Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

琵琶をめぐる冒険

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安田登氏をご存じでいらっしゃるだろうか?

もはや何をされている方、とお伝えするのも困難なほど様々な顔をお持ちでいらっしゃる方である。代表的なのは能楽師のお顔であり、その他めっちゃ色々な舞台やら、何やらをおやりになっていて、且つロルフィングというボディワーカーのお顔もお持ちであり、嗚呼、ここでは枚挙に暇がないのでこのくらいにしておきます(ご興味をお持ちになられた方はこちらをご覧ください)。

私にとって、安田さん(面識もないのでなんとお呼びしたらいいのか煩悶している)との出会いは八重洲のブックセンターのイベント情報を知った所から始まった。それは安田さんが『疲れない体をつくる「和」の身体作法』という文庫本を出された時の出版イベントだった。

大学院を休学して心理の世界から逃避行をしていた頃、とにかく色々なことが煩わしくて、あまり好きでもない仕事に没入するだけの生活をしていた。朝、むりやり起きて会社に行けさえすれば、クレイジーに仕事をして他のことを考えずに済んだ。溢れるようにあった種々様々な先達たちへの興味を失って、そして、あれだけ通い詰めたスカパラさまのライブ詣で(これもまたいずれたっぷりと語りますよ!)からもすっかり引退し、まあとにかくあらゆることに興味を持てなかった時期だった。いわゆるひとつのCrisisだった。

そんなある日、ふと前述のイベントを知ったのである。書店が会社からも近かったこともあり、久しぶりにひとの話を聞こうかな、と思い立って、そのイベントに参加することにした。「能」ってちょっと興味があるけど怖くて、わけわかんなすぎて近づけなかったから、出会いのとっかかりになったらうれしいな、と思ったのがひとつ。そしてもうひとつ。その昔、ロルフィングというものにも興味津々だったのにもかかわらず、結局敷居が高そうでセッションを受けるのを諦めちゃったことがあった。その偶然の重なりにこころが向いたのだ。今思っても、そんな時期に自分にはちょっとハードルが高いなあ、と思っている世界の人の話を聞きにいったのがわけ分からないが、まあ、人生って意外とそういうもんなのかもしれない。

イベントが始まってまず驚いたのは安田さんの声だった。マイクなしでいいですかね?いいですよね?と、いきなり!100人くらい?いただろうか?その聴衆相手にだだだーっと話し始められた。その声の大きさと広がり!とにかく凄かった。空気が震えてるっ!って思った。お話の中身も色々ぶっ飛んでいて(すみません、詳細はもうほとんどよく覚えてない)私は口を半開きにしつつ聞き入っちゃったんだけど、最後になぜか「たーかーさーごーやあああああーーー!!こぉのぉうらふねにぃーーー」と、高砂の謡に全員参加させられたのにはたまげた。なに?なんなのこの会!?って気分が最高潮に上がった!

私はめったやたらに人のサインとか、別に要らないし~って、(斜に構えて)もらうこともないのだけれど(それよりもっと欲しいものがあるのだ)、その時はいそいそとサインの列に並んだ。そのくらい圧倒的だった。

安田さんについて熱く語るのはまた別の機会しようと思う(語りたいことがありすぎて話が戻って来られなくなっちゃう!)。そのイベントで度肝を抜かれた私はそれから安田さんがやっておられる「寺子屋」やお勉強会的な集まりに熱心に出かけるようになり、「論語」や「古事記」について、いやそれよりもそれらをベースに三千世界に通じる奇想天外、自由すぎる安田さんのお話に口を半開きにさせられ続けた。

また前段が長くなりました。。。そしてお話はいきなり「琵琶」に戻るのである。

その安田さん、NHKの100分de名著の「平家物語」の会にゲスト講師で出演なさったのだ。もちろん私もかぶりつきでテレビを見ていた。平家物語、だからもちろん琵琶法師の語りがある。シルクロードの琵琶ではないけれど、その番組に出ておられた塩高和之さんの琵琶にまたおおお!となった。一言で言えば音がめちゃめちゃかっこいいのである!それでもってあの安田さんのお声である。

そしてその番組からいくばくか経って、夏の頃だったと思う。安田さんが塩高さんと平家物語を語る会をやる、という話を聞きつけ、すわ、と馳せ参じた。音は生音に勝るものはないのである!(このあたりもまたいずれ、しつこいくらいにスカパラさまについて書かせて頂こう!)。

