Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

「結果」にまつわるエトセトラ。

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それは若い頃、新入社員の頃会社の上司からよく言われたセリフ。

「とにかく結果を出せ、結果が全てだ。」

「大人の世界は子どもの世界と違って、プロセスなんか誉めてはもらえない。」

「だから結果を出すしかない。認めてもらいたかったら、方法はそれだけだ。」

このフレーズを聞く度に、ひえ~!大人の世界って厳し~!って思っていた。そういうの、好きじゃないなあ、、、と思いつつも、まあ大人の世界ってそうなんだね、と思っていた。それに疑問を持つこともないままに。

会社では毎月の営業会議があった。予算未達の月は、もちろん会議の前にとっくにそんなことわかっていて、とにかく会議がユウウツだった。会議準備のために電卓を叩きつつ、目標予算をクリアできていないことにどう言い訳をしようかと、言い訳のことばっかり考えていた。

会議中、今月は〇〇万円の未達です!すみません!って言うだけじゃ許してもらえなくて、どうしてなんだ?って問い詰める切れ者の課長の前で、どうして予算を達成できなかったのかという説明をしなくちゃいけなかった。何をどう説明しても、彼らから見れば結局仕事っぷりが甘い、ということに尽きるのである。言われるまでもなく、それは自分でもよくわかっていた。

今思えば、だけど、あの頃から私は予算をクリアする、みたいなことに真剣になりきれなかったのだ。いや、利益を出すために真剣に努力しよう、工夫しなくちゃって気持ちだけはあった。けれど、身体が全面的についていかない。結局、自分でも納得いくような努力行為は出来なかった。出来なかったけれど、最終的には帳尻を合わせて、上司が言う所の「結果」というものを何とか示し続けた。可もなく、不可もなく、まあ一応なんとか達成しましたって感じ。自分でも手応えはなかった。

それが営業目標であっても、私にとって目標ってのは、実に気が重いものだった。目標予算を生き生きとして追っている先輩や同僚はおかしい人たちだと思っていた(そうは言わなかったけど!)。数字をクリアすることに、あんな風に取り組める人たちがいるんだってことが、ちょっと信じられなかった。

思い返せば、私にとっては会社の営業目標と、学生の時に試験でいい点を取ることって、ほとんど同じことだったみたいだった。学生の時は、試験や単位はなんとなくやっているうちに、そこそこでクリアするってことが自分のデフォルトになっていた。ものすごく優等生でもなく、落ちこぼれでもなく。まったく勉強しないわけでもないけど、猛勉強はしない。まあまあ、そのくらい点数があればいいんじゃない?合格っていうライン。まあ、どっちかっていうと要領だけで世渡りしてきた感は否めない。

で、ですよ。大人になって随分と経ってから「あれ?これってなんかちょっと?」って違和感を感じるようになった。発端は、自分で好きなはずのことをしても、どうも気が乗らない、というのを発見したことだった。

試験の点数や営業数値だったらまあ、気が重くてもそうおかしくもないかもしれない。だけど、本当は自分が好きな筈のこと。それは文章を読んだり書いたり、絵を見たり描いたり、歌ったり、旅に出たり、とかそういうことなんだけど、それですらある日「気が重い」と感じている自分を見つけてしまった。明らかにやれば楽しいのに、どうにも始めるのに時間がかかったり、やり続けることがつらく感じてしまうのだ。

あれ?ほんとは好きなことじゃないのかな、、、と思ったこともあった。まあ、いくつかの趣味はそういうこともあったかもしれない。好きじゃない、というよりも、義務感でやっている感じ?

