Warumiの柱

「こころミュージアム」のキュレーター。Warumiの「こころの魔法」研究報告です☆

カモメの夏。語学学校の夏。

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海沿いを歩いていた時、たくさんのカモメが目に入ってきた。このあたりはトンビも多くて、たいていちょっとトンビに注目していることが多いのだけれど、今日はまたカモメたちが街灯の上に仲良く並んでいるのが目についたのである。

 どこの国でもカモメってやつは、海沿いのまちに必ずいる。若い頃、イギリスの海沿いのまちに住んでいて、ホームシックの意味がわからない、くらいの心持ちで過ごせたのは、もしかしてちょっとこのカモメに負う所があるのかもしれない。その名も「シーガル(カモメ)」という名前の古ぼけたパブで、最初の頃はおとなしくホットチョコレートを、慣れた頃にはパイントグラスでシャンディーを良く飲んだ。ちょっとパブから出ると、季節は冬だったせいか、押し黙ったみたいに薄い鉛色の雲がたれこめていて、その雲をバックにカモメが鳴きながら飛んでいた。それを見ると、なんだかちょっと時空が捻じれたような錯覚がした。一瞬自分がどこにいるかわからなくなる感じ。

ところで異国にいると、時々こういう捻じれを感じる時があった。ロンドンの街を夜、歩きながらなぜか渋谷の(それもそんなに思い入れもない)裏通りの道が浮かんで、今どっちの道を歩いているのか一瞬わからなくなる。認知症のはじまりなのかもしれない?けれど、なかなかこの感覚は不思議で楽しくて、頻繁にはやってきてくれないレア感も手伝って、ちょっと楽しくなっちゃうのだ。アリスの一瞬疑似体験、みたいなものかもしれない。

もとい。それが、目に見えるものからか、音なのか、匂いなのか。何からそれを彷彿としているかはわからない。けれど、年を経る楽しみのひとつに、何かに想起された空間や時間に自分がぱん、と移動してしまう、というお遊び?があるように思う。老化現象ですよ、なんて言われたらちょっとムクれるけれど、まあ、一種のそんな老いの形を体験しているのかもしれない。

今日たくさんのカモメを見、鳴き声を聞いて、ふっと自分が思い出した光景が、やっぱりイギリスのどこかの小さな小さな港町の語学学校の前の海だった。

ちょうど季節はこの頃から、学生グループの語学学校研修が大挙してイギリスにもやってくる。たいへんありがたいお客様たちなのだけれど、グループの語学研修のオペレーションというものは、色々気苦労の多いお仕事なのであった。

その日も、私は日本からのクレームを受けてその処理に何時間かかけてその小さな港町の語学学校に来ていた。大半のクレームはこれが原因である。曰く、日本人の女子学生のホームステイ先には「いかなる国籍の妙齢の男の子」はいてはならぬ!例えその家の息子であってもそれはダメです!という厳しい掟である。この掟に背いた語学学校、並びにホストファミリーへの事情聴取、及びその解決が夏の風物詩であった。

出発前にあんなに入念にですよ。一軒一軒、全てのファミリー情報(その家の家族構成、男女別、年齢、職業や趣味、経験などが書き込まれている)をチェックするのだ。今、日本でもお役所のFAX問題が取りざたされているようですけれどもね、十数年前のイギリスなんてもっとすごかった。電子化されているものなど微塵もない。ってことで、郵送されてきた膨大な量のファミリー情報を、マーカー片手に血眼になってチェックするのが、私の仕事の重要なミッションのひとつでもあった。

だいたい最初のチェックの時点で、先ほどの厳しい「NEVER 男子!」の掟にそぐわない、或いは疑わしい(男女情報が不明、とか)ケースが10~30%くらいある。これを団体が日本を出発する日までに断固としてつぶす。ファミリーのチェンジを要求したり(こちらからも「このファミリーとこのファミリーを交換したらよかろう?」など提案もする)、情報開示を請求したりを、出発前までに絶対!という念力でもって成し遂げる。

これをお読みになって、男の子ひとりくらいで、何をそんなに大袈裟な~と仰られる向きもいらっしゃると思う。私も最初はそう思っていた。あの仕事を始める前までは。しかし、ひとりの男の子の存在により、ホストファミリーの手配がうまくいかなかったが為に、翌年取り扱いをする予定だった仕事が吹っ飛んだ、という事例を身近に見聞きし、自分も体験するともう、そんなことを言っておられなくなる。たかがファミリー、されどファミリーなのだ。

そんなわけでその日、私はその港町に向かったのだった。まずは研修が行われている学校に寄り、日本の営業マンに事情を確認し、その後数キロ離れた語学学校へ向かった。電話では「No プロブレム♡」なんて元気に答えていた語学学校の担当者だったが、会った途端「So Many プロブレム!」なんて笑っちゃっていて、もうがっくりである。前途多難。でも、なんとしてでも全て解決しないと、私もロンドンに帰れない。

語学学校というところはたいてい分業制になっていて、どの学校にもホストファミリーの担当スタッフがいる。旅行会社と連絡を取り合うのはセールスだったり、総括担当者だから、その人たちは実はあんまりホストファミリーのことは知らなくて、ファミリーのあれこれを知っているのは、まさにこのホームステイの手配担当者なのだ。

で、このホームステイの担当者が、、、なかなかのスゴ者ぞろいなのであった。何というか、キャラクターがドラマ並みにはっきりと立っている方が多かった。昔話に出てくるような、まるで妖精が年を取ったらこんな風になるのかしら?というようなマダムがいらしたこともある。しかし、強いと言われているイギリス女性の中でも上位レベル、といった威厳を持った担当者もいて(なぜかこのポジションは女性が多かった)この場合は要注意である。場合によって、最初にゴキゲンを損ねたり、こちらの出方次第では、問題解決どころの話ではなくなってしまう。

その時の担当者は、どうやら後者に属するマダムのようであった。初対面から既に険しい顔をしていて、もう、気が小さい私なんぞ、こちらの依頼が悪うございました、とうっかり言ってしまいかねない威厳をお持ちであった。勇気を振り絞って、にこやかに(ひきつっていたに違いない)これこれが問題であり、我々は速やかな対処を求めるものであります♡と、申し上げたが、「。。。ふん、そうかい」といったつれない風情である。いつの間にか総括担当者はいなくなっていた。