小さなスナックで間近で聴いた音は破壊的に沁みた。私は基本鍵盤をぐわんぐわんやりながら弾く、ちょっとクレイジーな音楽人に目がないのだが、塩高さんもそんな感じでなかなかいっちゃってる人だな!と勝手に思い込んだ(最大の誉め言葉です)。

音は不思議だ。匂い、香りもそうなんだけれど、それとはまたちょっと違ったものを想起させられる、というか、違う世界に瞬間ワープできるのだ。匂いとかはちょっとそれに時系列が入ってくる。だけど音の世界には時がない。一瞬の音の連続で、右から左に流れる時間の世界のものではないって感じ(ややこしくてごめん)。実に安田さんの存在って私にとっては音の世界って感じだな。

ということで、私は琵琶の音っていいなあ!どこかで習えないかしらん~などとyoutubeをぐるぐるしながら、依然もろもろ忙しい日々をやり過ごしていた。それが去年の夏から秋にかけてのことだった。

そして!そんなネットサーフィンの中で、こちらで皆さまに熱く語った、正倉院の五弦の琵琶のお姿がお出ましになられたのだった。

warumi.hatenadiary.com

正倉院展が東京開催ってことでも充分胸熱なのだが、シルクロードのシンボル!五弦の琵琶に東京でお会いできるのだ!久しぶりに指折り数えるような気持ちで東博に向かった。それが初秋だった。

この五弦の琵琶を見た帰り道、浮き立つようにコーフンしながら帰りの電車の中、いろいろなイメージが私の中を去来した。五弦の琵琶はほんとうに素晴らしかった。螺鈿細工のお花がきらきらしていて、あのラクダに乗った旅人と、その上の花鳥文。そしてひとにたいせつに、それはたいせつに続けて来てであろうものが醸し出す、尊さいっぱいの存在感。

ところで、また話は少々脱線するが、この五弦の琵琶。これまたNHKびじゅチューン(ご存知ですか?)で既にフィーチャーされていたのをご存知ですか?私はこれを友人に教わって以来「転校しないで、五弦琵琶」というこの曲がお気に入りのひとつとなのである。

帰り道、たくさんのイメージの中でこの曲もまた私の中で鳴っていた。シルクロードの飛天の写真もたくさん。今までの天女さまのイメージもまたこれ次から次へと。電車に揺られながらたくさんのイメージを反芻していた。

そして私は、はっとしたのだ。

琵琶ってさ。。。もしかして、自分のことじゃね?と。

 

つづく

琵琶、温泉、レモンと天女舞う天国の軌跡

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で、シルクロード

何度目かに、このシルクロードが私の人生の中でクローズアップされ始めたこの頃、ちょうど私は今後の自分の人生、についてこれまで以上にあれこれ思い散らす時期にさしかかっていた。大学院も何とかして卒業しようと思っていたし(前年、一年休学していた)、産業カウンセラーの講座もスタートさせていた。そして働いていた会社も、その翌年の5年の任期が終了する年度末には、心機一転、これまでと違う世界をスタートさせたい、と切なる願いもあった。

しかししかし。心理学って問題解決できるんだと思ってた。で書いたように、その実、私は完全に詰んでいたのである。そう、心理学をまでちょっとばかり疑いながら、でも信じたい!信じさせて~じゃないとやばいじゃん!今後の人生かかってるじゃん!(困惑)と心乱れる毎日だった。そんな心境で修論のために山のような論文と格闘したり、課題をやったり、は、ほんっとにきつかったーーー!(もう、二度と!論文なんぞ書きません、絶対に!)。おまけに私が学生だった大学院は、週に1度の実習まで要求してましてね。。更に産業カウンセラーのダブル通信スクール地獄。合間に仕事も普通にお願いしますねー!という状況だったからもう、ちょっと気を抜くと魂が抜けそうな毎日。いや、間違いなく抜けていた。

そこに舞い降りてきたマイ・シルクロードブーム・アゲイン!?地球の重力が倍になったか?疑われたほど、心がぎゅーっと押し込まれるような生活の中で、それはまさに渡りに船の心の逃避場所だった。砂漠には論文もないし、心理学もない♪ ♪(そういうことでもないか)私はシルクロードのイメージに自分の心を飛ばしては、時々、ほ~っとしていた。特に小学生の頃から私は、敦煌やらキジルの石窟に描かれていた飛天の乱舞のさまが大好きだった。見ていると、極楽浄土並みに気分が上がるのだ!単純に気分が上がる、ただそれだけなのだけれど、とにかく見ていると気分が良いのだ。飛天のお姉さんたちにずいぶんと慰めてもらった。たった一瞬見るだけで満足。

