Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

無意識とコンタクトしてみようではありませんか!

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自分の無意識にちょっとだけ触れにいくお勧めの方法。

 

二度寝

ぼーっとすること。

 

私の体験上(性質上)、無意識の何かに触れるのにはなかなかいい方法に思う。まだいろいろ実験中だし、これが最上かどうかは分からないのだけれど、今のところはこのふたつの方法がいいんじゃないかなって思って、毎日よろこんで?自分でも人体実験している♡

無意識の世界には、なーーーんの法則もない。りんごも落っこちてこない。空から落ちた瞬間、電車の中に座ってる。時空、常識、義理人情、お構いなし。まさに不条理。

 

シュルレアリスムの世界はお好きですかね?

私はもう学生の頃からこの世界が大好き♡え?何ですかそれ?って聞かれますとだいぶまた話が戻って来られないので、今日のところはこちらを見てplease。

ja.wikipedia.org

ちなみに聞かれてないけど(笑)、私のお気に入りはエルンスト!未だにぜんっぜんよくわからないけど「百頭女」とかサイコー♪にクール。銅版画的な線に目がない私には、このわけわかんない、線の氾濫の連続にやられるわけです(私はこの「線の氾濫」に弱い!聞かれてないけど)

油彩も含めてだけど、エルンストの作品はちょっと禍々しくてちょっとユーモアがある感じが私のキモチにぴったりしていたんだと思う。私的には夜のアーティスト。暗がりから、ぬっ!て出てくるみたいな感じね。

みなさん、いかがですかね?幼稚園のお絵かきの時に、紙の下に落ち葉を置いて上からクーピー(クーピー!なつかしい!)でじゃーっと色を塗って下の落ち葉を出現させる遊びとかやりませんでした?あと、クレヨンで下にいろんな色を塗った上をまた黒で一面塗りつぶしてから、金属でひっかいて絵を描いていくとほら、下の色がランダムに出現してあら!こんな色がこんな形になった♪みたいなの、やったことありません?

あれです、あれ。もちろんエルンストはもっと本格的なやり方をしていたけれど、発想はこれ。狙って絵を描くんじゃなくて、いろいろな要素を、想定外にキャンバスの上で出合わせる、と。「手術台の上でミシンとこうもり傘が出会う」って世界。出たとこ勝負。わっけわかんないでよねー!(笑)

とにかく予定調和みたいのをどんどん外していく。そうすると、今まで「こうでしょ?」と思っている前提がかくっと外されて、ナニコレ??と一瞬目が泳ぐ。

これですこれこれ。この外されてへ?ってなるこの感覚。

もちろんシュルレアリスムの中にも、いろいろな人とものが詰まり過ぎていて、多様でひとくくりにはできないのだけれど、とにかくものすごく乱暴に言っちゃうと、この人たちも「無意識」を表現にあぶりだそうとした同志(勝手にごめんね!)である。

私たちが住んでるこの世の中ってもう、因果関係をはっきりさせたい欲望がめちゃめちゃすごいじゃないですか?たとえば何か「問題」とされるものが起こるとですね、「原因は何だ!?」「再発を防ぐために履歴を調べろ!」「対策を打て!」ってメンバーの叡智を総動員させてこの「問題」を解決しようとする。日本が世界に誇る「KAIZEN」ですよ。会社員をやった経験がある方ならご経験があるかもしれません。ほら、何かあるとさ「再発防止!」ってもう、これ以上何のチェック作業するんだよっ!?みたいな作業がどんどん積み重なって、あれ?仕事がどんどん増えちゃた、みたいな?そんな世界。

「無意識」の探索はこの世界のやり方に背を向けるのである。因果関係、丸無視。

ところで、私の歴代の夢の中でTOP3?に入るとっておきの夢があるんですけども!

私、昔はわりと波に追いかけられる夢を多く見てたんですよね。砂浜で、後ろから大きな波がどんどん追いかけてくるっていう夢。で、たぶん高校生くらいの時だったと思うんだけど、例の如くその大波に追いかけられて、そりゃもう必死で逃げてました。結構な大波でした。で、どうしてかって聞かれても知りませんがね。大勢の逃げる人に混じって、私の横であの、バカボンのパパがですよ、まったくあの姿で「逃げるのだー!」とか大声上げていっしょに逃げてるんです。でも夢の中の私、普通に受け入れてる。あ、パパも逃げてるって思ってる。そして抜きつ抜かれつでバカボンのパパと逃げてる。以上。

例えば、この夢をもう一度見るために、または見ないために?対策を打て!なぜバカボンのパパなのか、原因を追究しろ!

できますかね?

