Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

サービス業の中で働いている人に起こりがち?な危機とその対処法(その2)

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本日もこちらの続編、対処法についてです。

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前回は「手動瞑想」についてご紹介しましたが、今回は私が経験したいくつかの心理療法について書いてみたいと思います。

ソマティック・エクスペリエンシング®

www.mind-body-psychotherapy.jp

唐突にお伺いしますが、皆さまが「カウンセリング」に持っていらっしゃるイメージってどんな感じなんでしょうかね?

心療内科のお医者さんへの受診?それともカウンセリングルームのようなお部屋でカウンセラーとお話をするようなイメージ?それとも他に??(これもぜひ、皆さまにお伺いしてみたいことの筆頭です。めちゃめちゃ興味あります)。

だいたいですけど、医者やカウンセラーと「対話をしている」イメージをお持ちの方が多いのでは?と推測します。

カウンセリングって、主にことばを介して行われるものだっていう時代が長いこと続いています。今も大半のカウンセリングはそうかもしれません。クライアントの方の悩みを「ことば」で聞き、「ことば」でそのお悩みやお気持ちを共有する。この中にはボディランゲージや、クライアント、或いはカウンセラーの態度、表情を通じて感じとるものも含まれます。

人間が発明したこの「ことば」ですが、これ自体はとてもすばらしいツールです。このことばがあるからこそ、私たちはこんなに簡単にコミュニケーションを取れる。だからカウンセリングも成立するんですよね。しかし、以前書きましたこちらの記事をちょっと思い出してくださいませ。

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「大根買いました」の中にもいろいろな意味と背景が広がっているんですよ、というお話でした。

「大根」(に拘ってるみたいで、すみません!たまたま大根だったんです~)から、皆さんが連想、想像するものって一体なんでしょうか?

例えばお母さんの(大根の)お料理が大好き!って方。今、頭に浮かんでいるものってお母さんの作られた大根料理そのものかもしれません。それとも、学校から帰ってきて玄関を開けた途端、大根料理の匂いがしてほっとした記憶でしょうか?かばんを放り投げて、おなかがすいたよ~!って食卓に突進するときの気持ちかも。

或いは新婚時代の思い出の一部かも。慣れない(大根の)手料理を一生懸命作って、旦那さん、或いは奥さんに味見してもらったら「おいしいね!」って言われて、すっごく嬉しかった思い出。或いはせっかくの(大根)料理なのに、旦那さん/奥さんには結局食べてもらえず、腹をたてながら、或いは泣きながらひとりで食べた(大根)料理の味の思い出かもしれません。

もしかして大根がすっごくキライな方。学校給食で大根料理が出る度に、ランチの時間が過ぎても食べられずにうつむき、(大根)料理をつつきながらこの地獄のような時間が早く終わらないかと泣きそうだった、っていうつらい思い出かもしれませんね。

で!誤解を恐れずにものすごく簡単に言ってしまいますがね。カウンセリングって、その時の皆さんの過去の(大根の)記憶や情景をカウンセラーといっしょにふたたび体験をしていくようなそんな作業/時間なんですよね。

なぜならば(大根の思い出であれこれ書いたように)私たちには「体験の記憶」というものがあるからです。実は私たちはこの自分の「体験の記憶」を通して日々過ごしているし、物事を見たり判断したりしている。だから、今何か困ったこと、問題があること、があったとしたら、それは今、皆さんがお困りであることにつながる「過去の体験の記憶」を探っていく、ということをするんですね。

そしてこの過去の記憶を探っていく時に、その「体験の記憶」はことばで語れるもの、そしてことばでは語れないものの両方があるようなんです。

「その時うれしかったです」「その時つらかったです」と、私たちはそんな風に過去の記憶について語ります。その時、過去の記憶を共有し、カウンセラーは「想像」することは出来ますが、本当のクライアントさんの体験や気持ちを完全に理解するのは、いくらカウンセラーと言えども至難の業です。ほとんど不可能、と言ってもいいかもしれません。

そして、それはその話をしているクライアントさん自身の中で起こっていることにも言えます。もしかして、ことばとして表現された過去の記憶と、本当にそのクライアントさんが体験されたことは、同じようでちょっと違っているかもしれないんですね。