そしてこの映画。ヨーヨー・マの映画の中で、もうとにかく音楽と演奏者が素晴らしくて(ぜひ見てください)、心が躍ったのだけれど、その中でもこの中国琵琶を演奏する、ウ~・マンさんの演奏に痺れた。めっちゃかっこよかった♪♪ロックギタリスト並みの迫力である。琵琶ってなにこれ、すごくない??と私は夜中に(はい、、課題の締め切りが迫っているというのに、映画を見ていたわけです)小躍りしてしばし浮世の憂さを晴らしたのである。

youtu.be

そしてこの映画を見たしばらく後だった。夏前に、明日をも知れぬ修論が、なんと危篤状態を奇跡的に脱し、なんとかなるかも?と一筋の光明が見えた頃、私はだいすきな姉さんのいる今治に出かけた。もともと長く働いていた旅行会社で出会った姉さんと、同じくそこで出会った妹のような友人と今治で会おうと約束したのだ。この旅もほんとーに楽しかった。そして今、思い出してもとても印象深い旅になった。もろもろでへろへろになっていた私に、姉さんはいつものホスピタリティで(ホスピタリティが服着て歩いているような姉さんなのだ)私たちが好きそうな所にしゃしゃっと連れて行ってくれた。

まずはだいすきな温泉だ♡

この時は、町なかにあるしまなみ温泉 喜助の湯というシャレオツな温泉に行くことなった。どうやらしまなみは、既にサイクリングの聖地となっており、この温泉はその基地のひとつになっているそうである!今治すごい!あつい!

わ~い♪と気分上々で女湯に入った途端、そこで驚いた。なんとなんと、女湯の壁にはかわいらし~い絵が描かれていた。後で知ったが、これは鬼頭祈さんというイラストレーターの方が描かれた「ミカンの守り神」という絵だそうだ。そしてその絵の空には。。。天女さまが舞っていたのだ(涙)。そのうちのおひとりは琵琶を手に、である!温泉で上気していた私の気分は更にアゲアゲとなった。ふんわりしたうきうきガール気分で、温泉につかりながらずっと壁画を見上げていた。サイコーのスタートだった。

そしてレモン好きな私がレモンレモンといつも騒ぐものだから、そこは流石の姉さんであった。翌日は生口島に行こう!と、次の日の企画も万端にして下さっていた。その生口島。もちろんレモンはめちゃめちゃ有名なのだけれど(レモンのお菓子おいしかった~!またぜひ行きたい☆)、私的には更に、というか同等以上の平山郁夫大先生の美術館があるのだ!じゃじゃーん!平山郁夫、といえばシルクロード!でしょ?でしょ?山梨にある「平山郁夫シルクロード美術館」ほどのシルクロード色はないのだけれど、画伯の幼いころのスケッチなんてあって、私のこころがまたほーっとした。そして大きなシルクロードの絵の前で感無量になった。だって、島でこんなに楽しいのに、その上シルクロードまでなんてもう、盆と正月が一緒に来たようだよってのはこのことです。

そして生口島ったらこれで終わらない。みなさんは耕三寺 をご存じだろうか?不肖私めはここに連れて来てもらうまで知らなかった!昭和初期に「お母様への感謝ために」耕三寺耕三氏という実業家の方が建立したお寺だそうだ。とにかく、これは体験して頂くのが一番だと思うのだけれども、このお寺、まじ尋常じゃない(誉め言葉です!)。なんだろう、もう極楽と地獄と東洋と西洋が混然一体のカオスと化しているなかに、母への愛がこんこんとあふれ流れ出でているお寺である。ご興味のある向きは、ぜひ!体験してみてください。南国の太陽はきらきらしていて、そしてそこに!また天女さまたちのレリーフがあって、私はこの旅何度目かのアゲアゲ気分を更に満喫したのだった。南仏の小さな町にある教会に流れているようなあかるく、軽い空気感だった。地獄めぐりもサイコーにファンキーだった。(いや、ほんと姉さん、その節はありがとうございました)

勘のよい皆さまはもう、お気づきかもしれない。ここでまた面々と書き連ねているのは、シルクロードや、琵琶、飛天/天女のイメージに私が出会い続けていた、という記録だなのだ。

そしてそれは序の口で、この後もまだまだ続くことにあとで私は気が付くことになる。

(つづく)

話は飛んでシルクロード(イスタンブールではありません)

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で、無意識への愛の話である。

無意識へのアプローチがたいへんな道のりで、なんだか特権階級(最近は上級国民とか言うのでしたっけ?)だけがその世界を享受できるのって、つまんなくないですか?私はそんなのいやです、愛の下に身分は関係ないですよね??と、主張します!だって愛してるんですからっ!

