Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

話は飛んでシルクロード(イスタンブールではありません)

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で、無意識への愛の話である。

無意識へのアプローチがたいへんな道のりで、なんだか特権階級(最近は上級国民とか言うのでしたっけ?)だけがその世界を享受できるのって、つまんなくないですか?私はそんなのいやです、愛の下に身分は関係ないですよね??と、主張します!だって愛してるんですからっ!

と、またここで愛を語るのにも、それなりの理由があるのだ。

(だいぶまた話が迂回気味になるけれど、お願いします、ついてきてplease)

今の時代、ちょっとぐぐってみれば「怒らなくなる方法」とか「あなたの運命を変える方法」とか「嫌われないコミュニケーション」とか、そんな情報がもう数限りなくあるし、本屋さんに行ってもまた然り。電車に乗ればだいたい窓ガラスのところに「100万人が涙!」「これで人生変わりました!」って啓発本の宣伝とか。もうゴマンとありますよね?

で、この手の本を読むじゃないですか?で、おお!そうだったのか!っていう「気づき」とやらがあって、いきなり何かに感謝しはじめたり、他人をやさしい目でみよう、とか、朝型生活にしよう!とか、そんな感じになるじゃないですか?(わたしはなりました。相当数回なりました!)

で、なんかすごく変わりましたか?って自問自答するとですね。「知識」は増えました。ああ、こうやって成功したり、いい人?いい気分?になった人がいたんだねー、っていう「知識」。それ以外は残念ながら、その本へのフィーバーが続いている期間限定の変化。でね、飽きちゃう。だいたい1~2か月で、もうめんどくさい。。って思い始めて、だんだん忘れる。私にとってはこの繰り返しだったんですよ。啓発本だけでなく、心理学のセオリーや手法を学ぶってことに関しても私は同じ轍を繰り返していました。おまけに「ああ、この方法も私向きじゃなかった」という妙な敗北感までついてきちゃって、三歩進んで二歩下がる、どころか、三歩進んで四歩下がるってな具合。

いや、いいんですよ!こういう本とか人、心理学との出会いで人生変わった!っていう方は素晴らしいんです!そのままでいて!Stay Gold!

でも、私みたいな経験された方、いらっしゃいませんかね??私のように敗北感こそ感じなかったかもしれないけれど、色あせた啓発本が忘れた頃本棚から出てきた、みたいなご経験ありません??

で、So What!?なんですよ。で?どうなのよ?ってマツコに突っ込まれてる感じ(勝手なイメージです)。

それで今、あなたの何が変わって、どう幸せ/思ったようになっていますか?

ってね。突っ込まれてます。私は自分でも自分に突っ込んだ。

小さな変化を感じるのが幸せなのです、とか、あなたは変わったように思えないかもしれないけど実は変化しているんですよ、とか、そういうのは良いんです。置いておいてください。なぜなら、私の望んでいた変化とはそういうもんじゃなかったから。

私が変化した、と納得できなければ、変化は私の世界には存在しなかったんです。

そう、納得感!!実感!!(ここ、あとでテストに出すから覚えておいてね!)が全てだった!私には。そしてその納得感っていうのは、残念ながら増えた知識からは得ることが出来なかった。

じゃ、一体どこからその納得感って感じられるの??ってね、また暗礁に乗り上げたわけです。知識ではもう無理なんだなって思ったから、ボディワークとかでね(これもいろいろ体験したので、またご披露しますね~☆)身体に直接働きかけて、納得感っていう体感覚を学習っていうのかな~感覚的には思い出した!って感じだったように思う。ボディワークは知識ばっかりに偏っていた私の状態をだいぶニュートラルにしてくれた。

しかし!しかしです。執念&疑り深い私の中には、どうしてもまだブレイクスルーできないもやもやが残っちゃってた。なんかこの私にこれ!ってわからせる方法が他にあるはず。。。ぜーーったいあるはず!!

もはやそれは私の思い込み、と言っても過言ではなかったかもしれない。でも、私は自分で納得したかった。だってそうじゃなかったら、私に何にも残らない気がしたから。もう問題解決、とかそういうことよりも、「わかった!」っていう感覚が心底欲しかった。だって「わたし、実はわかっちゃってるんです♡」というふりをし続けるのに、限界を感じていたから。わかってないのにわかってるふりしてもね。わかってないのを誰よりも私がいちばん知っているわけだし!そんなふりしても誰もね、誉めちゃくれないし、得にもならない。

 

でまた滅法話はぶっ飛びますが、みなさん「琵琶」ってご存知ですかね?(ごめん、ついてきて!)多分、ぱっと頭に浮かぶのは平家物語を語る琵琶法師かもしれませんが、私にとってはぱっと心に浮かぶのは正倉院の五弦の琵琶なんです~。イミテーションだけどこれこれ↓(去年東博で「正倉院展」が開催された時、感動におののきながら見た琵琶のイミテーションです)。

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(本物は写真が撮れなかった。。)

私は大学時代、シルクロード仏教美術の歴史を専攻していて、タクラマカン砂漠とかにある敦煌とかキジル千仏洞とか、そんなニッチな文化をお勉強したんですよ。小学校の時にね、NHKの「シルクロード」って番組がありましてね(って歳がばれますけども)それにやられた奇特な小学生だったんですよ。もうあのあおーーーい空の下砂漠をね、ラクダのキャラバンが粛々と通り過ぎていくっていうシーンと、その"ちょっと振り向いて みただけの異邦人"感、そしてミックスドで滅法美しい仏像たちにやられていたわけです。私の興味は長続きしないので、その後ずっとシルクロードに恋い焦がれていたわけではなかったけれど、いろんな大学を受験した挙句、おさまった所がシルクロード仏教美術専攻でした。

ということで、シルクロードの終着駅である奈良の正倉院に眠る五弦の琵琶は私にとってはそのシルクロードのひとつのシンボルなんですね。で、そのシルクロード熱がここ近年、私の中でリバイバルしてきていたんです。

それは「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」っていう映画をAmazon様に勧められて、ふ、と去年見たところあたりからどうやら本格化していたのでありました。

つづく