダに、そしてこの世界の森羅万象のあらわれ、というものに恋しちゃった、仙人のようなお方なんじゃないかって私は勝手に思ってる。そのエピソードも結構ぶっ飛んでるものが多くて、私にとってはインスパイアの宝庫とも言うべき存在なのだ。

明恵上人の何がユニークかって、まず自分の見た夢を詳細に、そして長期にわたって記録していたという点。19歳の頃から夢を書き始めたと言われているけれど、それから60でお亡くなりになるまで、夢の記録と時にその解釈を書き残し続けた。

なんで夢を書こうって思いついたのかな?と不思議に思っていたのだけれど、河合先生によると、当時の仏教界では夢というものが大切に扱われていたとのこと。見た夢から何かを受け取るってことと、その夢を見る事自体が修行のひとつだってことだったらしい。確かに夢で神さまに会った云々、っていう宗教的な体験したって話もよくありますよね。

だから明恵上人が夢を記録しようって思い立ったってことはそう、不思議じゃないかもしれない。しかし心理学も何もなかった時代、夢で見たことを現実を使って完結、成就させようとした明恵は、仏教人としても、その生き方にしても異色中の異色の存在と言えるだろう。明恵上人にとって、人生の主題、そして仏門を極めるということとは、そのまま「夢」を生きるってことだったのだ。まさに河合先生の本のタイトル通り「夢を生きる」僧侶である。

しかし「夢を生きる」ということはそう簡単なことじゃない。明恵上人のように、夢と現実の皮膜が薄く、常に夢の世界と現実世界を行ったり来たりすることは並大抵ではないのだ。と言うのも、夢にはそれだけの底知れないパワーがあって、人はその夢のパワーの恩恵に預かることが出来る反面、下手をすると夢に飲み込まれて溺れてしまうという恐ろしい面も持っているからである。

あのユング大先生も、私たちが今、恩恵に預かっている、膨大な成果を得る以前、無意識の奥底までふかーくダイブする必要に迫られた。そこから生還されたからこそ、ユング心理学が存在しているけれど、無意識にダイブするということは、深海に潜るのといっしょで、無意識の奥底まで潜るのは自分を危機にさらす行為にもなり得る。潜った後は水上に上がって来なければ死んでしまうように、また意識界にちゃんと戻ってくるってことがどれだけ大切で、且つたいへんな精神力を必要としたことかと思うと、ユング同様、明恵上人とはまことに稀有な方だと思う。

さてそんな明恵上人の夢には、いくつかのテーマがある。そのうち最もエキセントリックで私が大好きだ~!と思うのが、ブッダ、仏を思うそのこころの強さである。帰依、というよりはもう、恋?と見まごうかのような強烈なパワーを持つその思いたるや!私はこの明恵上人が、もう、やったらめったらにない純粋さで、仏を求めるこころの熱さにいつもやられる。喚起されるところが半端ない。

その思いは明恵がほんの小さい子どもの頃から持っていたものらしい。当時4歳のかわいいさかりの明恵に、明恵の父がそんなにお顔が綺麗ならお上に仕えさせようか、なんてからかったのだ。それを聞いた明恵。「自分は僧になるのだ!」と火箸でそのかわいいお顔を自ら傷つけようとしたというのだから驚きである。たったの4つで、ですよ?後付けエピソードなのかもしれないけれど、万が一そうであっても、そんなエピソードがつくくらいの仏の道をいくのだ、という強さと純粋さをお持ちの人物だったということだ。

そしてそれは仏門を目指す、というよりも、とにかくブッダその人への思慕なのである。境地を得たい、とか恐らくそういうことじゃないのだ。とにかくブッダそのものへの憧れの思いがやまないのである。憧れすぎて、隣のお寺の仏像宛に手紙を書いたくらいなのだ。そしてその最たる思いが「ブッダの国天竺に行きたい!」という思いである。もう、なんだろうか、憧れのスターの聖地に行きたい、というファンの熱い気持ちに通じるものがあるじゃないか。

結局その天竺(インド)行きの夢は、明恵自身が見た春日権現のご宣託の夢や、おみくじによって諦めることとなるのだけれど、でもね。あの時代、日本に伝わったお経を読んで、そこまでブッダのことをひとりの人として立ち上げたイマジネーションの豊かさってすごいと思いませんかね?私たちがこの時代になってVRの技術を手に入れたというのに、はるか昔、明恵上人の中にはもう、VR的世界が広がっていたのだ。それってものすごくビビッドで、リアルな世界だったんだと思う。でなければ、遣唐使だってたいへんな時代に、天竺に行きたい!なんて想像もできないじゃないかと思う次第である。

明恵上人のこのイマジネーションって、これも私が大好きで参っちゃうところなんだけれど、自分のこころを向ける相手がもう、節操ないくらい自由だったってところだ。先ほども書いたけれど、仏像にお手紙を書くなんてのは序の口。これもぶっ飛んでるけれど、なんと「島」宛にもお手紙を書いて、お弟子さんに届けてね、なんてお願いしちゃってるのである。

島にお手紙。。。なんというイマジネーション!これが、明恵の無意識の底に潜る力の凄さを物語っているのだけれど、河合先生曰く、それだけじゃない、と。この島にお手紙を書いて、島を人と同じように見立てることを通じて、仏教の教理をお弟子さんに示しているのだ、というのである。これが現実世界と無意識を軽々と行き来している方の態度と思うと、私は興奮してもう震えちゃうのだ。

(つづく)

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