と、またここで愛を語るのにも、それなりの理由があるのだ。

(だいぶまた話が迂回気味になるけれど、お願いします、ついてきてplease)

今の時代、ちょっとぐぐってみれば「怒らなくなる方法」とか「あなたの運命を変える方法」とか「嫌われないコミュニケーション」とか、そんな情報がもう数限りなくあるし、本屋さんに行ってもまた然り。電車に乗ればだいたい窓ガラスのところに「100万人が涙!」「これで人生変わりました!」って啓発本の宣伝とか。もうゴマンとありますよね?

で、この手の本を読むじゃないですか?で、おお!そうだったのか!っていう「気づき」とやらがあって、いきなり何かに感謝しはじめたり、他人をやさしい目でみよう、とか、朝型生活にしよう!とか、そんな感じになるじゃないですか?(わたしはなりました。相当数回なりました!)

で、なんかすごく変わりましたか?って自問自答するとですね。「知識」は増えました。ああ、こうやって成功したり、いい人?いい気分?になった人がいたんだねー、っていう「知識」。それ以外は残念ながら、その本へのフィーバーが続いている期間限定の変化。でね、飽きちゃう。だいたい1~2か月で、もうめんどくさい。。って思い始めて、だんだん忘れる。私にとってはこの繰り返しだったんですよ。啓発本だけでなく、心理学のセオリーや手法を学ぶってことに関しても私は同じ轍を繰り返していました。おまけに「ああ、この方法も私向きじゃなかった」という妙な敗北感までついてきちゃって、三歩進んで二歩下がる、どころか、三歩進んで四歩下がるってな具合。

いや、いいんですよ!こういう本とか人、心理学との出会いで人生変わった!っていう方は素晴らしいんです!そのままでいて!Stay Gold!

でも、私みたいな経験された方、いらっしゃいませんかね??私のように敗北感こそ感じなかったかもしれないけれど、色あせた啓発本が忘れた頃本棚から出てきた、みたいなご経験ありません??

で、So What!?なんですよ。で?どうなのよ?ってマツコに突っ込まれてる感じ(勝手なイメージです)。

それで今、あなたの何が変わって、どう幸せ/思ったようになっていますか?

ってね。突っ込まれてます。私は自分でも自分に突っ込んだ。

小さな変化を感じるのが幸せなのです、とか、あなたは変わったように思えないかもしれないけど実は変化しているんですよ、とか、そういうのは良いんです。置いておいてください。なぜなら、私の望んでいた変化とはそういうもんじゃなかったから。

私が変化した、と納得できなければ、変化は私の世界には存在しなかったんです。

そう、納得感!!実感!!(ここ、あとでテストに出すから覚えておいてね!)が全てだった!私には。そしてその納得感っていうのは、残念ながら増えた知識からは得ることが出来なかった。

じゃ、一体どこからその納得感って感じられるの??ってね、また暗礁に乗り上げたわけです。知識ではもう無理なんだなって思ったから、ボディワークとかでね(これもいろいろ体験したので、またご披露しますね~☆)身体に直接働きかけて、納得感っていう体感覚を学習っていうのかな~感覚的には思い出した!って感じだったように思う。ボディワークは知識ばっかりに偏っていた私の状態をだいぶニュートラルにしてくれた。

しかし!しかしです。執念&疑り深い私の中には、どうしてもまだブレイクスルーできないもやもやが残っちゃってた。なんかこの私にこれ!ってわからせる方法が他にあるはず。。。ぜーーったいあるはず!!

もはやそれは私の思い込み、と言っても過言ではなかったかもしれない。でも、私は自分で納得したかった。だってそうじゃなかったら、私に何にも残らない気がしたから。もう問題解決、とかそういうことよりも、「わかった!」っていう感覚が心底欲しかった。だって「わたし、実はわかっちゃってるんです♡」というふりをし続けるのに、限界を感じていたから。わかってないのにわかってるふりしてもね。わかってないのを誰よりも私がいちばん知っているわけだし!そんなふりしても誰もね、誉めちゃくれないし、得にもならない。

 

でまた滅法話はぶっ飛びますが、みなさん「琵琶」ってご存知ですかね?(ごめん、ついてきて!)多分、ぱっと頭に浮かぶのは平家物語を語る琵琶法師かもしれませんが、私にとってはぱっと心に浮かぶのは正倉院の五弦の琵琶なんです~。イミテーションだけどこれこれ↓(去年東博で「正倉院展」が開催された時、感動におののきながら見た琵琶のイミテーションです)。