夏の繁忙期、ただでさえ忙しいのにあんたがた日本人グループは一体何だって言うんだい?と彼女は切り出した。そうですよね、わ、わかります!わかりますけどね、こういう契約でお願いをしている以上、こちらとしても何とか契約通りにお願いを、、、した、、く

「ふん!」と、無表情に彼女は電話をかけ始めた。話を内容を聞くに、どうもよろしくない感じである。電話を切った彼女は「あんたの望み通りにするには、時間がかかるね」と言って席を立ってしまった。それじゃ困るんだよう~!と私は椅子に座ってうなだれてしまっていたのだけど、しばらくすると彼女は部屋に戻ってきて、並々と紅茶を入れたマグをどん!と私の前に置いて言った。

「あんたの言ってることは私には理解できないね。男の子がいようといまいと、こんなにいいファミリーってそういないよ。私は彼らを20年来知っているんだ。なんかの事情があったにしろ、ファミリーの価値は変わらないよ。」「それでも変えろというのなら、まあ、なんとかベストは尽くすけれども、時間がはかかるね。」

私はもう必死で頼み込んだ。

お願いします!あなたが仰るくらいなら、いいファミリーに間違いないでしょう、私だったらそこにステイしたい!でもこれは仕事で、私たちにはクライアントとの契約がある。それが守れないと、返金対応をしなくてはならなくなるし、今後のビジネスチャンスも失う。そうなるとまたあなたにクライアントをお願いすることも出来なくなる。なんとかお願いします。

無言で紅茶をぐいっと飲んで、仕方ないねえというような深いため息をついた後、彼女はまたあちらこちらに電話をかけ始めた。彼女が動いてくれているのを見て、ちょっとだけほっとしたけれど、時間がかかる、と言われたことが気になっていた。その後いくるつかのやり取りをし、確認をしながら時計を見ると、予約した帰りの電車まであと2時間を切っていた。時間を気にしている体の私に気が付いて、彼女はまた言った。

「時間はかかるよ。でもやっておく。今日ロンドンに帰るんでしょ?もう、お帰りなさいな。ここで待ってたって私の仕事は変わりゃしないよ!」

で、でも、全て整ったことを確認してからじゃないと帰れないんです!と、言いかけて、あきらめた。そう言うことが、まるで彼女の仕事を疑っているように伝わってしまったら?難しい選択だけど、とにかく人を信頼してみるって、この地ではとても大切ってことを私はその頃ちょっとだけ学び始めていた。

そう仰って頂けるなら。。。と、彼女に託して、私はまた研修でロンドンに戻ることにしようと決めた。それじゃ、どうかよろしくお願いします、これからもう一度学校に行ってから帰ります、と告げて席を立つと、彼女はその日初めてうっすら笑顔でウィンクしてくれた。

語学学校を出ると、前の海にカモメがいっぱい舞っていた。その鳴き声を聞きながら、ああ、これでよかったんだろうか?本当にだいじょうぶかな?だいじょうぶでありますように!きっとだいじょうぶ!!などと、ぐるぐるとした気持ちを抱えて海沿いの道を急いだ。その後、研修場所に戻った時に顛末を伝えた営業マンにも「ほんとにだいじょうぶなんですね??」と念押しをされて、私もそう言いたいところです!とは言えず、だいじょうぶです。でももし、マン万が一なにかあればまた来ます!と夜間の連絡先を確認して、そこを後にした。

電車に乗っていてもも、駅に着いても、ベッドに入っても「だいじょうぶでありますように!」という思いだけがぐるぐるしていた。信頼が大切って本当にそうだ。でも、そうやって信用しても、結果がその通りにならなかった経験もしていた。私もため息がとまらなかったけれど、どうやら夜間の緊急連絡は入っていないようで、少しだけ安堵した。

翌日、お昼頃だったか「全て解決済みです♡」という語学学校の担当者からの連絡が会社に入った。まだ信じられなくて、本当に!?と現地の営業マンに電話を入れてみると、語学学校の連絡通り、その時の問題は解決されていた。電話を切って、また深いため息が出た。今度は安堵のため息だった。そしてお礼のメールを書きはじめた。

騒がしい夏がひと段落した頃、時々思った。あの時のファミリーの手配がもし違ったら。そのことで、ステイした学生さんにまた違った出会いみたいのがあったんだろうか。あれでよかったんだろうか、どうだったんだろうか。

これが夏のある日のカモメの思い出である。そんなこととんと知らぬ存ぜぬのカモメが目の前を沢山飛んでいる。ひともカモメもいろいろなんだろう。

 

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願い過ぎると叶わないんじゃない?問題について

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今回も甚だ観念的かつ、個人的すぎる?やもしれないお話で失礼します。

スピリチュアル界隈や自己啓発などにご興味のない方も「引き寄せの法則」って、どこかで聞いたことがあるやもしれません。

何か叶えたいことがあるとして。それを「ワクワクしながら」イメージする。何ならもう「叶っちゃった♡」という気分でいる。そうするとあら不思議。願いが成就するのです!という、何ともこの「損したくない時代」?にぴったりの手法と言えましょう。願うだけなら損もすまい。

そして「今日、チョコレートケーキのことを考えていたら、なんと!お友だちの〇〇ちゃんが送ってくれたチョコレートケーキが届きました♪」みたいな引き寄せゲット!!みたいなね、成功者たちの体験談が山のようにweb上や、身近な知り合いの間でも沸騰しておりました。今もそうかもしれませんね。

最初にこれを聞いた時って、えー!?って私もコーフンしました。なんだ!ワクワクすればいいのね?叶ったって思い込めばいいのね?と、なんかすごい魔法を教えてもらったような気になって、紙に願望を書きだしたりしてました。私はわりとミーハーな成分多めなので、そういうことはなんでもすぐに試したくなるのでございます。

で、結果はどうだったかっていうとーーー惨敗でした。全然叶わない。びっくりするほど叶わない。なんでみんなそんなに簡単にチョコレートケーキが手に入ったりするわけ?と恨めしくなったものでした。