その理由のひとつに、記憶は「ことば」で語れるものでもあり、また「からだ」に蓄積されるものでもある、という側面があります。

こんな本があります。 

これはトラウマについて書かれた専門書でありながら、とてもわかりやすく書かれた本ですので、ご興味ある方はぜひご覧になってみてください。トラウマ、なんて聞くとちょっとびっくりしてしまいますが、このトラウマってね、虐待や事故などの過酷な状況だけでなく、実はなんと!普通の日常生活の中でも、ちょっとづつ蓄積されちゃったりするものなのです。思い出して心がちょっとちくっとなるようなことって、実は「トラウマ」の一種かもしれないです。そしてそのトラウマは「からだ」にも記憶されるんですよ、ということがこの本の中に丁寧に書かれています。もちろん、からだに刻まれるのはトラウマばかりではありません。ってことは、からだって情報の宝庫なんですよね~。

ということで、いつもの通りだいぶ寄り道しましたが、このソマティック・エクスペリエンシング®が、なぜこころだけではなく、からだにアプローチをするのか。それは私たち人間の記憶が脳の中だけではなく、この本で書かれている通り、からだにも蓄積されるということが明らかになってきたからなんですよね。

この療法の説明については、前出のこちらをご覧ください。ここでは私の体験についてお伝えしたいと思います。

私がこのSE(ソマティック・エクスペリエンシング)®を体験して良かった、と思ったこと。それは、自分でも気が付いていなかったからだのこわばりや、緊張、不安感などの(ことばにできないような)感覚に、自分で意識的に気が付けるようになったことです。そして、自分のからだにお任せしておくと、その感覚は一時のもので、その後「だいじょうぶだね☆」と言えるところまで、必ず戻ってくるんだな、と体感できたことです。

何か心がきゅっと縮むような出来事(電車で怒り狂ってる人がそばにいたとか、会社ですごく怒られちゃった、とか、思い出したくない大根の思い出、とか)って、それぞれにね。こころがきゅっとしてしまうバックグラウンドが(大根の奥に広がる話のように)いっぱいあるんですよね。

その時のからだの反応って、何か共通のものがあったりします。というか、その記憶にからだが反応して、からだの記憶を引っ張り出してきている。簡単に言ってしまうとこんな感じ?

SE®でも、もちろんことばを介した記憶について、カウンセラーとお話をします。した上で、その時のからだの感覚を「神経系」へのアプローチで探っていく。このSE®のちょっと不思議ですごいなあ~と思うところって、このシステムが自分で体感できるところだな!と私は思いました。自分で体感が出来るっていいです。なんかこう道しるべ、というか、自分でこうだったな、っていう感覚が後々残りやすい。

私の場合、ことばで喋っていると、その時のムードで「ああ!私はだいじょうぶ!」って思ったりしがちなんですが、それってただ「ムード」に流されちゃってる場合もある。カウンセリングの最中には「もうだいじょうぶ!」って思っても、その後「やっぱり大丈夫じゃなかった(涙)」と気持ちが戻りがちでした。その点、体感覚というものは、ふんわりしているようで、実は自分の体験が残り続ける、という不思議な力がありました。

サービス業の経験の中で、添乗中にひぃ!と焦った時。仕事のプレッシャーに気持ちがぺしゃんこにされた時。その時々にからだって物凄い反応をしているんですよね。その反応を再・体感しながら、それでも「だいじょうぶだね☆」というところに自分で帰ってくることが出来る。これが出来るようになると、例え仕事で色んなめに遭っても、自分自身でごく自然に「だいじょうぶだね☆」に戻って来られる。これって「(ホントは結構だいじょうぶじゃないけど)だいじょぶです!がんばります!」って自分を無理やり上げ続けるってことを繰り返していた私にとって、ちょっと革命的な経験ですらありました。

まだまだひぃ!ってなっちゃうことは山のようにあるんですけどね。ちゃんと戻って来られるってことを自分のからだが知ってくれている、ということ。これは大変に心強いものです。気持ちって理屈じゃないもんね、って言えるところも好きなところですね。

ということで、今回はSE®のご紹介でした。まだまだ続きます。

(つづく)

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