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(本物は写真が撮れなかった。。)

私は大学時代、シルクロード仏教美術の歴史を専攻していて、タクラマカン砂漠とかにある敦煌とかキジル千仏洞とか、そんなニッチな文化をお勉強したんですよ。小学校の時にね、NHKの「シルクロード」って番組がありましてね(って歳がばれますけども)それにやられた奇特な小学生だったんですよ。もうあのあおーーーい空の下砂漠をね、ラクダのキャラバンが粛々と通り過ぎていくっていうシーンと、その"ちょっと振り向いて みただけの異邦人"感、そしてミックスドで滅法美しい仏像たちにやられていたわけです。私の興味は長続きしないので、その後ずっとシルクロードに恋い焦がれていたわけではなかったけれど、いろんな大学を受験した挙句、おさまった所がシルクロード仏教美術専攻でした。

ということで、シルクロードの終着駅である奈良の正倉院に眠る五弦の琵琶は私にとってはそのシルクロードのひとつのシンボルなんですね。で、そのシルクロード熱がここ近年、私の中でリバイバルしてきていたんです。

それは「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」っていう映画をAmazon様に勧められて、ふ、と去年見たところあたりからどうやら本格化していたのでありました。

つづく

無意識。このかわいくて、執念深くて、魅力的なやつ。

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精神分析、をご存じだろうか?

それはかのフロイト大先生が、私たちの中にはどうやら「無意識」という世界が誰にでもあって、それがいかにあなたや私に影響しちゃってるか、という大発見をして下さったことにはじまる。

例えば「痩せたい!」って思うじゃないですか。それでしばらく頑張ってダイエットして80kgあった体重が50kgになったと。しかし悪名高き「リバウンド」がやってくることがある。これは身体の恒常性っていう「もともとあなた80kgでしたよね?はい、80kgに戻して!」という身体の持つ特性も影響するんだけど、それと同じくらいの働きをするのがこの「無意識」。

この「無意識」っていうところに、

  • 80kgの時にいい思い(いっぱい食べられたとか、いっぱい食べたことでいやなことを忘れられたとか)したじゃん?
  • 小さい時、ぽちゃぽちゃしててかわいいってママにいい子いい子ってされたじゃん?
  • 恋愛も仕事もうまくいかないのは、80kgだからじゃん?(だから恋愛と仕事がうまくいかない間は痩せちゃダメじゃん?)

ってまあ、これはほんの一例だけど、そんな思いが存在してると痩せようとするのを阻止しちゃうっていう構造が私たちの中には備わっている。「痩せたい(意識)、でも痩せてもらっちゃ困る(無意識)」で、なんと無意識の方が圧倒的な勝利!ってなることが多い。他にもその人にしか到底わかりようのないびっくりするような「痩せちゃ困る」理由が眠っているってこともある。

だから自分がいくら「痩せたい!」って思っても、痩せられない/リバウンドばっかりしちゃう、、、どうしたらいいでしょうかー?(涙)という問いに対して、この無意識の中にある言い分っていうのを聞いてやろうじゃありませんか?っていうのが、そもそもの「精神分析」っていうのもののスタートなわけだ。

こんな風に書いてしまうと、なんだその無意識ってやつはわたしの幸せを邪魔するいやなやつじゃんか?そんなやつ嫌いですー(怒)というお気持ちもわかりますが、ちょっとだけ聞いてやって。実はこの無意識っていうのは、「無意識」だけにめっちゃ厄介で、執念深くて、でも憎めない、なんとも言えない魅力に満ち満ちたやつなのだ。

あんまり魅力的だから、フロイト先生、ユング大先生に続きゴマンという精神分析家、研究家が誕生し(日本では何といっても河合隼雄先生ですね)この100年程度の間にこの精神分析という世界はどんどん研究されて、たくさんの発見があった、と、思う。

しかししかし、しかーし。この前のブログで私がくどくどと書いたように、この「無意識」へのアプローチはなかなか大変なんである。この下の写真は数年前、私がロンドンにあるフロイト博物館に行ったときに撮った!(ちょっと自慢。ほら、一見disっているように見えて、私の無意識への愛が伝わります?でしょ?。。。ごめんなさい。)ものですが、右側がかの有名なフロイト先生のカウチです。ここにクライアントさんが寝そべりながら、夢について様々なことを語るのを、フロイト先生は机の前でお聞きになる、といわけです。

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脱線がてら(私の話はだいたい脱線系♡)もうちょっとこの部屋について語らせてください!それはもう、部屋中もんのすごい量のエジプト系、仏教系、民族系?の置物やら絵やら彫刻やら、その醸し出す雰囲気だけで普段見向きもされない無意識の世界にふっと誘われていくような、一種の装置みたいなお部屋、であった。行かれる方がおられれば、出来ればここで半日くらい過ごしてみてください。ロンドンっていう街の持つ、独特の空気感とあいまって、普段よりも夢がよりビビッドに見られるかも?