そしてその「引き寄せ」と聞くと思い出してしまう、印象的な思い出が私にはあるんです。今日も「引き寄せ」でそれをちょっと思い出しました。

それはスカパラの追っかけ♡に血道をあげていたある日のこと。名古屋だったか大阪だったか忘れましたが、私は泊りがけでライブ遠征に繰り出しておりました。前も書きましたが、私はキーボードの沖さんがもう、大好きすぎてですね。居酒屋で「ホタルイカの沖漬け」というお品書きを見ても胸が震えるレベルだった、というのは以前書いた通りです。

で、出来ればどこかで一目逢いたいわけです。ただ、ここがちょっと私が捻じれている?というか、乙女なところででしてね。「偶然遭遇したい!」んですよ。おわかり頂けます?この乙女心?(わかります?って言われても、、、というお顔が想像できます。すみません。。)まあ、要はドラマみたいにですよ。思いもよらぬところですれ違ったりして、ドキドキしたかったようです。だから所謂出待ちとか入待ちってのは邪道!って思ってました。そういうのはだめ、カッコ悪い。沖さんやスカパラの皆様にも迷惑をかける。「偶然お逢いしちゃう」ことこそが私の目指す道☆!ってまあ、色々イカレてましたけど、そんな感じだったんです。

で、遠征の地で「祈・偶然遭遇!」を胸に秘めながら、まちを散策したわけです。ライブのための旅行ですからね。無駄な観光や所用で体力をすり減らすわけには参りません。朝はゆっくりして、お昼頃ちょっとおいしいものを食べてー、ついでに忙しすぎて出来ない買い物を遠征先でしたりして(少ない休みを全てスカパラに突っ込んでいたので、買い物とかする時間が全然なかった!)時間を過ごします。そんな時に街角のどこかで沖さんがふらっと現れて下さい!みたいな願いが、胸に充満しておりました。

お昼を食べていた時、ライブ友達からメールが入りました。「今ホテルチェックアウトしたら、沖さんがいたよ!」だそうです。。。友達は同じホテルに泊まっていたのか、、、何てうらやましいんだ、、、と思いつつ、あ!ってことは、もしかして、この後まちのどこかで遇えちゃうかも?なんてちょっと期待が高まっちゃうわけです。

お昼を食べ終わり、ぶらぶら歩き始めた頃また別のライブ友達から電話が入りました。「今、走ってる沖さんとすれ違ったよ!」。。。ちょっとがっかりです。なぜなら、その時友達がいた場所と私がいた場所は全然違ったからです。でも!まだライブまでに時間はある。どこかで逢える気がする!と気もそぞろ、どこか上の空でウィンドウショッピングを続けました。

歩き疲れてちょっとお茶でもしようか、とカフェに入ったその時。またしても別の友達からメールが入りました。曰く「〇〇で買い物してたら、沖さんが外にいて見かけたよ!」と。。。流石の私もがっくりとうなだれました。なんで?そこ、私が何時間か前に通ったところじゃないの!?

そしてその日はもちろんまったく「遭遇出来ない」まま、ライブを迎えました。ライブはサイコーで、まあ、ステージの沖さんはサイコーだったし!逢えなかったのも運のツキさ♡と、夜ジョッキを重ねながら憂さ晴らし。それはそれで楽しい夜でした。

ライブの楽しい夜の時間はすぐに過ぎ、翌日は帰る日です。ホテルでチェックアウトをしていると、またまた別の友達からメールが入りました。「さっき駅で沖さんにあった!握手してもらっちゃった♡」。。。

。。。。。。。で、念のため申し添えますと、その2日の間「沖さんを見かけたよ♪」というライブ友達(複数)は誰一人として、沖さん推しではなかったのですよ。。。

いやいや!「引き寄せ」の話を書きたかったのに、超個人的な思い出話にお付き合い頂きありがとうございました。

でね。もう私が申し上げたいことはあらかた察して頂けたかと思うんですけどね。願望って願い過ぎたり、もうそのことばっかり考えてとにかく「あいたいの!!」って感じのやつは、どうも叶わないんだな~~ってわかったんですよね、この経験が凄くて。おまけに願い過ぎると、自分じゃなくて、自分の近しい人がその願望をやすやすと手に入れちゃうのを見せられちゃうっていう。まったくもってり・ふ・じ・ん!なことが起こることもあるらしい?というおまけ付きで。

このことがきっかけ?だったか止め?だったのか覚えていませんが、強く願い過ぎると願いって叶わないんだな~ってね。自覚的に思うようになりました。まあ、他人に言わせるとね。それは願うやり方がよくないんだよ~みたいなことを仰る方もいたんですけどね。なんか自分には違和感あるな、そういう感じじゃないなって思ったことは確かなんです。

これって体感覚に近いのですが、願望で体のなかがみっちみちに「密」になってる時ってね、残念ながらその願いって実現しないことが多いように思います。特にもう、具体的にそれしかない!それのみ!みたいに思っていると、私の場合は全然だめなことが多い。それで成功している人も多々いらっしゃるようですが、私は全くダメですね。

それよりも、ちょっと願いが自分のからだの中にまだらに存在していて、そうなったらいいな!って思ってはいるけれど、それが絶対欲しいかっていうとどうかな~くらいだと、うまく転んでくれることが多いように思います。

それも願いのイメージそのものが、がつん!と叶うというよりは、願いの気配?のようなものを、ヘンゼルとグレーテルのパンくずのように辿っているとそこに着く。でもあれ?思ってたのとちょっと違うけど、ま、いっか、みたいな感じ?が、私には圧倒的に多い。

これもまた唐突に思い出したんですけどね、日光の東照宮。あの有名な陽明門に魔よけの逆さ柱ってあるじゃないですか?修学旅行でガイドさんが説明下さいましたよね。「完全にしてしまうと、その後は崩れてしまうから未完のままにしておくんですよ」ってね。確かに崩壊を防ぐためなんでしょう。でももうひとつ、完全を更新するためってこともあったんじゃないかな?未完だからこそ、そこに色んな作用が働く余地があって、結果徳川幕府が長続きした、なんて考えるのはどうでしょう?それこそ神のみぞ知るかもしれませんが。

完全、完璧なものって、そこに何も作用出来ないし、極まったらまた逆方向に極める方に動いてしまうという性質があるみたいですね。だから完全にみっちみちな「密」の願いには、自然界や神さまにも助けるスキがない。「私何でもできますからっ」と宣言しているカンペキな人を、助けようと思えないのに似ているかも。

だから、願望ってのもある程度「隙間」があった方が良いのかもしれませんね。そんな話をしていたら、友人から「あ、スキがある女の人の方がモテるって言いますもんね!」って言い得て妙な発言がありました。たしかに!

