Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

これまでの目標設定って、自分軸じゃなかったみたいです。

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唐突ですが、何かの目標を立てる事ってお好きですか?

例えば何か達成したいことー試験の合格とか、ダイエットとか、留学のための貯金とか。そんな何かの目的のために建てる目標。

思い返せば、子どもの頃からこの目標を立てる、ということが私はあまり得意でなかった。得意でないと言うより、あまり好きではなかった、と言った方が正確かもしれません。

一見ね。普通に、人並みに、目標というものを立ててきたつもりでした。中学生の時には、例えば中間テストではこのくらいの点数を取りたい、とか、その頃部活でやっていたバドミントンでは試合に出たい、とか。大学生になればなったで、旅行資金をバイトでこのくらい貯めたいとか、夏までには何キロ痩せよう!とか。

日常生活の中にそういった目的というものは常にあって、まあ、それなりに頑張ったり、頑張れなかったりしながら、ひとつひとつ達成出来たり、出来なかったりしてきました。

そう、目標というものは、私にとっては達成出来たり、出来なかったり、というものだった。その程度のもの。

そのこと自体、特におかしいと思ったことはありませんでした。まあ、自分に甘いのはいつものこと。貯金が少々目標に足らなくても、ダイエットが間に合わなくても、まあ、そこそこ出来てればそれでOK。それ自体、よくあること。

目標を全部クリア出来ちゃったら、神さまレベルです。人生なんでも叶っちゃう。だから、目標ってのはそういうくらいのものなんだな~って思ってました。必要に迫られれば、それなりに自分に必要と思われる目標を立てる。運と努力が噛み合えば達成。運か努力が足りなければ未達成。

そう、なんだかそんな風にふわっとしてたんですよね。ふわ~~っと、なんとな~く目標設定して、なんとな~く達成したり、なんとな~く達成しなかったり。

だから私はいつも達成して死ぬほどうれしい!!とか、死ぬほどくやしい!!とか、そういった感情から無縁でした。なぜって、それに無縁でいたかった自分がいたから。

このふわ~っと、というのが、実はたいへんな無力感の影響だったのだ、ということをですね。とうとう発見&自覚しました。

良くも悪くも、私には器用貧乏な特質があります。環境適応能力というのでしょうか?その偏差値は結構高めだと思います。浅く広く、であれば、すれすれ合格ラインで通過出来たことが多かった。学校でも会社でも「それなりに」適応が出来て、それなりにやり過ごして来てしまったんですね。

そんな自分に自分が騙されてました。目標(〇〇を達成する)をだいたいクリアできているから良いだろう、クリアできなくてもまあ、それは仕方ない。人生そんなもんだってね。

実はそれって、私にとって私の目標であって私の目標ではなかった。他人の思惑を自分の目標だと勘違いさせて、だからそれに対して夢中で頑張る、ということが出来なかった。だからクリアできてもできなくても、自分の心は何となくふわ~っとしてました。

そもそもね。苦手だったんじゃなくて、怖かったんですよね、目標を立てるってことは、自分の本当の願望ってものと対峙しなければならない。そのことが怖かった。他人の思惑で目標設定をして「人生そんなもんだ」って言っている方が慣れていたし、怖くなかったのでしょう。

だってね、この無力感ってやつは、自分の望みなんて叶うもんかっていう呪いなんです。望みさえ持たなければ、何も怖くないよ、だから分不相応な望みなんて持つなってね。自分が自分に言い続けている。それが無力感の正体。

だから自分の本当の望みというものを、薄めて薄めて、目標の濃度3パーセントくらいにしておく。残りは他人の思惑に乗っかって、はい!これが私の目標ですってことを、もうずーっと繰り返していたとしか思えません。そうしておけば、なんとなくそれが自分の目標のように錯覚出来たし、3パーセント程度の本当の望みが叶ってもさほど嬉しくはないし、叶わなくてもさほど悔しくはない。97パーセントは他人事ですし。

実はそういうカラクリだった、ああ、自分ってこうやって目標を立てることを、自分の本当の望みを自分で標榜することを避けて来たんだな~って、クリアにわかりました。

他人軸の自分では何かと不都合ですよ、という教えは世の中にもあふれている。わかっていたのに、わかっちゃいたけど、自分では気が付きづらいものなのだな~と唸るような気持ちでいます。

それも当たり前かもしれませんね。他人軸で生きているなんて、自分で自覚していたらそりゃもうそれをやめたくなるか、つらくて仕方なくなるか、どちらかです。

他人軸で生きることをやめることで悲しむ人(特に親)がいる、と潜在的に思っていると、自分が他人軸で生きているだなんて気が付かないように、巧妙に自分を騙します。これは特に幼少期においては、自分が生き延びる術でもあった。私もこれで生き延びることに成功したんだと思います。自分の器用貧乏の才能の源って、この生き延びる努力の末に獲得したものじゃないかな、とも思います。

けれど成長するにつれて、この依存状態での他人軸人生は、別の不都合を引き起こしてしまう。そのひとつが「自分の本当の望みがわからない(と言いつつ、自分にわからないようにしている)」ということだったかもしれません。

人生がほんとの終盤になる前に気が付けたことは、自分を誉めてあげたいと思います。と同時に、これまで他人軸に依存することで回避していた、怖さという感情とうまくやっていくことを今度は学ばないといけませんね!

もしあなたが、自分の人生がちょっと他人事のように思えたり、何かに真剣になれなかったり、嬉しかったり、悔しかったり、という感情がまったく感じられなかったりしていたとしたら。

もしかして、それって他人軸で生き延びてきた副作用が、そろそろ出現したということかもしれません。お互い、まずは生き延びることが出来たことを喜んで、自分を誉めましょうね。

気が付けばそこから立ち位置を変えればいい。他人軸で生きることだって、楽な道じゃありません。それだけ他人軸を貫けた根性と愛情があれば、立ち位置を変えてもだいじょうぶ。

人生長いんですから、ある時期が来たら軸を変えて参りましょう☆きっとそれも悪くないはずです。

 

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