で、この無意識へのアプローチの話である。なにしろ「無意識」なわけだから、「はい、じゃ、あなたの無意識聞かせてください」「はーい☆」ってわけにはいかないのである。逆にその程度でほいほい出てくるような無意識の世界は、そもそも無意識って言わないのである!

そこでフロイトユング大先生はあなたの見た「夢」をその無意識へのアプローチのひとつとして使ったのだ。なぜなら夢にはあなたの無意識の世界が投影されていて、あなたの夢を語って頂く、ということは、誤解を恐れずに言えば「あなたのこころの奥底にある願い、あなたの問題の解決の糸口」のほんのちょっと、を教えて頂けるっていうことなんです。

「夢占い」ってあるじゃないですか?あれは、この無意識の世界に眠るあなたを超・超・超ラフに「意識語」?に翻訳しているものだって私は思っている。

ただね、この「精神分析」と一般的な「夢占い」って似て非なるもの、というか、ふかーーーーーくて、とおーーーーーーい関係性があるんですよ。もともとの出発点というか、ご先祖様はね、一緒。だけどもう、親戚でもないですーくらいな間柄?

で、きのう私が述べたくどくど、に再度繋がるんですが、このね、精神分析に基づく夢の解体共同作業って、専門家がどのくらいそれが出来るまで修行するかご存知です?もうね、何十年単位(乱暴)って言っても過言ではないかも。そして、この精神分析を受けるには、毎週1回、精神分析家/精神分析カウンセラーのもとに通って思い浮かんだことをただただお話する、っていう、それを何年も(言い過ぎかも)するっていうもんのすごく高いハードルがあるわけ!

ね、もう、相当の覚悟でこの道に賭けます、わたくし!!ってくらいの意気込みがないと、飛び込めない世界でしょ?で、もちろんこの分析家になるには、このくらいの意気込みを受け止めるだけだけの修行(と敢えて言わせて頂くけれども)が必要ってわけです。お坊さん並みの修行だと私は思う。お経くらいの文献を山のように読んで、咀嚼して自分のものにして、そして分析家の方も分析を浴びるほどもう、受けなくちゃならない。そして、はい、やっとスタート。

いくらね、私が無意識を愛していてもこりゃかないませんぜ、だんな。

でも、でも、だからってあきらめきれないじゃないですか?身分の違いがあるっていうのが、逆に燃えるじゃないですか?(私はそういう性質です)。こんなに魅力的な「無意識」を身分違いの恋ってことで諦めちゃっていいんですか??

 

つづく

心理学って問題解決できるんだと思ってた。

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問題が減る気配がない。

確かにちょっと言い過ぎたかもしれない。年齢相応には、経験値から解決出来たり、あきらめたり、「え?問題なんかありましたっけ?」とあたかも問題がなかったかのように振る舞ったり(私はこれが女優並みに得意である)して対処することは出来るようになっていた。

何十年もサラリーマンをやった成果である。

おまけに何てったって、世界の一流の心理学の先達たちのセオリーを(本の飛ばし読みで)そのさわりくらいは学んだのである。マインドフルネスだってこんなに世間が騒ぐちょっと前には「す、すごい!」と心奪われ、実際にお坊さんたちに会い出かけたのだ。超苦手な瞑想なんていうのもトライしちゃってたのだ。更に「心だけじゃないだろう、時代は体とこころと両方やらなくちゃだめだろう?」とキネシオロジーなるものを学びに異国の地まで出かけたりもしたのだ。おまけに「臨床心理」の大学院生だ。教育カウンセリング必須です、って学校から言われるはるか前からカウンセリングもじゃんじゃん受けていたのだ。ボディワークも山ほどだ!