ってことで、今日は「願い過ぎには注意の記念日」ってことで御後がよろしいようで。

 

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信じることが簡単な人とそうでない人と。

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「信じる者は救われる」

とはよく言ったもので、生きていくに当たってはこの「信じる」という行為は相当パワーを持っている。

まずもって、自分の存在に対する根拠のない自信。自分がこの世の中の構成員である、なんてことを考えたこともありません!というような実に健全な信頼感。

世の中にはこの「自分を信じる」ってことについて何の疑問もなく、え?それが何か?と言えてしまう人と、自分を信じるって一体どういうことなのだろうか?と答えの出ない旅に出ている人といるんだなってことを、私はだいぶ大人になってから知った。そして私は断然後者である。

遅かれ早かれ、そこって誰もが通過する悩みだって思ってたんですけどね!世の中にそんなことも考えたこともない、という一派が、それもかなりの割合でいることを知って、私は衝撃を受けたものだった。

そこで思ったのだ。ああ、そうか、だからああやって自由にものごとを言えたり、行動できるんだな、って納得した。そうですよね~、自分が言ったことやったことの後に、どんなことが起こって、どんなことになっちゃうのかってことまで考える人は、あんなに天真爛漫にはなれない。

信じることが難しいのは、しばしば「生きづらさ」に直結する(とされている)。だから心理学の世界でもこぞって「自己肯定感」だの「自己有用感」だの「自己効力感」だの、と、それぞれ細かく定義をした上で、どれがいいとかっていう研究がなされている。例えばこんな感じ。

news.yahoo.co.jp

多分、こういう風に自分を認めたり、肯定出来たりってことを積み重ねていくと、人生の中である種の達成ってものが出来やすくなったりするんだろう。「絶対に損をしたくない」という今の世の中で主流の価値観の中では、「自己有用感がないって人生損するよ」って言われれば効果テキメンだろう。

確かに。この先に何があるかわからなくて絶望的な気持ちで進まざるを得ない人と、何があるかわからないけど行っちゃおう♪って思える人は、先へと進むモチベーションも、それから先へ到達できる速度にも違いが出る。

それは例えば自己実現だったり、お金を稼げたり、とか、同志と巡り合えたり、目標を達成出来たり、とか。望むものを現実化するしって、それが「幸せ」ってものなんだろうな~って思うし、個人的にもそうなったらいいなあ~という気持ちもイッパイある。

こと、宗教とか、何かの信念を共有するグループにも「信じる」ってのはパワーワードで、「信心」ってものがなければ、至ることのできない境地というものがあるってことは、どのグループにもおもしろいくらい共通してある。だからカルトって、その「信心」を試すようなエキセントリックで踏み絵的イニシエーションが必須だったりする。ものすごく乱暴に言ってしまえば、それは「達する」ための覚悟を決める、重要な行為なんだろうな。

そしてこの信じることがミラクルでパワフルだとわかっていても、尚、ですね。どこか&何かを目指すために「信じられる」自分をある意味矯正していくっていう、その行為。またはそうしなさいよ、という無言の圧力が私にはちょっと薄気味悪く感じてしまって困ってる。なんか、そのキラキラした明るい未来、そこに辿り着いた勝者だけがにこにこしている世界って、まさにカルトの世界みたいじゃんね?って思っちゃうんですよね~どうしても(涙)。

信じるってことが、目指すところへの近道になりますよ、ってことはわかる。だから人生において遠回り(=損)をしたくない人がこぞってその近道を行きたい気持ちもわかる(半分の私はそうだ)。でも信じることを道具にしながら、その正道を行く時、私は本当にそれを望んでいるんだろうかって思いが拭えない。

ある意味、損をしたくない=生き残りたいっていう本能だから、ああ、そうか。人間は本能を知識的?に理性的?に肯定する時代に入ってるのかもしれないな、なんて穿った思いにかられることもある。

ひとつだけ自分のために自己弁護をさせてもらうと、そういう信じる行為にどうしても素直に馴染めないからこそ、見えている世界ってものは確かにあるのだ。ぐだぐだ言わずに信じたらいいじゃないのさって半分の自分が言っているけれど。でも、ここに苦労をしていると、少なくとも単一の価値観の世界にいなくて済む。それがどのくらいの価値があることか、正直よくわからない。単一の世界にいなくて済んでる代わりに、ものすごく損をしている気にもなる。他の効用は。。。よくわからない。

でもその損する、ってことを、半分の私はどうやらもっと極めたい、なんて思っちゃっているらしい。もう半分の損したくない私にとっては甚だ迷惑千万!なのだけれども。

それはもう、信じないを極めたところで、そこで何が見えるのか知りたいっていう好奇心以外何ものでもないんだろう。もしかして、結局、信じるっていう側から登って山頂を見に来る人と、私のように信じないっていう側から登る人と、それだけの違いなのかもしれない。

ただ「信じないから救われない」って一体どういうことになっちゃうんだろう?という実験を、進んで震えながらしているっていうのが、自分らしくもあり、文字通り救いようのない、、、と思ったりする日々なのでありました。困りましたねぇ。

 

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旅行会社VSお上の世界。明日はどっちだ。

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連日のニュースを見ながら思った。

これまでの時代、本音と建前みたいに、世界は二枚看板だけの使い分けで大抵いけていたと思う。うちとそと。仕事とプライベート。お得意様と一見様。

世界はもっと単純だったって思う。

時代はどんどん進み、一生に会う(バーチャルも含め)人の数はどんどん膨らんで、ってことはそれだけ多くの価値観みたいなものに出会うようにもなった。もはやそのふたつの世界に振り分ける、という作業はナンセンスになっている。

自分を振り返れば、まず、ふたつの世界の間にながーいグラデーションが生まれた。そしてそのグラデーションでは価値観を振り分ける整理棚は足らず、違う価値観に出会う度、今度はいっぱい〇を書いてはその〇の中にそれぞれ独立仕分けした。でも既に紙面が足らない。何の棚に何を入れたのかもわからずに、最近ではとうとう管理不能となった。何だかよくわからないけど溢れちゃってるよっていう有様である。

