Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

ニセカウンセラー、、、エビデンスは正義なのでしょうか?

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こんな記事が目に飛び込んできた。

news.yahoo.co.jp

ニセカウンセラー!とは、のっけからセンセーショナルな言い切りだが、それだけこの記事を書かれた先生が、許し難いと思われるようなケースを多々ご経験になられているのだろう。

確かにこころの不調の症状がある場合、プロであるところの「臨床心理士」か「公認心理士」のカウンセリングを受けて下さい、という主張は誠にリーズナブルである。ここで書かれている通り、そんな時に「ニセカウンセラー」とやらにカウンセリングを受けたばかりに症状を悪化させてしまったなんてことにならぬよう、ぜひお気を付け頂きたい。

一方で、曲りなりとも常日頃、人のこころって何だろう?と考えている者として、この記事はちょっとひっかかった。特にエビデンスというものの根拠、そしてそのあいまいさのようなものに、私たちは敏感でい続けなければならないんじゃないかっていう点に、である。

そもそも論だけど「こころ」の領域に科学のお作法を持ち込んだところが、この臨床心理学という学問のスタートである。だから今さら「こころ」って数値で表現するのって無理なんじゃない?なんてナイーブなことは言わない。

以前こんな記事を書いた。

warumi.hatenadiary.com

一般的に科学で何かを証明するためには、何かの再現性がなくてはならないってことになっている。誰がやってもその通りに出来て、初めてその科学的根拠、その正しさってものが証明されるシステムだ。

ライフサイエンスの論文でさえ、その再現性が担保できなくて(有名なところでは一世を風靡した「STAP細胞」のように!)否定されてしまうことがある。試験管の中で行われる細胞の奥の奥の科学でさえも厳しい「再現性」の洗礼を受けるのに、その対象が「こころ」となると。。。一体その再現性の根拠って何だろう。。。って未だ、私は頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。未だ明確な答えは持っていない。いないけれど、こと「こころの実験の再現性」というものに対してはずっと疑問を持ち続けている。

いや、もちろん多くの療法については、既にその有効性にちゃんと根拠は存在しているのだ。例えば記事の中にある「認知行動療法」。世界的に有名な「エビデンスのある療法」である。ではなぜこの療法がエビデンスがある、と言われているのかと言えば、それはこの療法が他の療法よりも定型化、数値化がしやすい側面を持っている、という点。そしてその基礎的なデータの蓄積が多くあるため、更にそれをベースにエビデンスを積み重ねやすい、という側面があると思う。

ではこのエビデンスとは、と問われれば、それは同じ症状を持つクライアント群に同じ両方を同じ期間行ったことで同じ成果が出た、ということになる。なるのだけれど、クライアントは実験マウスじゃないのだ。それに同じ症状がある、と言っても、その症状の原因となっているものは果たして同じなのだろうか?効果が出たと言っているけれど、それはどこまで定着していけるものなのだろうか?でも、結果って実社会のさまざまな環境によっても左右されるじゃないか、等など、私の疑いにはキリがない。

しかし、それより何より。これって、前述の記事に書いた通り「心理を科学したい」という、心理学者、精神医学の悲願みたいなものーそれが臨床心理学の端緒となるわけだからーが、具現化された結果なんじゃないのかなって、私はそんな風にも思うのだ。「科学したい!」って思ったから、科学で示せるものを追求していったら、数値で示し易い療法について「ある程度」の効果が数値で示せた。そういった側面もあるのではないだろうか?もちろんそれは「科学的に正しい」のだろう。けれどそれは、正しいとしたい、というモチベーションの上に乗っかった正しさである。

一方、エビデンスと言えばこんな「エビデンス」を示す論文も出ているらしい。

nazology.net

要は「信じる者は救われる」は、科学で証明できるかもしれないよっていうことなのだろう。もちろん投薬と、心理療法を同じまな板の上にのせて同じだ、いや違う、という議論にしたいわけではない。ないのだけれど、私たちのこころってのはそれくらい真逆で矛盾する性質、世界を持っているんじゃないかってこと、これは声を大にして申し上げたい点である。

コロナ対策もそうだけれど、こっちの方法だったら効く、とか効かない、とか、そんな単純な話じゃない。ないから、世界中が大変なことになっていて、各国もその対策に大わらわ、医療従事者の方は命まで危険にさらされる中で戦っていらっしゃる。あらゆる業界のあらゆる識者たちもいろんなことを言っている。正直どれがリアルな世界なのかわからないようなカオスの中に今、私たちはいる。

わからないってほんとにストレスたまる!何がリアルなの!?って詰め寄りたい気持ちはいっぱいだ。けれどそれって、これまで世の中のことを全部わかったような気になり過ぎてたんじゃないか、私?って最近そんな風に思うのだ。そもそも、気が付いていなかっただけで、私たちはそもそもカオスの中に生きているのではなかっただろうか?

青魚を食べると動脈硬化にいい、とか、夜何時~何時まで寝るのが科学的に良いみたいとか。そんな断片的な、他人情報の「エビデンス」ばかりを、まるでそれが真実かのように私たちは扱って来たような気がする。翻ってそれが本当に自分のからだで得られた真実のデータ、エビデンスなのだろうか?と問われれば、いや、ただそんな風に聞いたから、、、という程度の「真実」。

それがプラセボなのか、本当に身体に効いているのか、それはわからない。動脈硬化にはよくても、他の持病があればまた状況は違うだろう。その青魚も化学物質に汚染されていた魚だったらどうなんだろう?その時の食べ合わせはどうか?それを食べる時間は、調理法は?ひとりで食べているのか?また、その人の生きている環境はどうなのだろう?ストレスのたまる職場で働いているかどうか?それとも親の介護を抱えているのか?お金の心配があるのか?助けてくれる人がいるか(いると思えているか?)などなど、もう、ひとというものはひとりひとり本当に違うのである。

もちろん「ニセカウンセラー」を持ちあげたいわけじゃない。「ニセ療法」も困る。あなたの前世がああだったから、今世でこんな報いがあるのだ、みたいなことを言うスピリチュアル界隈の方はどうなのか、、、とも思っている。

でも、だからと言って「臨床心理」や「心理学」が正義で、それだけが人のこころを救える、というのも極論ではないだろうか。ましてやそれは、プロフェッショナルカウンセラーの資格や技量だけに負うものでもないように思う。振り返ればプロのカウンセラー以上の何かを与えてくれた人たちとの出会いによって、私も何度救われたことだろうか。

どんなに正しくても、どんなにプロでも、それでもどうにもならないのが人のこころ、というものであると思う。そしてそれを常に心に留めておけるのがプロフェッショナルであって、だいたい人が人のこころをどうこう出来るって思うことに危険な香りがしやしませんかね?

少なくとも何かをすっぱり言い切ることを良しとする心理療法家やカウンセラーには、お気を付け頂きたい。それは新たな「洗脳」であるかもしれないからだ。ましてや彼らの自己投影、自己実現をクライアントが引き受ける必要なぞまったくない。

人は人のこころはどうにもできない。他人のことは変えられない、というのは至言である。けれど、どういうわけか、ひょんなことで人は人と出会うことで、そして共に時間を過ごすことで、何かが変わったり、動けたりすることがある。それは、それ以上でもそれ以下でもない。

少なくとも私はそういうカウンセラーでありたい、と思っている。

 

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