これで問題が全く減らないなんてうそだろう?ね?うそだと言って!(涙)

大学院の最後の年、それはもう本当にたいへんないちねんだったのだが(しつこいようですが、またそれは別の機会に)、その間もたくさんの人が私に無邪気に聞いてきた。

「卒業したら楽しみだね!何をしたいの?」

「すごいねーそんなにお勉強してカウンセラーになるんだね?」

処世術?を学んだ私にとって、まあ、場がしれっとしない程度に謙虚に、かつ、やる気も片りんをみせるような返しをするのは、難しくはなかった。

「これからは本当に困っているひとを助けたいと思ってるんだ!」

「経験がないから、まずはカウンセラーの経験を積むところからかな」

たいていの人はそれで、おお!それは楽しみだね、がんばってね、と優しく受け止めてくれた。

そして私は途方に暮れたのである。

なぜならばだ。私は、日常生活で問題がさほど減っていないことにとっくに気づいてしまっていたのである。そして何よりも、自分が果たしてカウンセリングなんてものを本当にやりたいのか、疑惑のデパート並みに疑念イッパイだった(今さらですが、私、お話する方が大好きなんです)。

大学院の授業でも、資格が欲しくて慌てて申し込んだ産業カウンセラーの講座でも、傾聴、というトレーニングは相応に積んだ。そして、それがそんなに苦手じゃないってことも経験していた。でも、どうしても、どうしても、次の展開が自分でも見えてこない。

ひとつは自分の人生における問題が(思ったようには)一向に減る気配がないこと。

そしてもうひとつ。心理の世界の問題の解決方法が、平たく言えば、だが、私には敷居が高すぎた。これは世の臨床心理の研究者や心理の世界をけっして貶めたり、喧嘩を売る意図はない、と言い訳がましい言い訳を先に述べさせていただきましょう。

心理の世界には山ほどの技法が存在し、その背景の理論はいちいち正しい。しかし、そういった「理論的に正しい、かつエビデンスもある!」心理学と、その理論/技法を使ってカウンセリングする対象者、つまりクライアントの像がわたしの中では同じ世界に存在しえなかったのだ。

ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」で医学書を読んだ主人公があらゆる病気にかかっている、と信じてしまった如く、DSM-5(精神疾患の辞典のようなものです)を開けばどれも自分のことのように思われてならなかった私がクライアントだとしても、である。

一方、日常生活を送っている会社の同僚や友人たちは、それはもう色々な壁にぶちあたったり、悩んだりして日々を頑張っている。私や彼らが臨床心理学の恩恵に預からなくて、いったい何のための心理学だというのだ?

いや、世の中にはちゃんとこれが必要な方たちがいる(け、決して忖度じゃないです)。そしてそれが必要不可欠な世界があることも承知しています。でも、やっぱり、さ。ふつうにサラリーマンやってる人で、ふつうに悩んでてそれでカウンセリングに行きました、っていう知り合いは私にはほとんどいない。私は精神的黒字化を狙うヘンタイ且つ、摩訶不思議な世界が大好きだったので、たまたまこの世界に出会えた、というだけだ。

また、臨床心理の世界、というのがこれがまた。。。これも誤解を恐れずに申し上げてしまえば(泣きそう)、私には高等遊民/貴族の遊び、的世界にオーバーラップしてしまったのだ。。。

フロイトとかユングとかに始まる心理の巨匠たちの本、ご覧になったことあります?すごいですよ、もう。ふつーには読めませんでした、私には。もんのすごく壮大なパズルですよ。文章読むのが1万ピースのパズルやってる感覚。ふつうの社会生活しながら、あの世界にも住んでいられるって、相当の好事家。イメージは和歌(何重にも意味がこめられてる)詠んでる平安貴族。

ということで、私が完全につんだ理由がくどくど述べられたまま、このお話はつづくのでした。

(つづく)

私は自分の人生を黒字化したかった。

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この人生を振り返って思った(と言っても、まだおばあちゃんではないですー)。

問題、とか、悩み、とか。あの人がいやだとか、もう終わりだ!とか。そんな厄介な事態は時と場所を選ばず、頻繁にやって来た。学校でも職場でもプライベートな生活の中でも、そりゃもう遠慮なく、いつでも、どこでも、いくつでも、其奴らはお構いなしにやって来るのである。

もうたくさんだ、と思っていた。もうこの招かざるお客さん(問題)たちには来てもらいたくない。いや、金輪際顔も見たくない。不愉快だし、ムカつくし、気落ちするし、それが気になって、そのことばかりずーっと考えて続けてしまう。

だから、何とかしてその問題や悩みを解決しようとして其奴らに立ち向かった。いやな人には「わたしあなたが嫌いなんです」って悟られないように気を付けた。仕事の問題は、、、もう、一秒でもはやく解決しよう!としゃにむに動いたりした。うまくいったことも、全然うまくいかないこともあった。うまくいって有頂天になった。うまくいかなくて、逆切れもした。うまくいったのに、別の誤解を生んだこともあった。

そうやって招かざるお客さん(問題)たちの相手もしなければならないというのに!厄介なことに、そのお客さんが帰った後、自分の気持ちの後始末という難事業もあるではないか。。

そりゃもう、疲れ果ててるか、モーレツに不機嫌か、落ち込むか。有頂天になってもその後はどっと疲れるのだ。たまには、逃げ切れてほっとする。でも、ほんとにたいへんだ。たいへんすぎる。自分を労ろうにも、年々体力、気力も衰えてきたのである。目はかすむし、腰も痛いのだ。年齢による進化に、これではとても追いつかないではないか!