しかし、もと旅行会社勤めの身としては、昨今のGO TO騒ぎはとても他人事とは思えない。また、旅行会社のその後ちょっとお役所チックな会社で仕事もした自分にとって、なぜか自分の職歴の軌跡を現実世界が追ってくれているような気が、、、そんな誠に勝手な気、さえしてきている。

それは、あまりの価値観の違いにくらくらした数年前の私のあのショックを、今また旅行会社や世間の人たちが感じているのかもしれない、という超個人的デジャヴのような気持ちである。

旅行会社ってですよ。仕事上、大変な数のお客さまと手配の手数を必要とするからして、ある意味とても素朴な実利主義を旨としていたように思う。7月22日出発、と言ったらその日、10人参加、と言ったらその人数。ぶれはない。ぶれちゃ大変。クレーム必至。おまけに宿泊先や交通機関、観光各所ってそれぞれに恐ろしいほど異なったルールや手配方がある。そのかなりを今、ITで処理しているとしても、その煩雑さを統制するためには、全体を把握した上での効率を考える、というイズムがきっと今も残っているはずだ。そうでなければ、あの量の仕事はさばけないし、同じレベルのサービスを提供するのも困難になってしまう。

一方、お役所の世界は、今日国会答弁がどうの、とか今日政治家の何某がどうの、という理由で「今日帰れないや~」などというセリフが普通に交わされる世界である。会社に徹夜で待機し(仕事が本当に降ってくるかどうかもわからずに)、本当に使われるかどうかもわからないデータをお上の依頼のままにせっせと作る。

「ものごとの落としどころ」ってのは既に決まっているから、それに向かって万全の準備をする。つまり「落としどころ」に向かって、ちょうどいい情報を集めてストーリーを作るという作業をせっせとするのだ。

それは「お上」の意向通りでなければならない。しかし、お上はこれをあからさまにやらせると色々面倒なことになる(だからデキる人は、証拠が残るようなメールのやりとりなんてしない)。同時にお役所の文書は色々に読めるように、実に頭のいい人が意匠をこらして作っている。これをどう「翻訳」して、「落としどころ」にうまく合わせるかが役人の腕の見せ所であった時代が、どうだろうか?もう何千年も続いているのだろうか?(この前NHK菅原道真が取り上げられていた番組を見て、嗚呼、この伝統は平安時代には既に存在してたんだ!と知って驚いた)

それはお上とお役人の殿上人の世界だけで通じる文法で、なぜって「落としどころ」って、お上にいいように作られるものだからだ。その作業ってまるで学校のテスト問題といっしょで、問題が出る→それに答えるっていう作業。頭のいい子は、先生の問題の傾向や好みを知っているから、普通に高得点が取れる。何なら証明問題で、その正解が導かれる理由?に道筋をつけてあげるとよりポイントアップ!も可能。そりゃ旧帝大?あがりのエリートたちにとっちゃ、お手のものってわけだ。少なくともこれまでの世界はそうだったんだと思うし、今もそういう世界が存在している。

でもこれからってどうなるんだろうか?

冒頭に書いたように、平安時代、いや明治時代、いやいや昭和初期に出会う情報量を私たちはとっくにぶっちぎってしまっている。物凄い量の価値観の海を溺れないように泳ぐ昨今のこの世の中。もはや〇を書いて整理するスペースもないくらい、紙面は埋め尽くされた、この多様な世界。

なんとなく今までは殿上人と一般社会はそれぞれ別個のふたつの世界だったように思う。イズムがまったく相反しているのはわかっていて、でもお互いそれぞれうまく付き合おうぜ、ということが世の中をうまく渡るとか、まわすっていうことだったんだろう。お役所の制度をうまく使って起業したり、政治家に献金をするってそういうことだったんだと思う。旅行会社は旅行会社で、そういうことも「うまくやりながら」実利主義の粋を極める、というか、どうやって手数料商売、薄利多売のビジネスモデルから脱却するかとかをやっていたんだろうと思う。

でも今ニュースを見ていると、旅行会社は、こりゃもううまくやるのって限界だぜ!って混乱しているようにも見えるし、お上の世界も「落としどころ」の設定をどうしたらいいやら迷走しているように見える。お互い「うまくやりながら」存続していこうぜっていう前提が既に崩れているようにしか見えない。

これからだってもちろん、そういうのは続いていくんだろう。でもその世界に与しない、或いは違和感がある人、必要ない人がどんどん増えて、次々と違う世界、世界観が生まれて行って、でも相対的に人口は減るっていう世界になったら。このふたつだけの世界がうまくやり続けるシステム自体が、もしかして必要がなくなるのかもしれないって思っている。だってその世界を支えるだけのボリュームの人やお金がまわらなくなるんじゃないかな、って思うし。そもそもふたつの世界って幻想で、もっと世界はてんでバラバラなものなんだってなったとしたら。

今まで時代が変わる時って、米一揆とか!革命とかクーデターとか戦争とかそういう力技みたいなものが介していたんだろうなって思うんだけど、この時代、あとから見たらやっぱりそれはCOVID-19だったってことになるんだろうか。それって象徴的な出来事としてってことかもしれないけれど。

なんて大局的なことを考えつつも、私個人的には明日生きる術をどうするかってことでもう、大変なのである!この大変さって、でも、この世界のあり方がダイレクトに影響してきてるから、一言でいってなんか物凄く大変だし、逆に、何か壮大なものがたりのクライマックスに差し掛かっているような興奮もある。妙齢の私にはなかなか大変毎日なのである。

 

「魔法使いとリリス」ー魔法の切なさに思うこと。

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久しぶりに前知識なしの「小説」を読んだかもしれません(そして最近は、ドキュメンタリー寄りだったのでした)。

魔法使いとリリス (ハヤカワ文庫FT)

魔法使いとリリス (ハヤカワ文庫FT)

 オーブリイという青年が、すごもののグライレンドンっていう魔法使いに弟子入りするところから始まるこのものがたり。

私個人は、現実世界にこそ夢を見すぎる傾向があるせいか?どうも、所謂「ファンタジー」というものがあまり得意ではありません(ハリーポッターもそんなわけで読めていません)。

でも時折、これは別!これは好き!というものがいくつかあって、嬉しかったことに、この本との出会いもそのひとつになりました。

オーブリイ君が魔法修行中に共に暮らしているうちに、グライレンドンの妻であるリリスに恋に落ちてしまう。この恋が始まるのか、始まらないのかってくらいのところのシーンがいくつも重なって、とても美しいです。

全然テーマは違いますけれど、「日の名残り」的な世界観がお好きな方は楽しめるかもしれません。

以下ネタバレになるので、ご了承ください★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

魔法って何?

