Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

私は自分の人生を黒字化したかった。

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この人生を振り返って思った(と言っても、まだおばあちゃんではないですー)。

問題、とか、悩み、とか。あの人がいやだとか、もう終わりだ!とか。そんな厄介な事態は時と場所を選ばず、頻繁にやって来た。学校でも職場でもプライベートな生活の中でも、そりゃもう遠慮なく、いつでも、どこでも、いくつでも、其奴らはお構いなしにやって来るのである。

もうたくさんだ、と思っていた。もうこの招かざるお客さん(問題)たちには来てもらいたくない。いや、金輪際顔も見たくない。不愉快だし、ムカつくし、気落ちするし、それが気になって、そのことばかりずーっと考えて続けてしまう。

だから、何とかしてその問題や悩みを解決しようとして其奴らに立ち向かった。いやな人には「わたしあなたが嫌いなんです」って悟られないように気を付けた。仕事の問題は、、、もう、一秒でもはやく解決しよう!としゃにむに動いたりした。うまくいったことも、全然うまくいかないこともあった。うまくいって有頂天になった。うまくいかなくて、逆切れもした。うまくいったのに、別の誤解を生んだこともあった。

そうやって招かざるお客さん(問題)たちの相手もしなければならないというのに!厄介なことに、そのお客さんが帰った後、自分の気持ちの後始末という難事業もあるではないか。。

そりゃもう、疲れ果ててるか、モーレツに不機嫌か、落ち込むか。有頂天になってもその後はどっと疲れるのだ。たまには、逃げ切れてほっとする。でも、ほんとにたいへんだ。たいへんすぎる。自分を労ろうにも、年々体力、気力も衰えてきたのである。目はかすむし、腰も痛いのだ。年齢による進化に、これではとても追いつかないではないか!

そこでこの「大損害」の赤字を一掃すべく、「なんで問題が起こるのか」なんてテーマに挑戦しはじめた。匂いを断つなら元から♪である。

まずはそのテーマに沿った本を読んでみると、なんと!その本に正解が書いてあるではないか!私は嬉しくなって、手あたり次第気になる本を積読した。用心深い私は念のため、正解のバラエティを自分でも持っていたくなったのだ。

そしてそれにも飽き足らなくなった私は、その本の著者や先生という立派な先達たちに会いに出かけはじめた。するとめちゃめちゃ驚いた。素晴らしい方々が、実に素晴らしく魅力的、且つ感動的な世界を説いておられた。素晴らしいメソッドや考え、テクニック、というものがあって、その頂点にシンボライズされている先生含め、その世界はキラキラ輝いていた。そうか、そうなのか!私が「正解」だと思っていた更にその奥に、「ほんとうの正解」というものがあるらしい、と私は打ちのめされた。本を積読したくらいでは、その「ほんとうの正解」や奥義には到底到達できない世界があるのだ。

そう悟った私は、本当に、それは本当に様々なフィールドの先達にお会いし、お話を聞き、時に導いて頂いた。様々なことを学び、教えて頂いた。そしてあろうことか、臨床心理の大学院生生活までスタートしてしまった(そのカオスな生活についてはまた別の機会に)。ぴん、ときた方々にお願いをして、カウンセリングや個人面談といったものを、めちゃめちゃ受けまくった。

生来飽きっぽく、何事も長続きしない私だったけれど、この学びの時間そのものは長いこと続いたように思う。どの先達も世界も凄すぎて、私はとてもそこまで辿り着けそうにない、ため息をつけながら色々諦めたりもした。これもう、むり!と自分から扉を閉めてしまったこともあった。けれど、どの瞬間を切り取っても掛け値なしに素晴らしい体験だったとは言える。公私共にわたくし、「ほんとうの正解」を追求しているのであります!!社会人やりながら実は学生でーす♡みたいな、モラトリアムな時間と経験が積み重なった。

さあ、これだけ学んだし、経験したのだ!これで一斉に借金を返そうではないか!と私は鼻息を荒くした。とうとう私の人生、黒字化の夢が実現するのだ!こつこつと貯めた銀行通帳を久々に見るように、私は嬉々として自分の「正解」たちの棚卸をし始めた。

するとどうだろう。。。おかしい。あれだけ貯めたはずの「正解」たちの数が、全然足りないではないか。。いや、確かに「正解」や「ほんとうの正解」の数は増えていた。しかし、私の負債を返し、憧れの精神的リッチな生活を始めるには到底足りそうにない。ぜんぜん足りなーーーい!!

こんなはずではなかった。。。私は「正解」や「ほんとうの正解」を手にしたら、これまでも負債を一挙に解消し、憧れの「精神的お金持ち」になるはずだったのだ!

私はいったい何のために「なんで問題が起こるのか」などというテーマを追求してたんだろう?それもこんなに長い時間!こんなにお金(ほんもののお金)も時間もいっぱいかけて、何を得たっていうんだろう。何故ならば、こんなにもこのテーマを追求したのに、問題は一向に減る気配がないのだ。

現実の貯金残高は限りなく、頼りない残額しかない。現実はシビアだ。そして何の慰めにもならない。

呆然自失、とはこのことである。

(つづく)