私にはできなかったー。

あんまりおもしろかったから、バカボンのパパにはまたお出まし願いたかったけれど、残念ながらそれ以降、はっきりと彼の姿を夢に見て、且つ覚えていたことはない。なぜバカボンのパパなのか。まあ、勝手な解釈は色々可能だろう。バカボンのパパに象徴されるものがあったとか、バカボンのパパにのようなものに救いを求めてたとか、シンパシーがあったとかetcetc。でも何が正解なのかわからないし、この夢を解釈したところで、自己満足で終わってしまう。

「無意識」に触れようとするとき、いちばん大事なのは、この夢をみていた時の感覚である。絶望的な感じで必死に逃げてる時の自分の感じ。その中であれ、バカボンのパパがいる、一緒に逃げてる!って最初に気づいた時の え? っていう感じ、おもしろいのかこわいのかわからないこのないまぜになっている感覚。なんとなくことばになりそうでならない、もどかしい感じ。これがキモなのである。

このことばにならない感覚に、ぼーっとしながらちょっと思いを馳せてみるのである。同じ感覚を自分の中に起動させようとしてみる。その夢のシーンを思い浮かべる。こわいこわい感じ、逃げなくちゃ。あ、バカボンのパパだ、あははちょっとおかしい、おなかがちょっと緩んだ。ああ、そういえば昨日洗ったジーンズ、もう片付けたっけ?いきなりその夢からジーンズに移る。あれねーちょっと最近きついんだよねー、、、ああ、バカボンのパパだったっけ?そういえば砂浜、裸足で逃げてたんだっけ?下駄はいてたんだっけ?裸足かー最近。。。(つづく)

ひとの思考というものはもう1秒もあればたいへんな騒ぎになるので(なので瞑想っていいですね!)ちょっとぼーっとしていてもいろんな思考がこうやって降ってくる。

この時たいせつなのは、あちこち舞うこれらの思考と共に、その夢を見た時の感覚からなるべく離れないように、何度もそこに戻る、という作業である。こわいかんじ、ちょっとおかしいかんじでおなかが緩んでる。それを何度も自分の中に再現しながら、その時浮かんだ何気ないもの(私のこの時はジーンズとか砂浜とか裸足、とか)を書き留めて置いたりする。

そんな作業をちょっと日常生活に入れ込んでみる。特にこれ、っていう厳格なルールなんかない。その時の感覚、うまく表現したいけど、うまく見た夢を思い出したいんだけど、思い出せないあのもどかしい感じ。ああ、なんか昨日夢見たのに、なんだっけあれ?なんか、窓みたいの見た気がするんだけど、あれ?ドアだっけ?いやちがうけど、なんか暗い感じだったような、、などと思いながら、ちょっと意識をぼーっととばす、目の前のものから目を外して、自分のなかの感覚に会いに行く。

そのうちにその夢が思い出せたり、その時の感じが自分のなかで熟成されてくると、なにかが自分の中から動いてくる。人によってこのプロセスは全然違ったりするみたい。今のところの実験だと、日常生活のなかでなんか夢でみた同じものが気になったり、偶然誰かが同じことを言ったりするのをキャッチできたりするってことが起こったりもするみたい。あとは、夢の続きが見られちゃった♡っていう人もいる。

そのほんのエッセンスでいい。このプロセスには正解なんてない。↑に書いたことが起こらないってことも普通にある。

しかし、これを繰り返していくと、何かが確実に自分のなかに生まれて動いてくる。それだけはお約束する。それをいっしょに会話しながらもっと動かしていく。すると意外な何かが降ってくる。そう、この時って発見、じゃないんだ。あ!降ってきた!みたいな?それも意外すぎてえ、これ?みたいなものが降ってきたりするから侮れない(笑)。

私はからだを持って、この現実世界に生きている。夢だけ見ていればいい、夢のイメージで遊んでいればいいってわけにもいかない(私個人的にはずっとそうしていたいんですけどねーー!ほんと!)。

生活のなかで何か問題、というものがあったとして、それを今までの自分のやり方で克服しようとしていくと、往々に行き詰まりを感じることもある。恐らく、これまでの人生、問題解決に仁義を通し、かたをつけてきた人(私です。。)には、問題がいつまでもいつまでも降ってきて終わりがないように思われたことってないだろうか?

私にとってこれまで書いてきた「琵琶」のイメージはひとつのその解だった(琵琶のイメージも自分の中に落とし込むまでに半年以上かかったよ!)。そう、無意識に振れつつ、そのエッセンスを結晶させていくと、思いがけないこたえを導いてくれることがあるのだ。解決、、、というよりも、あれ?気が付いたら問題はそれじゃなかった、みたいな感じなのである。世界の見方が変わっちゃったりもするかもしれない!

ねぇねぇ、そんな遊び、やってみたくないですか?

(つづく)