そう、義務感。

なぜ好きなことに対しても、義務感みたいなものが降ってきちゃうのかって考えたんだけど、やっぱりね。どうもこれは幼少期の思いぐせが残っているんだという結論に至ったのだった。

私の父親は、ちょっとしたことに動揺する性質である。強面で若い頃は瞬間湯沸かし器そのものだった。ちょっとでも自分が思ったようにならなかったり、うまくいかないことがあると、だいたい母親を責めていた。責めるって、たぶん父としては責めている感覚はなかったのだと思うのだけど、それを目の前にしている私からしてみれば、充分責めたりなじったりしているように見えた。

それは例えば、母親が行きたい、といったお店が休みだったり、車の運転中、父が「こっちだろ?」と母に聞いた道がいっぽん間違えてたり、とか、ほんとにそんな些細なことだった。そんな時、あー間違えちゃったね~あはは!お父さん、違うよ~ドジだね~(笑)みたいな展開には絶対にならなかった。

「だから言ったじゃねーか!」と父が声を荒げ、母は不機嫌になって黙るか、キレるかどっちかだった。子どもとしては、それが目の前で繰り広げられても、まあ大したことはないよって気にも留めてないというふりをしていたと思う。車の中の空気がそれ以上深刻にならないよう、けんかに新たな火種を提供しないよう、私は関与しませんよ、という呈で、おし黙って車の外を見ていた。

そう。この結果が思ったようにならない場合、理不尽に責められるってのが、私が幼少期から「結果を出さなくちゃならない」時に感じる感情の源だった。結果というものは、自分じゃなくて他者が設定するもの。そしてそれを設定した他者は、設定した通りの結果にならないと、ものすごく怒ったり、怒鳴ったり、不機嫌になるって決まっていた。

それだけではない。なじられたかわいそうな母。不機嫌になって空気を凍り付かせる母をそこから救出しなければならない、という仕事もまた私が負うものだった。少し大きくなると、母の代わりに父に「うるさい!」と怒鳴り返したり、「いい加減にしろ!」と言い返して役目を果たした。

そう、私は「結果」から自分が連想するものすべてに、父と母の両方の面倒をみなければならない、という設定をいつの間にかしてしまっていたようだった。

「結果」というものは、他者の思い通りでなければならない。父をがっかりさせてはいけないし(母を怒鳴るから)、母を救わなければならない(母が不機嫌になって雰囲気がめちゃくちゃになるから)。これが私が結果とか目標とか、とにかく何かを目指すって時に身体に出現する、あの何とも気が重い感じと直結していたのだった。

そしていつ何時も「結果」をいつも求めてやまない父にも、ほとほと嫌気が指していた。ドライブの行き先だけじゃなくて、子どもの成績や素行まで、なんでもかんでも「結果、結果」と求めてくる父に、自分でやればいいじゃん!って何度言ったことか。それでいて、彼らが一応満足する「結果」を出してあげるってことは辞められないのだった。

そう。これじゃあね。そりゃ「結果」ってものが伴う、と自分が思っているものをやるのが重くて重くてたまらなくなるだろうよ、ってことに、とうとう気が付いたのだ。私にとって「結果」ってものがね。自分じゃなくて他人の世話をすることだってことになってたし、「結果」ってものは出したら、だいたい他人から文句言われるもんだっていう設定になっていたのだったからだ。

そりゃ、困りますよねー!確かにこれは気が重い。無理もない。

ってことで、それを気が付いた時から設定を自分軸に何度も修正をして、今に至るわけである。今でもまあ、結果を出すことに苦手意識は免れないのだけれど、若い頃よりはだいぶましにはなったように思っている。たまには癖が発動しちゃうんだけれど、そんな時は「結果に責任負う必要ないよ」と自分に声をかけてあげることにしている。

なのでね。何かこう、気が重ーく感じることがあるっていう言葉とかね、態度。そんなときはちょっと自分のルーツから洗ってみると、なんで自分がそんな風に思っちゃってるのかってことがね、わかるってことがあるんですよね。

それで人生バラ色になるわけじゃないけど、設定し直すってことは、ひとつひとつ自分がラクに生きるためのよいトレーニングなんですよね。自分にもいいし、まあ、親のあれこれを恨まなくするためにも、設定し直しってのは必要なものだなって思う次第である。

 

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