そこでこの「大損害」の赤字を一掃すべく、「なんで問題が起こるのか」なんてテーマに挑戦しはじめた。匂いを断つなら元から♪である。

まずはそのテーマに沿った本を読んでみると、なんと!その本に正解が書いてあるではないか!私は嬉しくなって、手あたり次第気になる本を積読した。用心深い私は念のため、正解のバラエティを自分でも持っていたくなったのだ。

そしてそれにも飽き足らなくなった私は、その本の著者や先生という立派な先達たちに会いに出かけはじめた。するとめちゃめちゃ驚いた。素晴らしい方々が、実に素晴らしく魅力的、且つ感動的な世界を説いておられた。素晴らしいメソッドや考え、テクニック、というものがあって、その頂点にシンボライズされている先生含め、その世界はキラキラ輝いていた。そうか、そうなのか!私が「正解」だと思っていた更にその奥に、「ほんとうの正解」というものがあるらしい、と私は打ちのめされた。本を積読したくらいでは、その「ほんとうの正解」や奥義には到底到達できない世界があるのだ。

そう悟った私は、本当に、それは本当に様々なフィールドの先達にお会いし、お話を聞き、時に導いて頂いた。様々なことを学び、教えて頂いた。そしてあろうことか、臨床心理の大学院生生活までスタートしてしまった(そのカオスな生活についてはまた別の機会に)。ぴん、ときた方々にお願いをして、カウンセリングや個人面談といったものを、めちゃめちゃ受けまくった。

生来飽きっぽく、何事も長続きしない私だったけれど、この学びの時間そのものは長いこと続いたように思う。どの先達も世界も凄すぎて、私はとてもそこまで辿り着けそうにない、ため息をつけながら色々諦めたりもした。これもう、むり!と自分から扉を閉めてしまったこともあった。けれど、どの瞬間を切り取っても掛け値なしに素晴らしい体験だったとは言える。公私共にわたくし、「ほんとうの正解」を追求しているのであります!!社会人やりながら実は学生でーす♡みたいな、モラトリアムな時間と経験が積み重なった。

さあ、これだけ学んだし、経験したのだ!これで一斉に借金を返そうではないか!と私は鼻息を荒くした。とうとう私の人生、黒字化の夢が実現するのだ!こつこつと貯めた銀行通帳を久々に見るように、私は嬉々として自分の「正解」たちの棚卸をし始めた。

するとどうだろう。。。おかしい。あれだけ貯めたはずの「正解」たちの数が、全然足りないではないか。。いや、確かに「正解」や「ほんとうの正解」の数は増えていた。しかし、私の負債を返し、憧れの精神的リッチな生活を始めるには到底足りそうにない。ぜんぜん足りなーーーい!!

こんなはずではなかった。。。私は「正解」や「ほんとうの正解」を手にしたら、これまでも負債を一挙に解消し、憧れの「精神的お金持ち」になるはずだったのだ!

私はいったい何のために「なんで問題が起こるのか」などというテーマを追求してたんだろう?それもこんなに長い時間!こんなにお金(ほんもののお金)も時間もいっぱいかけて、何を得たっていうんだろう。何故ならば、こんなにもこのテーマを追求したのに、問題は一向に減る気配がないのだ。

現実の貯金残高は限りなく、頼りない残額しかない。現実はシビアだ。そして何の慰めにもならない。

呆然自失、とはこのことである。

(つづく)

はじめます(やっと!)

はじめまして!Warumiです。

もう何十年もの間「人のこころ」ってなんだろう、不思議すぎるんだよ~(涙)と思いながら、たくさんの体験をしてきました。思いがけずにコロナが運んで来たエアポケットの中で、これまでの体験や、今わたしが思っていること、これからやりたいことを書いてみたくなりました。ようやくのスタートです!

こころを媒介にしながら、あなたと私がぱん!とスパークする瞬間が大好きです。これからは、そんな瞬間をたくさんクリエイトしていきたい。このブログがそのきっかけになったら、もんのすごくうれしいです。

どうぞよろしくお願いします。