Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

夢野久作、杉山家一族に思うこと(その2)

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本日もこちらの続きです。

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前回触れた夢野久作のお父さん、茂丸氏。私が書いたことなど、茂丸氏のエピソードのほんのさわりだけなのだけれど、彼の見つめていた世界の広さたるや。それを知っただけでも、なんだかこちらの胸がひらかれていくような思いがする。

この茂丸氏の大アジアへの夢、というかライフワークは、夢野久作を経て、お孫さんの杉山龍丸氏に脈々と受け継がれていくこととなる。

夢野久作という人は、小説家の他にもいくつもの顔を持っているのだけれど、私が一番意外だったのは、彼が農園を経営していた、ということだった。これは本当に勝手なイメージなのだけれど、どこかに閉じこもってずっと文章を書いたり、思いを巡らしたりしている人なんだと勝手に思っていた。

「杉山農園」と呼ばれたこの農園。設立の経緯含め、いろいろな趣旨があったようだが、それが杉山家一族だけのため、というよりは、世の中の人のため、ということだけは確かなようである。これを夢野久作が茂丸氏から受け継いだ資産で開園したのだという。そしてその息子さんの龍丸氏はこの農園で生まれた。断片的な情報からでも、龍丸氏が幼いころから「世の人のために生きるとは」という思想を、祖父、そして父から農園と共に受け継いだようだ。そしてこのことが、後の龍丸氏の行動の原動力となった。

16歳で祖父茂丸氏、そして父、夢野久作を亡くした龍丸氏。その若さで家督を継ぐなんて、私にはちょっと想像も出来ないくらいだけれど、とにかく生きていくために彼はまず軍人になった。

その後太平洋戦争が始まり、龍丸氏も戦線に駆り出されフィリピンで従軍する。そのエピソードを読むといろいろ胸がつまるところがある。杉山一族のような家に生まれた彼が、世界のことをよく知る人が、あのような戦争で戦わなければならなかったってこと。心理的にも計り知れない葛藤があったんじゃないかって思うのだ。そして、前回ちょっと触れた大刀洗平和祈念館でこの杉山家の企画展があったこととオーバーラップして、展示を見ながら私はまた色々な思いに包まれる思いだった。戦争というもののあらたな一面をここで知ったように思う。

ちょっと話がまた脱線するのだけれど、「特攻隊」と言えば鹿児島の知覧。知覧に行ったことはないけれど、特攻隊に参加された方々の話は見たり聞いたりする機会はあった。だけど、筑前「大刀洗」という地に、かつて東洋一と言われた大刀洗飛行場が、あって、特攻隊の中継基地として使われていたこと。今は見渡す限りの平原といった感じの土地なのだけれど、そこにはその飛行場を中心としたまちがあって、活気にあふれていたのだ、ということを知って相当驚いた。まさか福岡の先に特攻隊の基地があったなんて、まったく知らなかったからだ。

この博物館には現存する唯一の零式艦上戦闘機ゼロ戦)があって、それを目的に来られるかたも多いそうだ。私個人は、大刀洗のまちがどんな風に大きくなっていったのか、とか、軍都、というものがこの土地に与えたインパクトとか、そういった展示がとても興味深かく思われた。そしてやはり特攻隊員の方の遺された手紙や遺品、そして1945年の爆撃で亡くなられた大勢のここで暮らしていた方々についての記録には、胸に迫るものがあった。機会があればぜひ、訪れることをおすすめしたい博物館だ。ぜひ。

もとい。戦争中もたいへんなご苦労があった龍丸氏だけれど、戦後は杉山農園の経営を続けられることとなる。運命ってやっぱりあるのかなあ、と思うのが、たまたま東京で再会した知人に、インドからの留学生を引き受け、面倒をみれくれ、と頼まれ、その後留学生のお世話や教育に携わることになった、という話。

祖父、茂丸氏の遺志を継ぐかのようなこういう運命の巡り合わせって、ここにある種の世代間連鎖の糸を見るかのように思う。一体なんでしょうね、こういうのって。

で、留学生に相当真剣に(時におっかないくらいの勢いで)農業や織物、工芸品などの日本の技術を伝授されたようなのだけれど、その後面倒をみたその留学生たちのご縁でインドを訪れることになる茂丸氏。

そこでまた飢えに苦しむインドの人々や、砂漠のような土地を見て、いてもたってもいられない、とばかりに支援活動に邁進することとなる。

「ふたつの悲しみ」秘話―夢野久作の長男杉山龍丸とファミリーヒストリー

この本の中のエピソードで私が度肝を抜かれたのが、このインドの窮状を訴えるために、自分の土地を売ったお金で国連にひとり、乗り込んでいかれたという話である。もちろん国連がどういうところかってことはご存知だったのだけれど、ともかく「いてもたってもいられない」気持ちで飛んで行かれたのだろうか。

で、国連ってもちろんお役所だから「残念だけど個人のお役には立てませんよ(あなたのお気持ちはよくわかるけれど)ここはそういう場所じゃないから」って言われてしまって、その後号泣してしまうとか。

なんでしょうね、この情熱、というか気概というか、心根、というか。きっと私にははかりしれないくらいの、龍丸氏が経験したことや思いがおありになったのだろうと思うのだけれど、それにしてもすごいじゃないかと嘆息してしまう。

龍丸氏の勢いは止まらず、遂には自分の財産である杉山農園を全て売り払って、インドの支援に全投入し、ほぼインドに行きっぱなしになってしまうのだ。普通の人の出来ることじゃない。彼の家族にとってはたまらないだろうけど!

この剛毅さと、そしてある種の理想に自分をささげられる浪漫、そしてアジアの国を思う気持ち。こういったものが、その時その時に形をかえてこの杉山一族に脈々と流れる血となっているような、、、私にはそんな気がしてならない。

その後インドの砂漠地帯に400kmを超える並木道をつくりあげ、そして乞われるままに村から村へ赴き、そこでまた農業や草鞋を作る技、なんかを教えていく。そのエピソードもひとつひとつが何かこう、童話というか、ものがたりのように思える。

そしてここでも驚くのが、農園を経営されていたとはいえ、龍丸氏は砂漠の緑化についてはまったくの素人だった、とのこと。なぜかその龍丸氏にインドの人々からの依頼が集まる。そこからひとつひとつ調べたり、試したりしながらひとつひとつ解決、緑化活動に没頭された。そして龍丸氏はインド緑化の立役者「グリーンファーザー」となられたわけなのだ。

英雄とか偉人とか、そういうキラキラした感じではなくて、何か風に吹かれるように、でも吹かれた先々で鮮烈なものを残された方。それが龍丸氏に私が感じるものである。

現代は世代間連鎖、というと、ちょっと親の呪いのような意味合いも含んだものになってしまっているけれど、そして杉山家に生まれた方は、同じような思いを持たれることもあるのだろうけれど、こうやって一族の系譜に受け継がれる「意志」というもの。

それが何なのか、ということをこの杉山一族はいつも私に考えさせてくれる。そんなこともあって、私のは杉山一族への興味や思いが尽きないのかもしれない。

 

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