この本の中でグライレンドンがオーブリイに魔法を教えるに当たって、まず膨大な量の本(科学論文)を読めって言うんですよね。何故ならば、何か他のものに「変身」する時、そのものの習性、身体、骨格、本能。そういったものを「知識」として知らなければ、変身は出来ないし、出来たとしても変身に乗っ取られて?しまう。最初この定義?にちょっと唸ってしまいました。ああ、私たちが日常しているあれこれって、やっぱり魔法そのものなんだな~って、なんだか納得しちゃったので。

考えてみればそうですよね。他人とコミュニケーションを取ったり、料理をつくったり、何かを作ったり整えたり。そして今はこんな風にブログを通して見知らぬ人に自分の思いを伝えることが出来たり。こういう私たちの営みって、ひとつひとつがみんな魔法なんだな、と、改めて思わされました。

ってことで、オーブリイ君はせっせと本を読み、修行に励む。そして魔法で色々なことが出来るようになる。

その後のオーブリイのこのことばにはぐっと来ました。

「結局のところ、魔法って何だろう。使う者を変えることができないのに、そいつが世界を変える力のことなんだろうか。ぼくは魔法を使いはじめたとき、嬉しかった。(中略)ぼくの手の中で喜びのないものへと変わってしまったのに、それから眼をそらすことができないんだ。(中略)もううんざりしているときでも、もっと欲しいと求めてしまう」

自分がこうしたい!と思う未来のためにせっせと修行に励み、やっとその魔法が使えた時に見えてしまう闇。それまでに払った代償を回収するために、人はその闇を見なかったことにしてしまう。しかし、その闇を見なかった代償こそが人を苛むのではないでしょうか。そして、その闇に耐えきれず、逆に魔法の中毒性の方へとはまり込んでしまう。例えば、魔法=人生の成功と読み替えるとしたならば、それはとても切ないひとの所作であるように感じられます。

そして後半、魔法を使ってものの形を変えるということとは?という強烈なテーマがオーブリイの恋に伴うように展開されるんですが、これがたいへんに心に迫ります。

「愛する」という行為がお互いを変えてしまう。これは愛というものの誠に素晴らしい一面であり、他方、業のようなものを孕んでいるように思いました。そこに愛が確かに存在しても、愛したものを愛によって変えてしまうことは、愛するものをもとの世界に戻れなくしてしましまうかもしれない。或いは破壊してしまうかもしれない。それどころか、愛することによって、ふたりの関係性までも変えてしまうというこの矛盾。この矛盾に切なく懊悩するオーブリイのこころ。

そしてリリス。舞踏会で前を通る人に気付かれることなく佇むリリスの姿。そして愛するってことがどういうことなのかわからずとも、風に揺られるようにこころが動く様。変わりたくない、もとに戻りたいと訴えるリリスの瞳。切なさのかたまりのようなリリスです。

ふだん心理学的な見方で世界を見ることが多い私にとっても、人が変わる・変えることの意味や帰結とはなんだろうか、という宿題をもらったように感じています。

グライレンドンの存在、そしてそれぞれの切なさ

オーブリイ君の魔法の師匠、グライレンドン。とても現代的な魔法使い像?として描かれていて、下世話な表現をすれば、まるであなたの会社にもいる?ちょっぴりサイコ的パワハラ上司のよう。余談ですが、彼に対するオーブリイ君の受け答えが見事です。パワハラ系の上司の対応に悩まれている方。この本の中に処世のヒントがあるかもしれません。

「闇」を見ずして、逆にその闇のパワーをふんだんに自分の力に変え、人生をのしていく人物。しかし彼の愛は「所有」ということでしか表現ができない。あんなにすごい魔法を使えるのに、彼にとっての愛って、自分の魔法を使ってなにかを「所有」することなんだって、なんだかこれも切ないです。それも自分よりも弱いものしか「所有」しない(出来ない)。しかしその「所有」の力を誇示することでしか、なにかとつながれない。つながれない痛みなど超越してしまったかのような振る舞い、そして、実際表層的には痛みなど微塵も感じていないのだろうな、という彼の姿には、読んでいるこちらの方がちくっとした痛みを感じてしまいます。その心の底にどんなものが流れているのだろうと思わずにはいられないから。

こういった切なさは、殺す以外はどうにもできないものなんでしょうかね。読み終わった後も、グライレンドンはどんな生い立ちだったんだろう?と想像がやみません。

 

魔法によってつながったオーブリイ、リリス、そしてグライレンドン。それぞれの痛みとせつなさに気持ちを乗せながら読むと、読む者によってまったく違う世界を見せてくれるような、そんなファンタジーでした。

本当に魔法って何でしょうね。

 

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お悩みの俯瞰(実践編2)

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前回からの引き続きです。

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カードを使ってまりさんにお話の続きをお伺いしています。

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Ⓑ「手放す」

 次はⒷのカードです。絵の真ん中に穴が開いていて、そこに梯子がかかっている。梯子から青い服の女性がまさに地上に出ようとしていて、彼女に男性が手を差し伸べています。白黒のポートレイトのような絵が、女性の右手から放されたばかり?でしょうか?

まりさんがまず注目されたのはポートレイトでした。

「これ何の絵でしょうね?」と、まりさん。

私はカードの写真を撮ってその部分を拡大しました。やはりそれは白黒で、男性のポートレイトでした。その拡大された部分をしばらく見て頂いたあと、まりさんがこうお話をされました。

「この写真、見てたら父のことが浮かんできました。」

「うちの父ってすごく心配性なんですよね。私のこととなるとあれこれ心配でもう、うるさいくらい口を出してくるんです。」

「若い頃からそれがいやでいやで。それで父と言い合って、たまには家出したりしてました。高校生の時です。父の顔も見たくなくて。って言っても、友達の家に一泊しただけですぐ帰ってきちゃうんですけどね。それ以上は反抗しようがなくて。。」

「今もそうで、大人になったから父の気持ちはわかるんですけど。。でも、私ももう30半ばだし、子どもじゃないんだから、いちいちうるさく言われるのって疲れます。」

 「言い合う度にもう、いいやって思ってきて。年代も違うし、私ももう大人なので父と言い合ってまで、わかってほしいっていう気持ちもなくなりました。だから最近はめんどくさそうな話になると、話をそらしたり、適当に合わせたりしちゃいます。」

 そこまでのお話を聞いて、まりさんにお聞きしました。お父様を思い出されたようですが、そのポートレイトの人物がお父様だとすると、どんな感じ?気持ち?がしますかと?

