Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

サービス業の中で働いている人に起こりがち?な危機(その3)とその対処法(その1)

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今回もこちらの続きです。

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①「燃え尽き症候群バーンアウト)」

②「人が好きなのに、人に傷つけられて心折れちゃう」

③「完全現場責任主義が重荷になって病む」

のという症状のうち、最後の③について。

 

③「完全現場責任主義が重荷になって病む」

③の環境的要素は①と②の複合体です。つまり、①のマルチタスクの連続と②でお伝えした「他人目線の成果主義」が、サービス業、特に旅行業では必須環境となっていたと思います。

他人がサービスに満足しているかどうか=自身の成績、成果にそのまま反映されちゃうんですよね。他人のご機嫌、満足度が、自分の仕事の評価となる。

また「事件は現場で起こってる!」通り、旅行も、刻刻と変わる「現場」で進行している。介入なしに旅程とおりの旅行催行ってほとんど実現不可能なんですよね!それを力づくて旅程通りにする。それも自分で、です。先、先のことを考えながら、今、どうすべきか、今、何の決断をしてそれを誰に伝えるか、で、頭の中はぐるぐるになります。そのぐるぐるの時に「お手洗いどこですかー?」とか「具合が悪いんですが。。」というお客さまのケアも入ってくる。全部自分が負う仕事です。

「状況を見て自分で判断、決断をする」という能力は、私はこのサービス業の中で鍛えられました。出来るようになるためには、経験値が大きいですね~。習得するにも時間と経験が必要です。最初は判断するのも怖いんですよね。自分で判断して、その結果がダイレクトに返ってきますからね。いつもだいたい悪い結果ばかりを予想しつつ、プルプル泣きそうになりながら判断をする。予測が正しければ束の間ほっとする。でも誤った場合は、すぐに次の手を打たないといけません。盛り下がったお客さまを何とかしなくては!

ところで、のちに別の会社で働いた時に「現場では判断、決断をしない」のがそこのデフォルトだったことに、愕然としました。職業環境によって求められる仕事像?ってこんなに違うものかと、ちょっと驚いちゃったんですよね。だからやっぱりサービス業特有の環境の中で働くって、特有の厳しさがあるな、と改めて思いました。ひとひとりにかかるプレッシャーが大きいかな。

このように、自分で考えて、自分でその責任を負う、という繰り返しの環境下では「自分解決しなくちゃならない」「頼れるのは自分しかいない」という考えが強固になりがちです。もともと人に何かをお願いする、とか、人を頼る、ということが苦手な人にとってはこれは厳しいですね~。

おまけに頑張った結果の評価とは「お客さま/他人目線の評価」なわけですからね。特に自分の判断や結果に自信を持ちにくい人。正解はこれなのか?と内心不安が大きい人はこれに直撃されます。そして無理やり叱咤激励、経験をつんでそれが一周回るとどうなるか、というとね。「私がこんなに奉仕しているのに、誰も全然ありがたがらない!!」「私だけがこんなに頑張ってるのに、まわりは全然仕事しない!」という風に変貌しちゃうケースも多いかも。

こういう状態が長時間続くと、確実に病みます。いつもちょっと何かに追われている、責められているような気がしていますから、心は晴れない。いつも肩があがっていて、がちがちになっている感じ。深い諦めと怒りが交互に出現します。怒りの感情が強めな人の場合、逆に怒れなくなってくると本当にまずいです。①のようにバーンアウトからの、ひどい場合は休職をせざるを得ないような状況になってしまうこともあります。

ということで、危機についてそれぞれ内容をお伝えしてきました。このままではつらすぎますよね。何とかしたい。では①~③にはどうしたらいいのでしょうか?サービス業でこれからも働いていきたいのに!こんな危機ばっかりじゃこわくて泣く!という方へ。

私がこれまで経験した中で、自分なりに効果が感じられた手法をいくつかご紹介したいと思います。

手動瞑想(チャルーンサティ)

以前、タイのお寺で副住職をされている日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師のことにちょっと触れました。このプラユキ師から教わった瞑想の中で、私に効果があったのがこの「手動瞑想」でした。この瞑想の紹介サイトがありますので、よろしければちょっとご覧ください(ビデオ付きなので、わかりやすい♡)。

www.dananet.jp

この瞑想のユニークなところは、手を動かしながらの瞑想方法だってことなんですよね。瞑想って言うと、すぐに眠りの世界に行ってしまう私のような者でもあらら?出来た??ってくらい、間口が広い瞑想方法のひとつだと思います。

