心理学って問題解決できるんだと思ってた。
問題が減る気配がない。
確かにちょっと言い過ぎたかもしれない。年齢相応には、経験値から解決出来たり、あきらめたり、「え?問題なんかありましたっけ?」とあたかも問題がなかったかのように振る舞ったり(私はこれが女優並みに得意である)して対処することは出来るようになっていた。
何十年もサラリーマンをやった成果である。
おまけに何てったって、世界の一流の心理学の先達たちのセオリーを(本の飛ばし読みで)そのさわりくらいは学んだのである。マインドフルネスだってこんなに世間が騒ぐちょっと前には「す、すごい!」と心奪われ、実際にお坊さんたちに会い出かけたのだ。超苦手な瞑想なんていうのもトライしちゃってたのだ。更に「心だけじゃないだろう、時代は体とこころと両方やらなくちゃだめだろう?」とキネシオロジーなるものを学びに異国の地まで出かけたりもしたのだ。おまけに「臨床心理」の大学院生だ。教育カウンセリング必須です、って学校から言われるはるか前からカウンセリングもじゃんじゃん受けていたのだ。ボディワークも山ほどだ!
これで問題が全く減らないなんてうそだろう?ね?うそだと言って!(涙)
大学院の最後の年、それはもう本当にたいへんないちねんだったのだが(しつこいようですが、またそれは別の機会に)、その間もたくさんの人が私に無邪気に聞いてきた。
「卒業したら楽しみだね!何をしたいの?」
「すごいねーそんなにお勉強してカウンセラーになるんだね?」
処世術?を学んだ私にとって、まあ、場がしれっとしない程度に謙虚に、かつ、やる気も片りんをみせるような返しをするのは、難しくはなかった。
「これからは本当に困っているひとを助けたいと思ってるんだ!」
「経験がないから、まずはカウンセラーの経験を積むところからかな」
たいていの人はそれで、おお!それは楽しみだね、がんばってね、と優しく受け止めてくれた。
そして私は途方に暮れたのである。
なぜならばだ。私は、日常生活で問題がさほど減っていないことにとっくに気づいてしまっていたのである。そして何よりも、自分が果たしてカウンセリングなんてものを本当にやりたいのか、疑惑のデパート並みに疑念イッパイだった(今さらですが、私、お話する方が大好きなんです)。
大学院の授業でも、資格が欲しくて慌てて申し込んだ産業カウンセラーの講座でも、傾聴、というトレーニングは相応に積んだ。そして、それがそんなに苦手じゃないってことも経験していた。でも、どうしても、どうしても、次の展開が自分でも見えてこない。
ひとつは自分の人生における問題が(思ったようには)一向に減る気配がないこと。
そしてもうひとつ。心理の世界の問題の解決方法が、平たく言えば、だが、私には敷居が高すぎた。これは世の臨床心理の研究者や心理の世界をけっして貶めたり、喧嘩を売る意図はない、と言い訳がましい言い訳を先に述べさせていただきましょう。
心理の世界には山ほどの技法が存在し、その背景の理論はいちいち正しい。しかし、そういった「理論的に正しい、かつエビデンスもある!」心理学と、その理論/技法を使ってカウンセリングする対象者、つまりクライアントの像がわたしの中では同じ世界に存在しえなかったのだ。
ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」で医学書を読んだ主人公があらゆる病気にかかっている、と信じてしまった如く、DSM-5(精神疾患の辞典のようなものです)を開けばどれも自分のことのように思われてならなかった私がクライアントだとしても、である。
一方、日常生活を送っている会社の同僚や友人たちは、それはもう色々な壁にぶちあたったり、悩んだりして日々を頑張っている。私や彼らが臨床心理学の恩恵に預からなくて、いったい何のための心理学だというのだ?
いや、世の中にはちゃんとこれが必要な方たちがいる(け、決して忖度じゃないです)。そしてそれが必要不可欠な世界があることも承知しています。でも、やっぱり、さ。ふつうにサラリーマンやってる人で、ふつうに悩んでてそれでカウンセリングに行きました、っていう知り合いは私にはほとんどいない。私は精神的黒字化を狙うヘンタイ且つ、摩訶不思議な世界が大好きだったので、たまたまこの世界に出会えた、というだけだ。
また、臨床心理の世界、というのがこれがまた。。。これも誤解を恐れずに申し上げてしまえば(泣きそう)、私には高等遊民/貴族の遊び、的世界にオーバーラップしてしまったのだ。。。
フロイトとかユングとかに始まる心理の巨匠たちの本、ご覧になったことあります?すごいですよ、もう。ふつーには読めませんでした、私には。もんのすごく壮大なパズルですよ。文章読むのが1万ピースのパズルやってる感覚。ふつうの社会生活しながら、あの世界にも住んでいられるって、相当の好事家。イメージは和歌(何重にも意味がこめられてる)詠んでる平安貴族。
ということで、私が完全につんだ理由がくどくど述べられたまま、このお話はつづくのでした。
(つづく)