まりさんは、またしばらく黙って考えておられました。

「。。。父親を粗末に捨てたような気持ちかな。ちょっといやな感じ。縁起でもないけれど、、、なんだか父の遺影を捨てたような罰当たりな気になってしまいました。」

まりさんの中で、お父様への気持ちが動いているように感じました。そこで引き続きお父様の話をして頂きました。

まりさん曰く、お父様は何でも手堅いものをよし、としていること。小さい頃はそのお父様の姿を見て、煙たいけれど立派な大人に見えてちょっと誇らしかったこと。でも大きくなるにつれて、お父様の言動に我慢できなくなることが増えていったこと。その他にも、数々のエピソードがありました。

お話をお伺いしていて、まりさんがお父様のことを信頼できる大人である、と尊敬していらっしゃる様子がとてもよく伝わってきました。例え、お父様との間の葛藤は現在進行形であるとしても、です。

改めてそこで、今のお仕事のことをお伺いしました。

まりさんの今の会社は、どちらかというと保守的な会社であり、良く言えば比較的安定しているけれど、悪く言えば旧態依然としているところがある、ということでした。

そのお話をお伺いして、私にはまりさんの会社とお父様が重なり合っているように感じ、その旨をお伝えしました。

いみじくも、まりさんも同じように感じ、それに思い当たった様子でした。

「なんか。。。さっき父を粗末に捨てると思ったときに感じたのと、会社を辞めようと思う時の気持ちが似ているような。。後ろめたいような気持ちがするんです。こんな時代に普通に働けているのに、別にやりたいこともないのに辞めたいって、私何考えてるんだろうって。。」

このお話のあとⒶの綱引きの絵をもう一度見て頂きました。先ほどまりさんが「見たくない」と仰っていた「争い」のシーンです。

しばらく絵をご覧になって、まりさんはまた、はっとされたようでした。その後いくつかのやりとりをしながら、彼女と一緒に思いを展開していきました。

その途中のお話は割愛しますが、まりさんの「会社を辞めるべきか否か」というお悩み。それは、実はお父様がシンボルとなっている「親の価値観」と「まりさんが良いと思う価値観」との綱引きであった、ということがまりさんの中でだんだんはっきりしてきたご様子でした。

そして、まりさんの中では、自分の価値観を押し通すことは、お父様を見捨てることとイコールになっていたようでした。お父様とは意見が違うなと思いながらも「でも自分の事を心配してくれているんだから」と敢えて対決せずに、その葛藤をそのまま脇に置きました。脇に置くこと自体は、無駄な言い争いをしないためのひとつの方法であったかもしれません。

しかし、まりさんとお父様。まりさんと会社。その関係性は、本来まったく別のものです。まりさんの今お勤めの会社が「安定・旧態依然・変化がない」という、お父様をイメージさせるものであったため、「会社(=お父様)は対決すべき対象ではない」と、仕事についての思いも、お父様同様、まりさんは脇に置かれたようでした。これが「辞めるか否か」という答えの出ない「悩み」の状態が続いている原因のようでした。

まりさんが今回駆け込んで来てくださった背景は、この「悩み」について、置き去りにしていた対決に対峙する時期がやってきた、ということだったかもしれません。「仕事について、自分がどう考え、どう選択をするのか」という問いに対し、自分の思いを定める必要性を、まりさん自身が既に感じられていおられるように感じられました。

といったことが、お話をしながらまりさんも私も、だんだんわかってきたところで©の絵をじっくり見て頂きました。

©「自由」

この絵にはまりさん、最初からぴん、と来られたようでした。

「。。。そうか、、私が決めると、私は自由になる鍵がもらえるんですね。」

と仰いました。

青い服の女性が、椅子に座る女性の足に巻かれている鎖を大きな鍵を使って取り去ろうしているように見えます。カードのタイトルは「自由」。Ⓑのカードでポートレイトを手放した青い服の女性がここでは大きな鍵を持って現れている。それにまりさんは気が付かれたようでした。私も青い服か!と思い、ちょっとどきどきしました。自分の価値観を決めなくちゃ、と気付かれた、まりさんの緊張がちょっと伝わってきたように感じたからです。

その後、まりさんがお仕事に対してどういう価値観を持ちたいか、思いっきりラフに書きまくっちゃったりするのが良いかもしれませんね、とお話をしました。今は外界に色々な情報を集めまわるより、まず、ご自身が何をいちばん優先させたいか、という価値観そのものを見極める時なのかもしれません。そんなお話をいくつかして、今回のご相談を閉じさせて頂きました。

人の価値観は本当にさまざまです。固い職場が合う人、自由な職場を心地よいと感じる人。どちらでも良いのです。ひとつだけ確かめるべきことがあるとしたら、一見、自分が仕事を選んでいるようで、実は他の誰かに選ばされているかもしれない、という点です。子どもの頃から「お前のためには、これが一番良いのだ」という親や学校、教師、社会から受け継いでいる「こうあるべき」という価値観で、自分の選択をしているとしたら。

そんなはずないのに、実は「選ばされていた」ことを「私」に知らせてもいいかな、と無意識が動く時。そんな時は何らかのサインが、日常生活に色々現れてきます。今回のまりさんのように「会社を辞めるか否か」という悩みがぐるぐるしたり。または、急に会社に行く気がなくなってしまったり、気が付けば最近自分ばかりが会社でひどい目に遭っている?といったような出来事が起こったり。

ご自身でやり過ごせる程度、今日ビール飲んだら元気いっぱい!会社に行くのも軽々OK♪となるようでしたら、問題ないでしょう!しかし、すっきりしない思いがグルグルし続けたり、同じような不快な出来事が繰り返されたりする時。そんな時は「お悩みの俯瞰」をしてみてもいいよ、と無意識が動き始めたタイミングなのかもしれません。まりさんにも、ちょうどそんなタイミングで声をかけて頂いたのだと思います。

