Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

成長って何でしょうね~?

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小学校で最初に習うグラフって、こんな感じでしたっけね?

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右肩上がり。

時間の経過と共に、成長が右肩上がり。

私たちの成長のイメージって、小さい頃からこんな風にインプットされているんじゃないかって思うんですよね。

でも成長って。。。本当にそうなんでしょうか。

時間の経過と共に、私たちの能力、経験、貯金??がどんどん積み重なる。それはまるで時間が許す限り、爆発的に増えるポップコーンみたいに。

でも、しつこいようですが、成長って本当にそういう「積み重ね」なんでしょうか。

人ってみな、それぞれ違ったかたちで生まれてくる。容姿はもちろん、どんなものを装備して生まれてくるかって、全員違うんですよね。

その違って生まれてきた私たちが成長するって、私はこんな感じじゃないかって思うんですよね。

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そう、極端に言えば、ただそのまま大きくなるって感じ。細かく言えば、このでっぱりやひっこみは多少形が変わることはあるんだと思います。ちょっと尖ったり、丸くなったり。

でも基本的に持って産まれてきたものって、それはそれで尊重できたらいいな~、尊重出来る世の中であってほしいなって思うんですよね。

例えば何かこう、生産性に基づく目標みたいなものがあったとして。例えば今は1時間で50回出来たから、1か月のうちにそれを100回にしよう。

ある人にはこの種の目標設定はとってもハマって、そこを目指すことですくすくと伸びるかもしれない。

でもその50回を100回に増やすって目標が、万人にワークするかっていうとどうでしょうか?ある人は、同じことを繰り返すのが苦手でやる気を失ってしまうかもしれない。また他の人は、どうしても30回までしかできないかもしれない。それなのに、同じ目標を同じタイムスパンで目指すって。。。

ちょっと前まではね。みんな同じ目標目指して頑張れって言われてたんだと思うんですよね。同じテスト、同じ負荷、同じカテゴリー。同じテストを受けて、高得点を目指す、みたいなね。

それがある意味「平等」だよってことになっていたのかもしれないけれど、それって本当に平等って言えるのかなあって、私は考えちゃうんですよね。

いや、テストは同じでも良いんだと思います。でもね、そこで一律誰もが同じように高得点を目指すっていう目標設定ってものが、どうなのかって思ってしまう。

ええ、ええ、わかります。そうは言っても、掛け算はちゃんとできないと困るじゃないか。文章を読めなければ大人になって世の中に出た時にたいへんじゃないかってことはね。

でもそういうカテゴリーと、その他の、もともとその人が持っている質、のようなものにフォーカスするカテゴリーって、ちょっとわけてみたらいいんじゃないかな。或いはもっと長いスパンで成長を見守ることができるような環境があったらいいな。

ひとの成長って、ひとことでこういうものですよ、とは表現できないと思うんですよね。

例えばその速度ってことをひとつとっても、最初から猛スピードでまっすぐ成長していく人もいれば、ちょっと成長して休んで、またちょっと成長して休んで、ってのを繰り返す人もいる。最初にぱっとコツをつかんで再現することが得意な人もいれば、何度もトライ&エラーを繰り返して、どんどん境地をアップデートしていく人もいる。

人の成長はこんなにバラエティ豊かなのに、時間×努力=成長みたいな一律の公式に当てはめて、いいとかだめとか言うのってナンセンスだと思うから。

だから成長ってものは、どんどん右肩上がりになるってもんじゃないですよー、もっと色々な形がありますよーってことを、子どもの頃からちゃんとわかっていた方がいい。人によって違うってわかれば、そのことで悩んだり、コンプレックスや引け目を感じなくて済む。親御さんもまわりの子どもたちと自分の子どものことを比べることばかりをせずに済んだら楽じゃないですか?

 

で、ね。もうひとつ、この一直線の成長グラフの弊害が出てくるのは、おそらく中高年に達するとき。成長とか成功とかっていうイメージが、このグラフのままだと、とてもつらくなると思う。

何故かって言うと、ある一定の年齢まではどんどん山を登って、どんどん拡大出来たものが、以降、同じようにいかなくなる。ここでも書いた通り、人生の後半戦は今度は山をどうやって降りるのかっていう時期になります。

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山を降りていく時期なのに、頭の中では山に登ることばかり、それももっともっと高い山に登るイメージばかりが先行したら、頭の中と行動がちぐはぐになってしまう。どころか、「本当はもっとイケイケに登れるはずのおれさま」が「山を下っている」なんて、恥ずかしくて人には言えない!みたいなことになりかねないんじゃないかって、ちょっと心配になるんです。

若さや未成熟だけがもてはやされる世の中って、ちょっと不毛だと思うです。なぜそこに価値を置くかってか言ったらですね。「もっと高い山を登れる」っていうポテンシャルを、自分が持ち続けていきたいってのが、理由としてあるんじゃないかな。

「まだ全力出してないだけ」に似たやつですかね。夢のような「可能性」を自分に残しておきたい。山をずっと登り続ける自分でありたい。頑張ればまだまだいける!

それはもう、あのまっすぐ右肩上がりのグラフの幻想に取りつかれて、山を登るどころか、山中をさまようことになりかねない。

それもまたつらいことじゃないかと思うですよね。いやもう、降りて良いんだよって。降りることで絶望感しか感じられない世の中って、ちょっと違うんじゃないかと思う。

一律の目標設定。いつまでも上がり続けるという成長幻想。

そろそろ私たちは、こういう価値観の世界から出ることを考えてもいいのかもしれませんね。

もっと楽に深呼吸して生きられる世界になるといいなって、心から思ってます。

 

 

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