これはもう色んな本に書かれてますけどね。「雑念を払う」とか「自分を見つめる」というような瞑想って難易度が高い。それが出来たら素晴らしいんですよ。でも私のように常に頭のなかにいろんなものがごちゃ~!っと詰まっていて、生きてるネットサーフィン状態?みたいな人にとってはめちゃめちゃ難しい。考えるな、と言われれば考えてしまうし、呼吸に集中しろ、と言われれば寝てしまう。それに初めて瞑想をしようとする時って「で、瞑想って何?怪しくないの?どうやるのが正しいの?わかんない~!」ってなっちゃうんですよね。

そんな状態の私でもいくらかは続けることが出来たのがこの「手動瞑想」です。この瞑想の何が私に良かったかと言いますとね。「放す」という概念が体感できた、という点です。

この瞑想の中で、手をぱっと開く動作があるんですけれど、これがとてもいい。プラユキ師がよく仰るのが、考えは生まれては消え、また生まれてくるものですよってことでした。だから考えに「なくなれ!」って言ったところで、ちょっと無理がある。だからこの手動瞑想では、浮かんでくる考えを、手の動きと共に、浮かんできていいですよ~って許可してあげて!→「ぱっ」と放していく。また浮かぶ→OK!→「ぱっ」と放す、また浮かぶ→・・・の繰り返しをするんですよね。

この瞑想を繰り返すことによって、「ぱっ」と手を開いて手放すっていうイメージが自分の中に徐々に根付きました。「あ~またその仕事のこと考えてるんだね~」→「OK!」→「ぱっ(バイバイ)」ってね、かるーい感じ。その前までは、嫌な思いを力ずくでぶんぶん頭を振りながら、文字通り振り払う!って感じだったのが、放す時に摩擦が少なくなる感じ。

この「OK!」っていうのがまた良いんですよね。浮かんできちゃったんだもんね~いいよ~!ばいばーい!みたいな感じで、ゆるーいスペースみたいなものが、自分と思いの間に出来る。このゆるさ、というのもとても大事な要素だと思います。

仏教(主にテーラワーダという南方上座部仏教)のことを色々学んで、私が驚いたこと。それは「仏教って体感覚の教えなのか!?」ってことでした。なんとなーくありがたい「お経」とか「教え」を頭でお勉強するもんだと思い込んでいたんですけどね。思った以上の体育会系。私のからだの感覚はいまどうなの?っていうことを問われる。教えの中にもこの感覚的なものについて、説かれているものが沢山あります。

で、この手動瞑想、①~③の危機にどれにも効くと思います。マルチタスクのいっぱいいっぱい感、仕事を抱えに抱えて首がまわらないっていう方は、オン・オフの切り替えが難しくなります。この手動瞑想で、湧いてきた仕事のことを「ぱっ」っと手放す練習が出来る。そうすると、家で仕事の妄想に取りつかれても、「ぱっ」とそれを放しやすくなる。そうするとオン・オフのスイッチを自分で操作できるようになってきます。②も同じですね。気になって仕方ない人の思いや、失敗にまつわる自責の念を「ぱっ」と放していく練習になる。毎夜、ベッドの中でキライな上司の顔に苦しめられている方、おすすめです。

私の場合、その練習/手動瞑想経験を重ねた際、ちょっと自分に静かであかるいスペースのようなものが出現してきたんですよね。それで現実の問題がなくなるわけじゃないんですよ。けれど、その問題をからだの感覚として「放す」ということが、自分の中でくっきりイメージが出来てきた感じ。よく「手放せ」って言われますけど、私の中で手放す=力ずくであきらめるってことだったみたいなんですよ、以前はね。それに気が付きました。あれ?手放すって、もっとふわっとしたもんなんだ、ってね学習しました。

この手動瞑想の効果については、認知行動療法の熊野先生も研究をなさっておられ、ご自身の著書などでも紹介されています。仏教の教えが、現代の心理療法とリンクしてるってすごい時代になりましたね~。

瞑想の興味深いところって、人によって違う経験、体験になるところのように思います。これはもう、やってみないとわからない。ってことで、ちょっとでもご興味を惹かれた方、是非試してみてくださいね~、お金は全然かからないし!また、何かご不明なことがあれば、ご遠慮なくお問い合わせください。

 

そして他の手法たちについてはまた次回に☆

(つづく)

 

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