今回のまりさんのお悩みは「仕事を辞めるか否か」でした。その根底に「仕事に対する自分の価値観をどうしますか?」という問いが発生していたようです。その答えは「自分の価値観を定めます」だと、お見受けしました。

最後に一連のお話をシェア頂くことを快く承諾頂きましたまりさんにお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

 

~~大きなお悩みから小さなお悩みまで。「俯瞰」のタイミングかも?と思われましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください~

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お悩みの俯瞰(実践編1)

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本日はカードを使った「お悩みの俯瞰」についてちょっとご紹介したいと思います。

実際のご相談の内容のその前に。

「お悩みの俯瞰」にカードを使う理由

前回こちらで書いた通り、ご相談を承る際、私は時々カードを使います。カードを使う、なんてというと、一見「占い」のように聞こえるかもしれません。しかし「カードを使う」=「占い」ではないんですね。カードを使うのは、その方の状況を当てたり、未来を予測したりするためではありません。悩んでいること、悩みの中の問いについて、ちょっと「引き」のアングルから見るためです。そのためのひとつの手法、と言った方が良いかもしれません。

「絵」はこのように、引きのアングルでお悩みを俯瞰する時、とてもよく作用してくれます。私のライフワークである「無意識」(そう!ここで「無意識」なのですよ♡)が「絵」を通じて、その姿の片りんを見せてくれたりするんですよね。そう。前回「問い」に対して「答え」が対になっている、と言ったのは、まさにこの「無意識」の中に立ち現れる「答え」のこと。私たちの「問い」が発生するときには、対のように「無意識」の中に既に「答え」が出現するのです。この「答え」は前回お伝えした通り、見えないようにうまーく隠されていることも多い。(隠されているけれど)そこにある問いへの答えのイメージを、カードの絵が喚起してくれるのです。

 また相談者の方が弾いたり、私が引いたりするカードですが、「引く」という行為にそこまで運命的な意味はありません。カードとは、例えるならば今日、たまたま同じ通勤電車に乗り合わせた乗客のようなイメージでしょうか。その中で、お!っと目に入ってきた見知らぬ人。たまたま知り合いの誰かに似ている方だったかもしれません。その時車両の中で何かでとても目立っていた人だったかもしれません。他の人は目に入らなかったけれど、たまたまその人のことがちょっと気になった。それで横目でちょっと見ちゃった。それがカードに描かれている絵の中で、相談者の方が気になったポイント=無意識を喚起している何か、というわけです。

以上が私がご相談を受ける際に、お悩みの俯瞰のためにカードを使う理由でした。

まりさんのご相談

ということでカード/無意識への前置きはさておき、今回はまりさん(仮名)から頂いたお悩みです。こちらでご紹介することに了承を頂いておりますが、お悩みには個人的なお話も含まれますため、内容を一部変えています。

今、転職すべきかどうか悩んでいる、というのがまりさんのお悩み。10年ほど続けている今の仕事は特に好きでも嫌いでもない。ただ会社で仕事をしていて楽しくはない。楽しくはないけれど、お給料にさほど不満はなく、辞めて失うものを考えると、すぐに辞める勇気はない。そうやってずっとここで働いていて良いのかなと悩む日と、だって仕事ってそんなものじゃない?と思う日が両方あって、自分でももう、よくわからなくなってきた。特にこんな世の中になってしまって、先行きも不安だし、考えるだけで気持ちが塞いでくる。そんな日に限って会社で同僚とひと悶着あったりして、一体どうしたら良いだろう!と反射的に駆け込みで相談をしたくなった、というお話でした。

まりさん、ご相談頂きましてどうもありがとうございました。

お話を伺いながら、今回は「セルフセラピーカード」を使いました。まずは頂いたお悩みを俯瞰すべく、カードを一緒に選んで頂きました(画面越しに選んで頂きます)。 

セルフ・セラピー・カード

セルフ・セラピー・カード

選んで頂いたカードは以下の3枚です。

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左からこのお悩みのⒶ課題、Ⓑ課題に取り組むためのヒント、©課題に取り組む先にある現実、という並びになっています。

 Ⓐ「主導権争い」

まりさんにまずカードの絵をよく見て頂きました。まりさんはこの①のカードを見て「辞めたい気持ちと辞めたくない気持ちが綱引きしているみたい」と小さくため息をつかれました。確かにカードの中では、ふたりの男女がロープのようなものを引き合っています。

それにしても緊張感の高い綱引きです。ふたりが綱を引き合っていますが、そのふたりの後ろは断崖絶壁です。ふたりは綱引きに必死で、後ろの崖に気づいていないのかも。これでは例え自分の陣地にどちらかを引き入れることが出来ても、その途端にいっしょに崖から落ちちゃう!?ように見えます。うーん、進むも地獄、退くも地獄?ということ?

まりさんがまずご自身で仰った通り、このカードはまりさんのテーマは「綱引き」じゃないかな?と語りかけてくれているようです。まさに「仕事を辞めるべきか否か」というテーマなのでしょうか?注目すべきは、崖に落ちそうになりながら夢中で綱引きをしているとこと。どうやら他にも何かがありそうに見えます。まりさんは「仕事は好きでも嫌いでもない」と仰ってましたからね。これって「崖」のイメージに比較すると、ちょっと切実さの温度差というか、感覚的にギャップがあるようにも感じます。仕事を辞めたら?辞めなくても?後ろが断崖絶壁ですよってちょっとそれ、どういうことですか??とまた、ちょっと謎が深まります。

「綱引き、とか引っ張り合い、って聞くとどんな感じがしますか?」

とまりさんにお聞きしました。

「うーん、、、見たくないって感じですかね。。」

「見たくない?」

「はい。見たくないです。そういうのを見せられるのってすごくいやです。会社で誰かと誰かが張り合ってたり、言い争ってたり、そういうの見たくない。」

「どうして見たくないんでしょうね。」

 お伺いすると、まりさんはしばらく考え込んでしまいました。なぜと聞かれても、見たくないものは見たくないんですよね、、、と。

ちょっと考えて頂いた上で、次のカードを見て頂きました。

 

(つづく)

 

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