Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

それって偶然?それとも必然?

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何かこう、自分のなかに問題みたいなものとか、生きづらく感じるようなものを感じておられる方って、実はけっこう多いんじゃないかな~って思うんですよね。

電車の広告とか、本屋さんの入り口あたりに並べられている今週のベストセラーの中に、どう生きるべきか、とか、人間関係に悩むあなたはこれを!みたいなね。そういう類の本の宣伝が必ず入っている。

そしてここ最近、また第〇次?占いブームだそうです。企業のメンタルヘルスチェックが義務化されたり、臨床心理の世界でも公認心理士という新たな資格保持者が誕生したりしていますが、まだまだ受け止めるお皿の方は足らないみたい。それだけ何かに悩んでいらっしゃる方が多いってことじゃないかな、と思います。

で、ね。私もそうだったんですけども、自分が何かに悩んだり困っている時ってまず「情報」から入る方、多いんじゃないでしょうかね。web上でカウンセラーさんのサイトとか、同じような悩みついて書いてあるこういうブログをサーチしたり、いろいろと心理学の本を読んだりする。ほんとに手軽に色々な情報にアクセスできる、いい世の中になりました。

でね。例えば何かに悩んでいて、そのことについて調べていたとして。その時、たまたま心理学的なアプローチで書かれている何かを読んだとします。そうしますとね、往々にして、あなたのその問題の奥にはもしかして「親子関係」が隠れてますよ!みたいなことが書いてあるわけです。

すると、そうなのか!ってびっくりして腑に落ちたりしませんでした?そうそう!そうだった!私の親子関係ってそうでした!みたいにね、納得しちゃう。私も初めてこの「親子関係」説に出会った頃は相当コーフンしました。そうだったのか、それが原因だったのか!って気付かされたことが沢山あったんですよね。

一方、これはスピリチュアル系に多いかもしれないんですけどもね。そんな界隈でよく説明されているのが「問題はあなたがつくりだしているものですよ」っていう説。

え?違いますよ、私がこんなに困っているのは、会社のAさんがもうほんとにひどい人だからです!とか。いえいえ、私は被害者で、旦那がね、ひどいんですよ、金遣いが荒くて浮気はするし云々。

こんな風に思っていたら思っていたほど「実は問題は私がつくってました」説を理解すると、あらびっくり。えええええー!?っていう驚きと、よく考えてみればそうかも!?ってね。またまたコーフンするわけですよね。この世の中の仕組みがとうとうわかったぞ!って。ああ、それでか!ああ、だからか!って、今までわからなかった答えがですね、なんだそういうことだったのか!って腑に落ちる。コペルニクス的転回。

この親子関係説、そして、問題は私がつくっていました説もね。ある意味本当に正しいし、すごい発見だって私も思うんですよ。

確かにそう。親子関係からはじまった関係性のつまづきだったり、自分の中のものを外に投影させたりして、どうやら人は「問題」というものをクリエイトしている生き物のようです。こうやって、今までとは違う視点で自分の「問題」を見つめることが出来るってのはすごいことです。

もし「問題」に苦しむのがもういやだな、、と思われていらっしゃる方がおられたら、こういったいくつかのアプローチや、問題を俯瞰することで新たな視点を得る、というのはとても大切だし、効果もある。

しかし、今日私が話題にしたいのは、この視点をゲットして以降のお話なんです。

というのが「問題」に悩んでいる方ってね、本当に真面目な方が多いな~って思うんですよね。真面目を前面に出しているかないか、って違いはあれども、真剣に悩まれている方ばかりです。

そういう真面目な方が、こういった「問題」を俯瞰する新たな視点を持つとですね。

極めちゃう。

そう、新たな視点を極めてしまうんですよね。

そうするとですよ。もう、世の中のありとあらゆる「問題」ってやつが、自分の親子関係に帰結してくる。そして、全ての「問題」は自分がつくりだしているものだって骨の髄まで思えて仕方なくなる。

ここでブレイクスルーが起こる方もいらっしゃるようですが、一方、この視点を極めたところでスタックしてしまう方も大変多いように思います。

で、極めた方がなんて仰るかっていうと:

・「問題」が起こるのは、私がまだ親子関係で未解決(自分の感情を処理できていない)ことがあるからなんです。。

・「問題」が起こるのは、私がまだ自分の中に未解決(直面しなくてはいけないものがあるのに避けている状態)なことがあるからなんです。。

ってね、みなさん仰います。

それも間違いじゃないのかもしれません。理論的には。

でもね。私たちは神さまじゃないんですよね~。万物を創造してこの世の理をおさめている全知全能の神じゃない。

だから「問題」ってものが全て必然的に起こってる、なんてことはあり得ないって、私は思うんですよね。例えばですが、いきなり夕立が降ってくるのも、信号機が赤ばかりになるのも、電車で隣の子どもに足を踏まれたのも、みんなあなたの親子関係や、自分の中の未解決問題のせいですか?って話です。

何かに目覚めたり、極めたりしたから、信号が青ばかりだった、とか、電車の席にいつも座れた、とかね。私はナンセンスだって思いますよ、ほんと。魔法使いの理想化が過ぎやしませんか?と思うんですよね。

こうやってお話をすると「あ、そうか、、」ってなることも多い。

でもこと、自分の問題にまたフォーカスすると、やっぱりまだまだ自分が至らないせいで、とか、どうしても親との関係が修復できないせいで、って思い続けておられる方が誠に多い。

もしかして私たちは、問題には答えがある。そしてその答えはひとつである。っていう考えに慣れ過ぎてしまっているのかもしれません。白と黒をはっきりつける、とか、善悪の線を引く、とか。

確かに。昨今、感染を拡大させないためには、移動しちゃだめだ、とかそれじゃ経済がまわらない論争が繰り広げられてますよね。そして、どちらかが正しいのだ!?或いは、お前の態度はどっちなんだ!?と迫る圧が非常に強いように見えます。

それってね。実は感染拡大防止そのもののことを話し合ってるんでしょうか?「私のこの不安の原因を解決してくれ!」って思う心がダダ洩れているだけじゃないでしょうか。

そう。だからね。この移動が良いとかダメとかいう意見のどちらにも理があるように、「問題」が起こるのは偶然でもあり必然でもあるって私は思います。問題には、私の中の何かが作用しているし、外界からのご縁も作用している。今日たまたまその電車に乗り合わせた運命でもあれば、それを自分が選んだ、という意思でもある。きっとそのどちらもあるんだと思います。

ですから、もし学んでも学んでも、ご自身の問題が一向に減らなくて落ち込んでいらっしゃる方がいれば、是非安心して頂きたいと思うんです。それはあなたのせいじゃないです。あなたが持っている環境や性格や学びのせいだけで減らないわけじゃない。

そして問題の構造や原因がわかるってことと、問題を解決するってことは同じことではないです。もしかして、ね。そうやってご自身が問題を解決するってことにとても一生懸命なのは、問題解決そのものより、問題を持っている時のご自身の心の中にある「不安」を解消したいのかもしれません。

もしそうであれば、問題の解決よりも自分の不安感に向き合った方がいいよーっていうサインなのかもしれませんよ。

もし何か思い当たるようなことがあれば、お気軽にご相談下さいね。

 

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