Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

ホドロフスキー語録(素晴らしすぎ!)

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ということで!感動冷めやらぬうちに、ホドロフスキー大先生の昨日のお話について、そして私が何を思ったか書き留めておきたいと思う。私があとでちゃんとまたここにかえって来られるように。

ホドロフスキー?誰?という方はこちらをご覧ください。

www.dommune.com

www.artpedia.asia

この私の興奮ももう一度。 

warumi.hatenadiary.com

 

いやしかし!連日繰り返してしまうけれど、91歳って。。。絶句してしまうほどの明晰さ、洒脱なユーモア。そしてひとつひとつ的確な判断と鮮やかな説明。全てに加えてあついパッション。アーティストの存在ってこうなんだ。。。1時間半以上、画面にくぎ付けになった。

◆太陽系目線での愛

いかにも。彼は地球愛のレベルではもはや収まらず、太陽系を守りたい、太陽系を健康にしたい、と仰り、またそのレベルですべてを見通し、語っていたように思う。コロナについても、地球にとっては人間がウィルスみたいなものだ、と。そしてコロナこそが(地球に対する)サイコマジックのようなものじゃないか、とも。

コロナ。ひとによっていろんな見方があると思う。私もコロナにはかかりたくない。怖い、という思いもふんだんにある。日本だけじゃなくて、世界中で起こっていることに胸が痛くなる日もある。コロナさえなければ今頃は、なんてこともよく思う。

それでも、だ。コロナを含めたこの地球上のあらゆるもの。自然であっても、経済であっても、健康、全てのものの生き死に、であっても。それを人間が、自分たちの都合だけでコントロールをしたい、そう出来るように努力を惜しまない、という考えに違和感を覚える。そうやってあらゆるものをコントロールした結果、人は幸せになるのだろうか?コントロールの延長上にあるものが幸せ、と言えるのだろうか?私たちはただ自分の意思やからださえ、ほんの一部しかコントロール出来ない存在だというのに。どんどん自らを檻のなかに押し込めるようにしてコントロールしていく未来って。。。

ホドロフスキーはこうも言っていた。「愛情こそが唯一の幸せではないか?」と。彼が言う所の愛、とは、誰が誰を愛する、とかそういうことではなく、まさに生けとし生けるもの全てに向けての愛だ。そして私たちは全体の中に生きている。それを太陽系のレベルで語る人。それがホドロフスキーなのだ。

 

◆滞るもの、流れていくもの、そしてエゴに生きる私たち

ホドロフスキー曰く、病とは滞った状態であり、健康とは河の流れのように流れていくものだと。

そして、ことばは真実ではない、と。ことばとは真実に至る地図のようなものであり、肉体的な言語が必要だと。すなわち詩のように、書くという行為/行動をすることが大切なことなのだと。そして、このことばをつかっておこなう精神分析とは、滞っているところにアプローチするものである。対して彼のサイコマジックとは、精神構造や知性みたいなものはすっとばして、流れそのものにアプローチする、と。と、何が起こるか?ただの気づきに終わらない、癒しがそこに発生するのだと。

エーリッヒ・フロムとホドロフスキー精神分析のレクチャー?を聞いていたなんて、震えるエピソード!である。以降、意訳の要約、みたいになってしまうけれど、精神分析はその状態がわかるだけで、変わらない、と(つまり滞っている)。サイコマジックは変化させるものだ(つまり流れていくもの)である、ということ。

そして、エゴについてもいくつか。サイコマジックを行う前にはその人が「なぜ苦しいのか」を理解することが必要である。それをわかる為には他の人に助けてもらうこと。何故ならば自分ひとりでその苦しみをわかろうとしても、結局変わらないことに対しての戦いに終始してしまうから(わが身を振り返って、もう痛いくらいわかりますーーー!って叫びたくなった)。いかに私たちがエゴの世界の中で生きているか、ということを仰っていた。またそれを外して、解放していくためにはことばだけでは足りない、と。

そしてサイコマジックで「家族」についてアプローチするのは、私たちの家族とは、私たちの文化であり、歴史であり、その他様々なものを内包しているものだから、と言う。私たちは記憶をもとに生きている=過去に生きている。家族はこの過去と連動するものだから、と。

過去。エゴ。私たちはどのくらいの「苦しみ」を自ら生じさせ、その葛藤のために人生の大半の時間を費やしてしまうのだろうか。。。とちょっと切なくなった。でも、いつだって遅すぎるってことはない。だって、ホドロフスキーに出会えているのだ。遅くなんかない。

 

◆ARTについて

サイコマジックはアートであり、それは自分のためにやっているものだ(お金も介在していない)。感謝してもらうよりも、サイコマジックを受けた人がどのように行動したのかの方が知りたい。

ここ!私、まさに先週ね!まだ私がなんの「無意識」プログラム?をご提供する前から申し上げるのも何なのだが、まあ聞いて。よくあるじゃないですか?このサービスを受けた方の感想的なやつ?宣伝的に載ってるじゃないですか?あれ。あれがキライ。結局ね、〇〇さんのおかげで、みたいになっちゃうの絶対やめようって自分の日記に書いていて(プログラムを出すよりそっちかい!)。それよりどうなったか、だけが知りたい。結果がどうであってもって、そこまで書いていて!だから個人的にこのホドロフスキーの発言には痺れました。個人的回想終了!

 

ARTの役割については「光と影の両方をあらわすのがART」だと。だからこの影の時代に光を見出すことがARTの役割であろう、と。そしてこの現代において「人生や世界はこわくない、とても素晴らしいものだよ!」と表現するのがARTの役目ではないのか?と。

この辺りは終盤になってきて、自分の感動に手が追いつかず、もうただの線にしか見えない判読不明なメモがいっぱい残っている。今それを見ながら幸福なため息がでる。嗚呼、もういちど、と言わずホドロフスキーの話をもっともっと聞いてみたいものである。

そして決めた。

私はトートタロットに加え、カモワンタロットも使えるようになるのだ!(タロットカードを入手しなければ。。。)